第六伝 三十六計逃げるに如かず




無事愛宕に勝利した翔子は、八雲に愛宕の身体を床に寝かすよう指示する。


言われた通りにすると、翔子は愛宕の体の上に手をかざした。


「じゃあ行くよ…ん~~痛いの痛いの~~飛んでけッ!!」


古臭い呪文を唱えるとパッと手を上げる。


これで傷が治ったのかと身を乗り出した八雲、だが余り変わった様子はない。愛宕は服を着ているので患部の変化がよくわからないのだ。


「よし、まあこれくらいウチにはお茶の子さいさいって訳!」


「…表情は若干良くなったか? どれどれ、失礼してと…」


気絶している愛宕の左脇腹に触れてみる。保健室に運ぶ時は痛みで顔が歪んでいたが、不思議と顔色は変わっていなかった。


「本当に治ってるのか…凄いなこりゃ」


八雲が感心していると、隣から翔子が注意してくる。


「あ~! ちょ、女子の体に触るのはダメでしょ!」


「しょうがないだろ、服脱がす訳にもいかないし…」


八雲にやましい気持ちがあった訳ではないが、翔子がジトーと八雲を見ると、決まりが悪そうに目を逸らした。


空気を変えるためにそうだ、とわざとらしく手を打つ八雲。


「実はもう一人治してほしい人が居るんだ、ちょっと下まで付いてきてくれないか?」


元はと言えば、ここに来たのは瑠衣のケガを治してもらう為だった。


愛宕の傷が治ったという事は口明方翔子が噂の傷を治すことができるスケバンだろう。


が、今度は翔子が、決まりが悪そうに目を逸らす番だった。


「…マジ? まだ居たんだ…やばみやばこかも…」


「え、それってどういう意味だ?」


八雲が聞き返すと、翔子は指と指をツンツンと当てながら言いにくそうに口を開いた。


「いや~、実はウチ人治せるの一日一回までなんだ、前は何回かできたんだけど幽霊になってから一回しか出来なくなっちゃった」


「───嘘だろ?」


明かされる衝撃の事実に絶句する八雲。


直後、下の階からガラスが激しく割れる音が鳴り響いた。


「───何だ…? 翔子、その話は後でゆっくり聞くから今は下に行くぞ! 二香さんが心配だ、愛宕は…ここに置いていく訳にはいかないな」


八雲は愛宕を抱き抱えると階段を降りて行く。


「その二香って子がケガしてるの?」


八雲の横を飛んでいる翔子が質問した。


「いや、ケガをしてるのは瑠衣って名前の子だよ、それにしてもさっきの音は何なんだ、二香さんがやったのか?」


1階まで急いで降りると廊下の奥から微かに争う音がした。


急いで向かうと、部屋の窓ガラスが完全に割れており、その外に誰かがいるようだった。


「ここからじゃチョー危険だからあっちから行こうよ」


辺りにはガラスの破片が飛び散っており、翔子は遠回りする事を提案する。


「そうだな、案内してくれ」


翔子が外に続くドアまで八雲を案内すると、八雲はそのドアを蹴破った。


目に入ってきたのは二香に殴り掛かろうとしている瑠衣の姿だった。


「なっ、瑠衣!? 馬鹿やめろ! そんな怪我で動くな!」


慌てて八雲が叫ぶと瑠衣がゆっくりとこちらを向いた。


その目は生気のない虚ろな目をしていた。


ゾクッ、と背筋に悪寒が走る八雲。


「何だ…瑠衣じゃない…?」


「あの子…取り憑かれてるよ、多分この病院の地縛霊が悪霊になってるんだと思う」


翔子が瑠衣を見て状況を推察する。


攻撃が止まった隙を見て、木の枝を持った二香が八雲達の所まで下がった。


「気を付けて、瑠衣は今正気を失ってるわ、原因は不明だけど、力のリミッターが外れてるみたいに強くなってる」


「二香さん、さっきの音はやっぱり…」


「ええ、後ろから瑠衣に襲われたのよ、幸い腕でガードできたから大きな怪我はないわ───って、貴方また抱き抱えてるの!? 反省の色が見えないようね、今は緊急事態だから目を瞑るけど、これが終わったら覚悟しなさい!」


完全に愛宕の存在を忘れていた八雲の顔が青ざめる。


「不可抗力ですから!! 二香さんが心配で急いで戻ってきたんですよ!! あ、噂の傷を治療してくれる人連れてきましたからそれで許してください!」


「どうも~、口明方翔子ちゃんで~す、夜露死苦ぅ!」


いえ~いとダブルピースをする翔子に、二香は軽く礼をする。


「よろしく、早速で悪いけど、瑠衣を治してもらえる? あの状態は流石に私も骨が折れるわ」


瑠衣の攻撃を全て捌いていたのだろう、しかしその顔に疲労は伺えない。


「あ、それなんだけどぉ、ウチ一日一回しか能力使えなくなっちゃっててさ、もう使っちゃったから今日は無理! メンゴ!」


「え…?」


片手を縦にして謝る翔子に開いた口が塞がらない二香。


「ちょっとじゃあ瑠衣の怪我はどうするのよ!!」


「いやー本当ゴメンね、ウチもどうしてか分からないんだ、幽霊になってからよわよわになっちゃったみたい、もうホントチョベリバって感じ」


何か文句を言いたげな二香はその言葉を飲み込むと代わりに深く溜息を吐いた。


「まあこの際瑠衣の怪我については後回しにしましょう、今は瑠衣のあの状態をどうにかするのを最優先に考えるわ」


数メートル先を千鳥足で右往左往している瑠衣に目を向けた二香は、ある違和感を覚える。


「…変ね、なんで攻撃してこないのかしら」


「確かにそうですね、俺達が来た時なんか今にも殴らんばかりの勢いだったのに…」


会話の最中もいつでも応戦できるように気を張っていた二香だが、さっきまで攻撃的だったはずの瑠衣は何故か動いてこない。


「ああ、それはウチがあの子に取り憑いてる霊よりも強いからだよ、今は様子見してるみたいだけどまたすぐに襲ってくると思う」


理由は単純明快、強いから襲わない、それだけだった。


「成程ね、なら今のうちに作戦を立てましょう、口明方さんだったかしら?」


二香は構えていた木の棒を下ろすと翔子を見る。


「翔子でいいよん」


「そう、なら翔子さん、さっきから何度か聞き流していたけど、貴女幽霊なの?」


「そだよ〜」


単刀直入に二香が聞くと翔子はあっさりと肯定する。


「ふぅん、そういう世界もあるのね」


自分の知らない世界に関心を持つ二香だが、とりあえず瑠衣の事を考える。


「それで瑠衣は今幽霊に取り憑かれてるからあの状態になったって言いたい訳ね、ならまずはその霊を取り除きましょう、どうすればいいのかしら?」


「んー、殴ったり蹴ったりしたら出ていくと思うよ、まあ普通の人は幽霊とか触れないから…っほい! これでバッチグー」


話してる途中に翔子が八雲も二香の肩を叩く。


すると不思議な事に瑠衣の背後に何か黒いモヤのような物が漂っているのを発見した。


「あれが…瑠衣に取り憑いてる幽霊なのか?」


「見えた? ちなみに今二人に霊感みたいなのが宿ってるから、でウチは二香っちに取り憑いてるよ~ん」


言われて手を閉じたり開いたりする二香だが、特に違和感はない。


「…あまり実感はないけれど、もしかしてこれでその幽霊にも攻撃が当たるのかしら」


「そゆこと、まあ物は試し! 腹パン一発退治しちゃおう!」


愛宕を抱えたままの八雲を後ろに下がらせると、二香は再び棒を構えた。


「瑠衣の体を傷付けないよう慎重にいかないとね」


対する瑠衣は特に構える訳でもなく、腕をダランと下げて虚ろな目で二香を見ている。


「こんな形でまた闘う事になるとはね…勝負は一瞬でつけるわ」


悠然と歩き始める二香。


瑠衣の拳が届く距離に入った瞬間、瑠衣が初めて動いた。


右拳でのストレートを二香の顔へと叩き込む。


「攻撃が単純過ぎるわ、瑠衣の体を乗っ取ろうが所詮は偽物ね」


重心を落とし屈んで避けた二香は、踏み込んでいた。


そして次の瞬間、ガラ空きになった瑠衣の脇へと居合切りを放った。


「貴方、丸見えよ」


二香の攻撃は背後にいる黒いモヤに当たっていた。当然、瑠衣には触れてすらいない。脇へと当たる直前に棒は止めていた。


が、何故か瑠衣の身体が吹き飛ぶ。


風圧なのか、否、原因は他にある。


「ちょ、二香さん! 瑠衣に攻撃は当てない方向じゃなかったんですか!?」


八雲の視点からでは二香の抜刀により瑠衣が撃ち抜かれていたように見えていた。


「今のは…? 確かに棒は止めたはず、奥の黒いモヤに当たった感触は合った…まさか、黒いモヤに与えた攻撃が瑠衣にフィードバックされている…?」


横で起き上がろうとしている瑠衣の後ろのモヤをパンッと叩くと、瑠衣の頭がガクンと下がった。


苦虫を噛み潰したような顔になる二香。瑠衣から幽霊を取り除く為には幽霊に物理的ダメージを与えるしかない。


しかしダメージは全て瑠衣のダメージとなる、嫌なシステムだった。


一先ず、作戦を練り直すために瑠衣から距離を取ると、八雲に話しかける。


「どうやらあの黒いモヤに攻撃すると、その攻撃は瑠衣へと返るようね、作戦の練り直しが必要よ」


「マジですか…じゃあ瑠衣に取り憑いてるやつはどうやったら撃退できるんですか?」


「それをこれから考えるの、とりあえず今はここから逃げるわよ、あの幽霊怒らせちゃったみたい」




見ると、再び起き上がろうとしている瑠衣が心無しかこちらを睨んでいた。


「よし逃げましょう、瑠衣が暴れたら手が付けられなくなる」


まずは逃げの一手、逃げは負けではなく勝利の為の布石なのだ。


二人が走り出しやがて見えなくなった頃、立ち上がった瑠衣が、口に溜まった血をペッと吐き出す。


「クックック…この身体、最高だな…まだ慣れてはいないが…暫くすれば馴染むだろう…手始めに今の人間二人を嬲り殺しにしてやる…!!」


とても人とは思えぬ悪意の塊のような顔付きで歩き始める瑠衣だった。




◇◇◇




「全然見つからん…隠れるの上手いな」


八雲と二香を探している瑠衣は、全く二人が見つからないので焦っていた。


「む、あれは…よし見つけたぞ!!」


2階の窓から八雲が病院の出入口辺りでうろちょろしてるのを発見すると、これ幸いと言わんばかりに急いで向かった。




「ッチ、また居なくなったか…病院内にはいるらしいが場所がイマイチ分からん…まあこれも辺りの霊を吸収して力を付ければ奴らが見つかるのも時間の問題、せいぜい今は逃げ回っておけ…クックック」


不敵に笑っているが、若干の強がりが見える。


その時、再び病院に戻ろうとする瑠衣の背後から声がした。


「痛いの痛いの飛んでけ!!」


「む、誰だ? いや待て…身体が治っていく…?」


振り返ろうとすると、自分の身体が完治していくのに気付いた。


「八雲っち、成功したよ!!」


「この声…さっきの看護師か? 一体どこに───グハァッ!!」


辺りを見回している所に背後から不意打ちのタックル。


そのまま身体を捕まれ、どんどんと押されていく。


「だ、誰だっ!? 離せ!! はまずい!!」


思わず焦った声を上げる瑠衣。身体を掴んでいるのは、八雲だった。


がら空きの背中に何度も肘鉄を食らわすが、ビクともしない。それよりも更にグイグイと押されていく。


「これ以上はまずい…か、やっぱり睨んだ通りだ、お前この病院から出られないだろ」


「なっ何だと…!?」


「作戦は、成功だ…!」




◇◇◇




「で、何かいい案のある人はいるかしら?」


病室で身を寄せあっているのは八雲二香翔子の三人組だった。


「いい案って言ってもな…」


唸る八雲、霊を退治しようとすれば更に瑠衣が傷を負う事になってしまう。


そんな時、翔子が何かを思いついた。


「あ、そう言えばアイツ地縛霊だからこの病院から出られないんだった、だからるいるいの身体を無理やり病院の外に出せば、アイツも消滅するよ!」


顔を見合わせる八雲と二香、確かにいい提案である。


「地縛霊ってそんなシステムなのね…じゃあとりあえず霊を消す方法の一つはそれでいきましょう、二つ目の瑠衣の怪我の方だけど…」


「それなら、俺の中である仮説があるんですけど、翔子が傷を人間の傷は一日一回しか治せなくなったのは幽霊になってからなんだろ? 幽霊と人間じゃ上手く能力が発動しないけど幽霊と幽霊だったら上手くいくんじゃないかって」


「なるへそ~確かに幽霊相手に試した事は無かったね、でも治したいのはるいるいでしょ?」


待ってましたと言わんばかりに八雲はニヤリと笑う。


「そこで幽霊の能力だよ、今アイツと瑠衣の身体は繋がってるんだろ? 幽霊を治せば自動的に瑠衣の身体も治るって訳だ」


試してみなければどうなるか分からないが、二つとも現時点では名案である。


「やる価値はあるわね」


二香が頷くと、具体的な作戦を決め始める。


「まず俺が病院の出入口辺りで───」




◇◇◇




「ええい! 離せと言っておろうが!!」


膝蹴りで八雲の顔面を撃ち抜くと、そのまま身体を蹴り飛ばし、距離を取る。


「グッ…逃がさねえぞ!」


じりじりと両手を広げながらにじり寄る八雲。


(クッ、何だこの男は…一旦隙をついて逃げるしかないか)


ローファーから踵を出し八雲の顔目掛けて蹴り上げる。


飛んで来るローファーをキャッチする八雲、視界が塞がれている間に瑠衣は走り出す。


が、完全に隙を付いたはずなのにも関わらず再び八雲に腕を掴まれる。


「なッ…何だとッ!?」


「取り憑かれてもやる行動は変わらねぇな瑠衣、俺が何億回暴れるその子を捕まえたか、お前には分からんだろうな」


病院の門まで後数メートル、腕を引いて再び瑠衣の胴体を掴むと一息に持ち上げ、門まで突撃する。


「クソッ、離せぇ!!」


抵抗は無意味、八雲の足は衰える事なく門まで辿り着いた。


「さっさと瑠衣の身体から───出てけ!!」


八雲が瑠衣を持ち上げたまま病院の敷地内に出ると、瑠衣の身体からフッと力が抜けた。


「…作戦成功…ガフッ、流石に力強すぎだっつーの、おー痛え」


瑠衣を地面に寝かせると横にドサッと倒れ込む八雲、どうやら瑠衣の攻撃が効いてなかった訳ではなく、単なる痩せ我慢の様だった。




しかし、消滅したと思われた幽霊はまだ存在していた。


「クックック、馬鹿め!! あの身体が無くなるのは惜しいが、まだ車の中に一人入り込める女が居たのを知らぬと思ったか!! それにまだ中に先の女と看護師もおる!!」


幽霊は、八雲が瑠衣の身体を敷地外へと出す直前に、既に瑠衣の身体から抜け出していた。


そして車の運転手の身体を乗っ取ろうと急いで向かっている最中だった。


「この逃げは勝利の為の布石だ!逃がした事を確実に後悔させてやる! ほれ、もう見えて来たぞ! 今取り憑いて───」


瞬間、幽霊の身体が一刀両断された。


「な…に…?」


「逃げるのも手かもしれないけど、普通は相手を逃がさないように作戦は立てるものよ」


幽霊を斬ったのは木刀を持った二香。翔子の力を借りて幽霊へ直接攻撃をしたのだった。


両断された幽霊はやがて塵となって消滅した。


「万一を考えておいて良かったわ、取り憑いていなければ、誰かに攻撃が行くこともない、作戦終了ね」


「いえ~い! 二香っちやるぅ~!」


「別に私だけの力じゃないわ、貴女もお疲れさま、翔子さん」


二香が笑いかけると、翔子は少し驚いたようなか顔をしてから満天の笑顔になった。


「っへ! まあこれくらいウチにはお茶子のさいさいよ!!」




バン外勝負これにて決着ッ!!


勝者、文月八雲、白鳥二香、口明方翔子



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