できれば綺麗さっぱりと


 妊婦のはらわたを食い破る夢を見た。女の胎内に宿る命を牙ですすり、恍惚こうこつの表情で腹を満たす私。

 魔物の本能にしたがい人肉を咀嚼そしゃくする姿が酷く不快に思え、私の半生を小馬鹿にしたようなふざけた明晰夢から自力で抜け出した。腐植土の柔らかい感触が表皮をぜる。

 ななめに差し込む街の明かり。鼻腔を刺激する薬品の香り。ここはフーカの店だ。暗い森ではない。だからあれは脳がみせたまぼろしに過ぎない。

 大好物の食べ物の夢。そりゃあ、嬉しいさ。だが今はそんなもの見たくなどなかった。

 心は拒否しているというのに、粘液は私の意思に反して口からあふれ、蔓をつたって流れ落ちる。

 動悸が止まない。

 私の身体は、私が魔物であることを証明し続けている。腹の底でくすぶる闇が、時折異臭を放ちながら思考を腐敗させてゆく。

 

 ……仕方なかったのだ。私は人間の命を奪わなければ生きられなかった。人間だってそうじゃないか。おまえたちも魔物をあやめて生きている。ヴィーガンですら植物を殺す。息を吸うだけで他者を傷つけてしまうのは、人間も魔物も変わらないじゃないか!


 鋭い痛みが走り、私の熱を冷ましてくれる。食いしばりにえかねて奥歯にあたる棘が折れてしまっていた。まぁ、何本折れていようが構わない。そこに裂傷を伴おうが、棘が下顎を貫通していようがすぐに治る。アルラウネだからね。暗闇に向けて振り上げたあぎとを力なく垂らした。

 私のおかしてきた罪はあがないきれるものではなく、背負うにはあまりにも重すぎた。人間の命を軽んじていた私が、人間になりたいなど許されるはずもない。それでもフーカは私を責めなかった。笑うこともしなかった。そうした優しさが痛かった。

 私は言い訳ばかりを探している。自分を正当化できる言葉を探すことで、ぐちゃぐちゃになりそうな精神を保っていた。しかしそのたびに自己嫌悪にられ、私という存在が、私自身の重ねた言葉の副作用でしなびていくようだった。

 無性にイライラする。感情に呼応して全身の突起が逆立つ。ストレス発散のために暗闇のなかで手頃なものを噛み砕いた。それは激しい物音を立てて飛び散る。商品だったかもしれないと私は焦り、急いで〈夜灯〉の魔道具をつける。橙色の光があばいたのは値札付きの残骸。商品でしたね。やっちまいました。しかも高価そうな代物でおののいていると、ぱたぱたとした足音が響いてくる。


「アイル、大丈夫ッ……?」と裸体にバスタオルを巻いただけのフーカが心配して駆けつけてきてくれた。

「私は無傷です。でも壊しちゃいました。ごめんなさい」


 魔法で明かりがく。白光の下で視線を合わせるのは後ろめたくて、私は床に散らばった破片を見ていた。


「いいのよ。あんたに怪我がないなら」


 彼女が指を鳴らす。乾いた音が店内に反響し、その音はやがて〈風〉になり散らばった破片をいて片付けた。


「それはどうも……」


 実用的な魔法だな、と思いながら〈風〉の働きぶりを見ていた。やがてフーカは最後の破片をまんで私の眼前に置くと、風向きを操作し独楽こまのようにくるくると回転させる。それをなんとなくつるで追いかける。動くものは気になるよね。

 ふと我に返り顔を上げた。幼子をあやすような笑みをたたえる彼女の姿に、そこはかとない羞恥を覚えた。


「〈風〉の魔法、使えたほうが便利よね。今度教えてあげる」

「私は〈大地〉しか使えませんが……」

「生まれつきでしょう。誰かに教わったことがないだけよ。あんたらには教育という概念がないものね。アイルならすぐに覚えられるわ」


 おおむねフーカの指摘通りだった。加えて、私は使用可能な魔法の種類を増やそうとこころみたことすらなかった。これが人間と魔物の違いか。


「はい、ではお願いします」

「あんたくらいの魔力量だと大体の魔法が使えそうね。……なにかリクエストはある?」


 脚を生やす。空を飛ぶ。火をおこす。日差しを強める。雨を降らせる。薬草を生き物に変えてみる。挙げていくときりがないので条件をしぼろう。

 今できるなら。やはり、私のあぎとに染みついた罪を洗い流してしまえたら。そんな都合のいい魔法が欲しかった。


「過去を変える魔法が使えたら嬉しいです。できれば綺麗さっぱりと消してしまえるような」


 すると彼女は諦念混じりの魔力の粒を発射し、私のひたいに命中させた。さすがに厳しいようだ。


「無理ね。枯れた花の時間を巻き戻すことはできないわ」とフーカは半ば予想通りの答えを返したが、直後に眉間を揉んで考えを巡らせていた。「現状はね」

「現状は」と私は繰り返す。

「願いや想像は魔法の本質でもあるの。世界中の生き物が、過去を変えたいと願ったとしたら、時間遡行ですら実現するかもしれないわ」


 余計に希望を打ち砕かれた気分だ。素手で雲を掴むほうがまだ現実味を帯びている。


「ううぅ……じゃあ、私の頭のなかを消すことにします」

「〈忘却〉の魔法? 確かに記憶を封印することで、間接的に自分の過去に干渉できるはできるけど、こちらもおすすめしない」

「どうしてですか?」

「過ぎたる事実をなかったことにはできないからよ」とフーカが私の目を見つめていう。「たとえ魔法で記憶を消したとしても、過去を変えたとしても。それが魔法である限り、効力には終わりがおとずれる。魔法が切れるたびに思い出していては、今よりもずっと苦しむことになる」


 分かっていた。魔法で変えた過去は、魔法が解けたらそこで終わり。全ては現実に戻される。それこそ夢に等しい。

 記憶に関しても同様だ。魔法は、魔力という燃料を消費し続ける。膨大な魔力の塊である精霊でさえ、初歩的な魔法を永遠に維持することはできない。

 理屈では分かっている。

 とはいえ私にはなりたいものがあって、そのために変えたい過去がある。楽なほうに逃げるなといましめるのなら、人間は、自分自身のあやまちとどう向き合うのだろう?


「ジェイドがよくいうんだけどね。生きるとは本来、悩んでもがいて選択し、自らの力で歩む命のいとなみを指す。姿かたちや善悪、潔白さなんてものはそこに含まれていないのよ。もちろん魔法もね」

「はぁ……」

「魔法に頼らず、アイル自身の力で解決してみせなさい。それができたら、あたしが夢を叶える手伝いをしてあげる」

「人間に擬態して生きている私がいうのもあれですが、人間は嘘つきで隠しごとばかりです。でたらめじゃないですよね」

「でたらめなわけないでしょう。魔女のあたしを信用しなさい」

「……分かりました。後半のせいで台無しですが」

「そうかしら」


 惚けたふうに言い、はだけたバスタオルの位置を直す。視線が吸い寄せられる。魔物からみても完璧な曲線で描かれた美しい肢体だと思う。

 強欲な私は、途端に彼女の美しさが欲しくてたまらなくなった。


「フーカさん。裸ですけど入浴はされましたか?」


 きびすを返しかけたフーカの足が止まる。「今からよ? 変なことくわね」


 入浴前。であれば、多少の汚れは差しつかえなかろう。溢れそうになるつばを飲み込みつつ、人間がてのひらを合わせる仕草にならい、二本の蔓を擦り合わせて頭を下げる。


「すこし、後ろ向いてもらっていいですか?」

「……はいはい」彼女はめんどくさそうに答えながらも背中を見せてくれた。「で、後ろ向かせてどうしたいの」


 フーカが言葉を発するよりも先に伸ばしきっていた蔓を振り上げ、無防備な背中を目掛けて一閃させる。

 隙ありです。

 日頃の手入れで短く整えられた荊棘の先端が、彼女の肌を覆い隠すバスタオルのみを切断した。

 風圧に驚いたフーカが振り向こうとする。そうはさせるものかといった勢いで反撃の芽はんでやる。捕食者のプライドだ。


「あっ、あのっ! 失礼しますッ!」


 私は、フーカの全身を文字通り丸飲みにした。事前に疑似関節を外しておいたので見た目よりも容量に余裕がある。

 食べるつもりは毛頭ない。でもいきなり口内に放り込まれた側に伝わるわけがないか。

 私のなかでもごもごと動く。無意味な抵抗が愛おしくなってきて、私はフーカ入りのあぎとを抱きしめた。どうせ怒られるので、今のうちに執拗に舐めまわす。理由は省略するが、美しさを手に入れるために必要な行為だった。


「なにすんのよ! いい加減にしろッ!」


 魔法でこじ開けられ、粘液でべとべとの一糸まとわぬフーカが鬼の形相でい出てくる。私はこっぴどく叱られた。



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