あなたの護りたいものは

 

 レブレ・ワイズマン。数カ月間にもおよぶ大規模な討伐遠征での「勇者勲章授与者」の一覧に記載されていた女性冒険者。

 勇者。人の世の平和のために命をささげた勇気ある者。転じて殉職者に与えられる勲章だ。

 へドリス王宮に仕える宮廷魔術師の養子であること。失魔症でありながら冒険者に合格した女性であること。この二つの話題性が大きく、師団は彼女の勇姿をたたえた映像写真とあわせて大々的な報道をおこなったようだ。

 彼の幼馴染とはいえ私との面識は皆無で、本来は餌である人間のめすのうちの一人に過ぎなかったため、当時はどちらかというと紙面に映像をる魔法――人間が生活向上を求める過程で編みだした自然界にはない魔法――の物珍しさのほうに気を取られていた。けれども彼女の過去を知り、言葉にして、私は胸に迫るものを感じた。

 人間同士が感じるそれと比べるとつたないのかもしれないが、しかし確かに芽生えた感情があった。


「そうだ」とジェイドが首肯する。


 張りつめた空気。静寂にともなう緊張感。それを塗りつぶすように店の奥からフーカの弾んだ声がした。話し相手の彼も笑っている。

 私たちの会話が聞こえていなかったみたいで安心する。深刻な話でありながらジェイドは〈遮音〉の魔法を使わなかったので、二人に聞かれてしまってもよかった、あるいは聞かせたかったのかもね。工房にかくまってもらった日の夜、彼に新聞を読ませたがっていたのは他ならぬジェイドだ。

 友人か、それ以上の関係にあった人物の訃報ふほう。それを隠そうとするのも、しらせようとするのも自然な選択だろうね。

 ジェイドは後者を選んだ。おそらく選ばざるを得なかった。私の直感が正しければ、その理由は一つ。

 

「かれはレブレさんを取り返そうとしていたんですよね」


 地位や名声には興味がなさそうで、それでいて彼が今でも売れようともがく理由。彼の絵が苦しそうにうめく理由。フーカへの負い目だけでは説明しきれない動機。

 私のなかで全てがはまっていく。地中深くに根を張りめぐらせたときの達成感じみたものにも包まれる。

 

「それ、あいつに聞いたのか?」


 驚きを隠さずにジェイドがき返した。半分機械なので表情だけでは判断しづらいけれど、魔力の調子がはっきりしているタイプの人間で、私からすると喜怒哀楽が筒抜けだった。

 一方でフーカの魔力は完璧に整えられていて、感情を読み取ることは魔物の私でも至難のわざだ。でも感情の起伏が激しいのですぐに分かる。

 魔力がゼロである彼は読み取りようがない。冗談めかして振る舞う癖があって本心を内側に隠している節もある。だが彼のことはよく分かる。私はつるを胸のほうに引き寄せた。


「私が一番、かれをみているので」


 ジェイドの言葉を借りることにした。山火事の際に自分の命ですらかえりみずに助けにきてしまうような、馬鹿な彼ならきっとそうするだろう。彼は、私のいちばんだから。心の内を言い当てるなど光合成よりも簡単だった。


「自分の絵で成功して、そんでレブレを買い戻す。馬鹿げた夢……もしくはガキの妄想だ。でも本気でそう思っていたんだろう」

 

 彼はレブレを救いたかった。だから彼女が帰らぬ人となった時点で、彼は絵画に固執する理由を失ってしまった。

 もはや死に体の芸術。道理で気づかせようとしたわけだ。


「典型的なだめ人間」

「ははッ、言うじゃねえか。しかしクエレのいいところでもある。俺たちは一足先に大人になっちまった。それだけの違いだろうな」

「かれだけが取り残されてしまったともいいますよね。とても……」


 普通の人間は、ジェイドのように折り合いをつけて生きるものなのだろう。彼はそれができなかった。

 不器用で賢くない生き方。なのに愚かだと言い切るにはあまりに誠実で、私は続く言葉を飲み下した。


「……クエレは十分頑張った。もう自由になってもいいんだ。もっというと、夢を諦めてもいい。レブレが冒険者になって、あいつが筆をいたとき、いよいよ腑抜ふぬけちまったわけだが、俺は一向に構わないと思った。レブレは許さなかったみたいだけどな」


 ジェイドは金属の腕を組み、懐かしむように笑う。彼は、「助けてやる」を無責任に言っちゃったんだろうね。期待だけさせて、急に諦められたら誰だって失望くらいはする。

 私はあぎとを持ち上げ、ゆらゆらと左右に揺すった。端的にいうと飽きてきちゃった。回想も長かったし。ゆらゆら、ゆらゆら。


「まぁ描いてますけどね」と私はいった。


 彼との日々は絵をながめた日々でもある。そんな私にとっては、筆を置いた彼の話をされてもピンと来なかった。


「……そういやなんで描き始めたんだろうな。昔よりも気が楽になった……いや肩の荷が下りたように感じるが……おまえ知ってるか?」

「いいえ、まったく」


 言えないよね。彼は八十点とって私に食べられるために頑張ってる、とか口が裂けても言えない。

 

「クエレが変わったのはアイルと会ってからだったよな? おまえと絵、なんか関係あんのか?」

「私、絵いっぱい描きます。お絵描き大好きです」

「好きなのは肉じゃなかったか?」

「ソウデシタ! 人間以外のお肉が食べたいなぁ~……人間以外のッ!」

「おまえ嘘下手だな。白々しいにも程があるだろ」


 そこまでいうと、ジェイドはわずかに私との距離を取った。私はプランターから身を乗り出してつるわせる。これは逃げる獲物に対するアルラウネの習性で、特に意味はなかった。

 不快そうにしたのをみて、さりげなく引っ込めておく。思いのほか悲しい。悲しいけど正常な嫌悪だ。彼に慣れすぎて忘れていた。即座に振り払われなかっただけましなのかな。


「クエレは読んでたか?」と店の奥を見やりながらジェイドがいた。

「読んでなかったと思います。今はわかりませんけど」

「ひとりになったのはいい機会かもしれない。あいつ、ひと前だと強がって弱音を吐かないからな」


 彼は弱音を吐かない。弱音を吐かない彼は、過去に一度、私に食い殺されたいと願った。

 今でも、彼の心はその願いに巣食すくわれているのだろうか。

 夢とやらを諦めたとしても、多くの人間には魔法がある。魔法はなんでもできる。時間も努力もいらない。その恩恵は死を惜しむにあたいする。

 幼馴染が亡くなってしまっている以上、彼の夢が叶うことは絶対になくなった。夢の代わりになる魔法は彼には使えない。友人たちが軽々とやってのけることを彼だけができないのだ。また死のうと考えてもおかしくはない。

 だが少なくとも今日は会いに来てくれた。私は、彼が死を惜しむに値するほどの存在になれているのだろうか。 


 ――僕がアイルにあげられるなかで、最も価値あるもの。

 

 その言葉はまるで、近いうちに彼が旅立ってしまうことを暗示する遺言に思えてならないのだ。

 


「あの……以前はご迷惑をおかけしました」と脈絡もなく口にした。なにか前後で喋っていたかもしれないが、思考にふけりすぎていたせいでいくばくの時間が経過したのかを把握しそびれた。小雨が降りだしたことはよくおぼえている。

 商品棚を物色中だったジェイドは、「おー」と男性にありがちな生返事を寄越した後、生身の手で後頚部をさすってこちらに向き直った。


「気にしてないぜ。クエレのことであんだけ取り乱せるってことは、おまえは信用に足る魔物だと見直したくらいさ」

「光栄です」

「おまえがそばにいれば、フーカの身は安全だろうしな」


 優しい声色だがどこか他人事のような口ぶりに、私はすこしムッとした。


「あなたのまもりたいものは、あなたが護りなさい」


 ジェイドは呆気に取られた顔をして、開花時期を迎えたつぼみみたいに徐々に破顔した。


「……アイルのいう通りだ」


 私も微笑む。アルラウネの私は強い。とても強い。膂力りょりょくも魔力も人間の比ではないくらいに。とはいってもジェイドが手に入れた金属の腕を肩代わりしてあげられるほどの力はないのだ。

 如雨露じょうろで水分補給をした途端に眠たくなってきた私は、プランターの台車を魔法で転がし、店内に設置された私専用の腐植土ベッドに身を投じた。


「最後にたずねておきたいことがあります」

「なんだ、いきなり改まって」

「あなたはフーカさんに愛されていると思いますか?」

「……クエレよりって意味か?」


 ジェイドはいぶかしむように眉根を寄せ、首をかしげていた。耳障りな金属音が雨音を打ち消す。

 私はそこにため息を混ぜてやった。


「そのようすでは、まだまだですね」


 意地悪な質問だったかなとも思った。答えらしきものを私は知っていたからだ。

 フーカは失魔症の治療薬の開発に注力するかたわら、アルラウネの再生力を転用した、偽肢レプリカに頼らない生体組織の研究も進めている。つまりジェイドの身体を元に戻すための研究だ。  

 植物のなかには体の九割以上を失っても再生できる種類がある。これは肺や心臓といった器官ごとの役割がないためだ。肺がなくても呼吸できるし、口がなくても栄養を取れる。さすがに九割を失って生きている植物は稀だが、真っ二つにられても生育環境が整っていれば平気だし、どちらも同一の個体に成長する。

 そういった植物の性質を持ちながら魔法生物でもあるアルラウネは、彼女の研究にうってつけの材料だったのだろうね。

 なんにせよ私の多大なる貢献に感謝してほしい。やや非道な扱いを受けていたりするがそれをとがめないことにも感謝してほしい。

 ひたむきに強さを追い求めるジェイドが間違っているとは思わないけど、フーカは二人が普通の生活を手にすることを願っている。

 幸福なすれ違い。

 フーカが彼を特別に想っているのは確かで、今も変わらず好意を寄せているのかもしれない。でもそれと同じくらいジェイドを大切にしているのも確かであり、私はその想いに差はないと思うのだ。

 真実を伝えよと拍動する善意と睡眠欲をはかりにかけ、結局、まぶたを下ろすことに決めた。彼女の愛には自分で気づくべきだと思うし、この男はしばらく空回りしてくれたほうが上手くいく気もするから。

 いつの日か。フーカの育てている小さな種が実を結び、ジェイドが強さを失ってしまうときがきたら、どうだろう。もらえる肉の量次第かな。



 夜まで眠るのは久しぶりだった。すでに二人は退店しており、枕元に裏返しの広告が置いてあった。薄い鉛筆の線で描かれた私の寝顔がうつっていて、笑いをこらえ、十点にしてやる。二回目なので大幅減点。

 今夜はくだんの研究に用いる素材を提供する日で、私はフーカの実験室で待機していた。

 これから実験材料にされるといっても、おぞましい話ではない。無駄に成長した部位を手入れしてもらうだけだ。人間でいうところの散髪である。実際、人間の背中におさまるサイズでいいからね。

 五分後。萌黄もえぎ色のローブを身にまとったフーカが入ってきて、「お待たせ」と声が掛かる。

 最初にいくつかの呪文を詠唱しては私にかけていく。いちいち気にしていないが、魔法への耐性を弱体化させるたぐいの魔法だろう。

 

「魔物ってさ。夢はみるの?」


 下準備を終え、根やら棘やらをカットしながらフーカがいった。


「みます。フーカさんを食べる夢」

「悪夢ね」と彼女は苦笑する。

よだれ垂らしちゃうくらいにはいい夢だと思いますけど」

「……じゃ、将来のこととか、理想の未来の意味のほうでの夢はあるの?」

「それ、私にする質問じゃないですよ」

 

 まず思い浮かんだのは絵画だ。すなわち絵描き。アルラウネの画家。どうもしっくりこなくて蔓で巻き取った空瓶をかたむける。

 第一、なりたいものが絵描きだったわけじゃない。私が絵を描き始めたのは彼の影響だ。

 人間を食べなくなったのも彼の影響だ。不相応にも愛を抱いてしまったのも彼のせいだ。

 えて言葉にするなら、彼のとなりに居たい、だろうか。その未来で私が人間の姿でいられたらもっといい。

 いかにもえがきやすい陳腐な夢だと思ったが、ひねりのないありふれた理想がぴたりとはまる。


「秘密です」


 本当の夢だから。誰にも教えたくなかった。


「そう」彼女は短く息を吐いた。「人間らしくていいんじゃない。あんたはまだ魔物だけどね」


 忘れていたが魔女に心を許してはいけない、というのはフーカから学んだことだった。


「フーカさんの夢はあるんですか」

「……あたしの夢はもう叶っちゃった」


 嬉しくなさそうなのは、どういうことなのだろう。たずねようとすると、彼女は杖をかざして魔法をいた。


「はい、お手入れ終わり。お疲れさま」とフーカは私の花弁を軽くでた。「どう。仕事は楽しい?」

「楽しいですよ」

「あんた人気あるものね」

「ルルシダさんが私と話すと長生きできるといってくれたので、本当にそうなったらいいなって思うんです」


 アルラウネに長寿の効能はもちろんない。どころか、先日、彼をうっかり毒殺しかけた。

 洒落にならない冗談はさておき、私との会話を目当てに来店する客層は一定数存在し、その人たちに笑顔を向けられるのは嬉しかった。

 樹齢数千を超えるであろう私たちと、たかだか百年程度の人間では「長生き」の認識に差はあるのだろうけれど、少しでも長く生きていてほしいと思っている。


「そうね。でもアイルがみてる笑顔は、あんたが生きるために奪ってきた命でもあるのよ」


 突き放すようにも、寄り添うようにも聞こえる口調でフーカはいった。


「あっ……」


 噛み殺した若い女の頭蓋の感触や、内臓を散らせて絶命した小太りの男、泣き叫び母親の亡骸にすがりつく男児。

 私が奪ってきたものたちが一斉に五感に蘇ってきた。人食いだ、人食いだ、と私はのたまってきたがそれがどういった意味を持つのか、完全に抜け落ちていた。

 

 そうだ、私は人間の命をらって生きてきた。まごうことなき怪物だ。


「あたしは責めてるつもりじゃないし、決して悪いことではないの。ただ、もしアイルが夢を叶える気でいるのなら、あたしたちと同じ土俵で生きる覚悟を持つということ。いつかは向き合わなくてはいけないことよ」


 無意識に振り向いた私がみたのは、専門書の表紙にかぶさるほこりを指の腹でぬぐうフーカの姿だった。

 著者はレイカ・エリクシャ。服役中の彼女の母親である。

 以降の記憶は曖昧あいまいだ。うの体でプランターに戻り、それから……。

 


 今日、私は生まれて初めて肉を食べなかった。

 翌日は体調が優れないことにして、仕事の手伝いを休んだ。だからといって解決するような問題ではないのは火を見るよりも明らかだったが、他にどうすることもできなかった。


 その日は食事をった。肉を食べた。空腹だったので普段の倍食べた。一日の休養によって何かが変わることはなかった。


 私は魔物だ。

 

 でも私の心は石じゃない。石じゃないから痛いし、悩んだりする。



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