私がいれば無敵です


「――ということがありましてね。以前よりも女性らしいカラダつきを獲得したと思いません?」と私は嬉々として彼に語りかけた。

 

 彼が顔を見せたのは正午を過ぎたあたり。フーカの店が定休日のため、彼女に〈風〉の魔法を教わろうとしたときだ。

 私たちがいるのは白煉瓦の家屋と石畳のみちからなる中心街。ほとんどが魔法の力で造られているので、見方によっては魔法の街ともいうかもしれない。表も裏も魔力まみれの通りにも慣れて、プランターの台車を転がすことも上手くなった。


「そうだね。どうりで今日はフーカと瓜二つな感じがしたんだね。ペットは飼い主に似るとも言うし、僕はそういうものかと自己解決していたんだけど……」


 彼は、正面の私とカウンター付近にいるフーカを交互に見比べて面白がった。最近は容態が安定してきたようで、息遣いは健康的な印象を受ける。

 アルラウネは発芽先の生態系に応じて擬態部の形状を変化させる能力を持つ。主食である人間が不在の場合に、他の生物のめすに為りすませる余地を残しているのだ。

 その不完全さを逆手に取り、今回のような手順を踏むことによって擬態の精度を高めることができる。以前は口内に入れた食べ物はすぐに溶解させていたし、そもそも着衣状態でしか人間を食べたことがないのだから、所々に人間らしからぬ表皮はだの色や模様などがまぎれ込んでいた。

 昼間の森では役立たずのあらさであり、たまに視力の弱い魔獣がだまされるくらいだった。

 ……ふふ、人間たちよ。存分に驚くがいい。私の容姿に失笑を浴びせられたのも一昨日までの話。

 進化をげた今となっては至近距離でだましきれるどころか、すれ違いざまに笑いかければ一目でとりこにしてしまえる。みにくい突起やかたすぎた皮膚ともおさらばだ。こうして貴重な生身のサンプルを入手できたのは、人間と暮らす私の特権といえよう。


「フーカさんの体臭も再現してます。ほら」


 私が香りを放つと、彼は身をかがめて匂いをいだ。


「ほんとだ。フーカの匂いがする」


 わわっ、思ったより近いです。久々の距離感にときめいていたら背後から本人に殴られた。彼もついでに。


ぐなッ、嗅がすなッ……!」

「痛っ、なにも僕まで本気で殴らなくても」と後頭部を押さえる彼。


 笑いだしそうになるのを堪え、私は涙声で訴える。「痛かったです……フーカさん……」


 ただの芝居なのだが、フーカはわずかに動揺して「あーはいはい。やりすぎたわ。ごめんごめん」と適当に謝りながら甘やかしてくれる。


 彼女は私にとても甘い。暮らし始めは意思疎通できる魔物程度の扱いだったけれど、いつからか情愛の片鱗を見せるようになり、私は味をめた。


「少しばかり嫉妬するよ」私たちの様子を眺めていた彼がぼそりと漏らす。「出逢ったのは僕のほうが先なんだけどな」

いてもそねんでも返してやらないわ。あんたの肥料じゃ、アイルがだめ人間二号に育っちゃうから」

「だめ人間にはなりたくないなぁ~」

「そっくりなのは見た目だけだと油断してたよ」


 彼は肩をすくめて降参した。見計らったように横殴りの風が吹く。フーカは乱れた髪を耳の後ろにまとめ、風除けの魔法を私の花弁にかけ直す。顕花けんか植物でいうところのやく――花粉のうを封じるためだろう。

 私の花粉や唾液には毒性魔力が多く含まれている。彼が近くにいるときは、気をつけるように言われていたのだった。


「クエレはうちに何しにきたの。薬は渡したばかりで、今日はお店も閉まってるのに」


 留守にしてたらどうするのよ、とフーカが呆れた口調で付け加える。私も大きくうなずいて彼をみた。


「私もこうと思っていました。休日にあなたが来るなんて珍しいですよね」


 そっか。じゃあ、僕の運はよかったんだね。などと暢気のんきなセリフで自賛した彼は、おもむろに伸ばした手で私のつるに触れる。


「たまにはアイルを連れて、近郊の都市に旅行したくてね」

「アイルを連れて?」とフーカはいぶかしむ。

「うん。区域外でも絵を描きたくてさ」彼は〈収納〉の魔道具を使い、お揃いのイーゼルを取り出した。「ついでに言うと、護衛の魔術師を雇うよりもアイルのほうが強いだろう」


 それを聞いたフーカがけわしめな表情をする。控えておくべきだとは察しつつも同行したかったので、「私がいれば無敵です」と支離滅裂な主張をしてやった。彼女の眉間のしわが深くなる。


「どこまで行くつもり?」

「トールストンの〈シンリョクの丘〉に行きたいんだ。風景画を描くにはうってつけだと美術誌で紹介されてたのを思いだして」

「ふーん、に?」

「どういうことだい」

「トールストンでは毎年、〈飛蝗虫ひこうちゅう〉による深刻な蝗害こうがいが問題になっている。シンリョクの丘はその発生源。植物のアイルを連れていくのは酷じゃないかしら」


 ある地方ではバッタとも言われ、農作物を食い荒らすので討伐対象に指定された昆虫種のことだ。

 樹木の季が過ぎるあたりで活性化し、稀に人間よりも巨大な個体からなる群れが出現するのだとか、しないのだとか。


「今年の個体数は例年よりも激減しているらしいじゃないか」


 なおも彼は食い下がる。


「妙ですね」と私はいった。彼の発言に引っ掛かりを覚えたのだ。「魔物の情報は……」

 

 突然、私の口がひとりでに閉じて喋れなくなる。すぐにフーカの仕業だと判明した。彼女は目配せをして首を縦に振った。


「アイルのことを考えてるなら許可しましょう。ただし日帰りね。それ以上はあんたの体調に関わるわ」

「安心してくれ。もともと日帰りの予定さ」

切符きっぷは用意したの?」


 フーカが彼にたずねた。

 ここでいう切符とは〈座標まど〉の魔法がかかった魔道具を指す。区域外へ踏み出す際の必需品である。

 

「往復分を買っておいたけど、市販の充魔器では出力不足だったんだよね」

「当然よ、生活用だもの」

「行きはフーカに頼んでいいかな」と彼は申し訳なさそうにいった。「帰りの分の指導をアイルにしてもらえると助かる」

「まったく魔女使いの荒いやつなんだから……」といってフーカが溜息を挟んだ。「アイル、〈地図〉をかけるから大人しくね」


 魔法は疲れる。肺の空気が重たくなるのは共感できた。脳内に入り込むあわい光。以前にかけてもらったのはへドリスの街を網羅した〈地図〉だったが、今回はトールストンという都市周辺のようだ。


「私に肺とかないですけどね」

「なんの話よ」

「いえ……アルラウネなりのジョークです。強いていうなら」

「はぁ? クエレに病気でもうつされたの?」

けなすならもっと自然な流れでお願いできるかな」と肩を落としていう彼。

「自然にけなされるのは構わないのですね」

「うん。褒められる僕よりは、貶される僕のほうが似合うと自覚してる」


 そのやるせない表情をみて、フーカの機嫌は明らかによくなった。彼の溜息は肥料なのかも。

 だからこそ彼が望んで愚か者を演じている可能性は大いにある。

 ……と言いたいところだが、あのひとがそこまでの気を利かせられるとは信じがたい。ジェイドなら信じた。

 働きだしてわかったけど、だめだめなキャラクターをよそおうだけのひとは、私情で友人をアテにしたり家賃滞納したりしない。さらに言えば彼は芸術家であり、芸術家という肩書きは身勝手な人生の成れの果てだ。そんな彼の言動に他者への配慮などこれっぽっちもあるまい。

 でも二人は仲がいい。

 根っこの部分はまっすぐで幹はぐにょぐにょの彼と、とげとげしい見かけで樹液は甘ったるいフーカ。似た者同士ではあるか。ほんのちょっぴりね。

 なにやら湿気をふくませたような視線が刺さる。温かい目で二人を見守っていたつもりだったのに。


「さ、次は切符の使いかたね。……といっても、この紙切れに適量の魔力を注ぐだけで、他に説明のしようがないのよね」


 彼女は困ったふうに唇をとがらせると、切符をひらひらとあおいでみせた。つい先程、彼の古びたバックパックから魔法で抜き取ったものだ。

 魔道具である切符は無機物。無機物は疲労しない。ゆえに込めた魔力次第でどこまでも瞬時に移動できる。

 という説明をしながらフーカは杖を切符にあてがい、如雨露じょうろで水りをする程度の勢いで魔力を流す。彼女は、えて杖を逆さに持つことでの自身の力を弱めていた。杖の素材である〈マナの木〉は魔力を通しやすい方向が決まっており、性質に逆らえば魔法の威力が減衰する。水が飲みたいからといって滝の真下ですくうのは過剰であるのと同じで、魔法は強ければいいというものではない。

 ともかく要点は把握した。私のつるは〈マナの木〉よりも抵抗力が高く、魔力の伝達効率が悪い。フーカよりも少々出力を上げ、その他は手本通りに魔力を流した。


「こう……? あっ、あれれっ……あぅ……」


 私が魔力を込めるとみるみるうちに切符が膨張していった。なんだか異常に熱を帯びてます。ヤバいやつじゃないですか?


「わーっ! 入れすぎ入れすぎ!」あわててフーカが止めに入る。「あたしたちごと消し炭にするつもり?」

「ち、違うんです!」


 私は大声で否定した。絶対におかしい。魔力の操作に関しては器用なほうなのだけれど。


「まぁまぁ。アイルは魔物だし、切符との相性が悪いんだよ」

「……そうね。普通、魔力量を間違えたところで爆発まではいかないか。わけわかんない場所に飛んじゃうくらいで」

「それも十分に大事故だと思いますが」


 冷静に突っ込む。すると彼は小さく笑って腕を組んだ。


「昔は切符による遭難が後をたなくてね。今ではちゃんとブレーキにあたる魔法が組み込んであって、誤作動を検知したら魔術師が救出に向かう。どうもアイルの魔力には作用しなかったみたいだから、単純に魔物の力は想定外なのか……人間以外の魔力を込めると爆発するように設計してあるかだね」


 フーカがわざとらしく口元を手で覆う。


「あら。クエレにしてはまともな考察でびっくり。知性ある魔物による悪用回避のため、あたりが妥当よね」


 きみは僕をなんだと思ってるんだ。今にも聞こえてきそうなほどがっくりと項垂うなだれる彼をの当たりにし、私の口角が上がる。

 私たち捕食者への対策をおこたらないのは優秀で何より。しかし困った。移動魔法を未習得であることがやまれる。

 

「帰りは徒歩……?」

「ははっ、いいかもね。僕の足なら二十日も歩けば帰れそうだ」


 何も考えてなさそうな口調で彼はいった。日帰りと釘をされてましたよね? どうしてこうも自信満々でいられるのでしょうか。


「いいわけあるか! タイムリミットがあるってのに……大体ね、トールストンで〈飛行艇ひこうき〉に乗るなり、切符を買い直すなりすれば一晩の野宿で済むでしょうに」

「あぁ! フーカは賢いね」

「おまえの計画性が皆無なんでしょッ! 馬鹿にしてんの? ま、今回はそれでも体調面はあやういわ。アイルに〈狼煙すず〉の魔法をかけておくから、適当な時間に合図しなさい。あたしが迎えにいってあげる」


 クエレさん、ついに「おまえ」呼びに格下げです。でも彼が誰かに怒られていると胸の中心が温まる。これも愛だろうか。降っていた問いへの返答は得られぬまま、〈狼煙すず〉の魔法がかけられる。


「難解な魔法ですね」

「戦闘用に開発された魔法は構成がややこしいのよ。効力自体は単純で、あんたの肌で感じた通り」


 居場所を知らせる戦闘魔術。専門的な機関で学ぶはずの魔術師の魔法だ。これは彼女が、過去のいずれかの時期に魔術師との接点を持った事実を示唆している。

 芽吹きかけた疑念は、次のひと言によってき消された。


「トールストンは〈狩人ハンター〉と呼ばれていた人々の土地。マンドラゴラと間違われて密猟されないように保険まほうをかけておくわ……悪く思わないでね」


 アルラウネの私の姿が、群青の髪の少女に変わる。人間モデルの変わり身の魔法。フーカをした擬態部が引きった。

 ニンゲン。

 ヒト。

 私がなりたくて、いちばんなりたくないもの。素直な気持ちでこの姿を受け入れるなど到底できなかった。


「かわいいよ。アイルが人間だったら、きっとこんなふうに空の色をなびかせているんだろうね」


 彼はそういって、両手で群青の髪をくしゃくしゃにしては丁寧にいた。浮かない顔の私を元気づけようとしてくれた優しさは伝わった。

 こたえて笑おうと努力したのだが、どこに力を入れたら笑えるのか分からず、調子のはずれた声が響いた。

 一音一音がただれ落ち、石畳の溝に積もった砂泥に吸収される気さえした。ややあってフーカは彼のもとに歩み寄り、手の甲に自分の指を重ねた。大胆な行動に気を取られ、彼女の指先でらいだ魔力を見逃してしまった。


「……最近、竜の出没する回数が増えたと聞くわ。へドリスの森も、南の海岸も、トールストンの上空も……。魔女の勘というやつかしらね。魔力のないあんたの未来は〈予知〉できなくて、はっきりと言えないけれどねばついたものは感じる。とても嫌な胸騒ぎが……」

「僕らは大丈夫だよ。竜たちは理由もなしに他の生き物を襲わない」

「ほんとうに?」


 さらにフーカは魔力をめた。発言の真偽をつまびらかにするたぐいの魔法だと気づく。


「ほんとうだとも。僕らはこの旅では血の一滴も流さないし、死のさだめにも屈しない。呼吸を止めてもながらえて、飲まず食わずでも生還する。隕石いんせきの落下にもアイルが対処してくれるさ……たぶん」


 知ってか知らずか、誰にでもわかるような嘘を彼はついた。断言してますが隕石は無理ですよ。みえたら死んでますって。

 肺がひっくり返りそうなほど深いため息に、ふふっ、という苦笑いを被せたフーカは、そっと指を離して私の頬に当てた。すこし冷たい。

 あきれて物も言えずにいた私を〈浮遊〉させ、プランターの外側に慎重に着地させる。

 少女の姿になった私は、自力で直立できることを忘れていた。立ち上がるという発想がなかったのだ。

 華奢な足で地面を蹴りつけて感覚を確かめていると、フーカの視線を感じ取った。目が合う。恥ずかしくなって逸らす。


「アイル」名前を呼ばれ、肩に力が掛かる。「楽しんでらっしゃい」


 何を、とは言わなかった。ただフーカに肩を叩かれると霧が晴れていくようでもあった。


「はい!」

 

 そうしてフーカが切符を起動させる間際に、それとなく彼の顔色をうかがう。普段通りにみえて、強い意志が宿る瞳。

 十中八九、

 彼の生活圏内で、季節の魔物の詳細な情報をしるした媒体は、魔術師団が発行する新聞くらいなもの。

 私とふたりきりで旅行したいだなんて、随分と都合のいい話だとは思ってたし。いや、小難しい憶測は根の末端にでも追いやろう。

 別の場所へとつながる〈座標〉の光輪をくぐり抜けた愛しいひとの背中に向け、私は静かに誓いを立てる。

 たとえ泣いて頼まれても、あなたを食べてなんかやりませんから。






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