第1章・4

 祖母は有能な魔法使いで、若くして大統領となる。

 そのまま今まで540年職務についたままである。

 母は、その末娘であり、才能や知識をすべて受け継ぎ、すぐに官僚として入職した。

 むろん両人の魔法の才は、通常の魔法使いの枠にははまらぬほどに大きい。

 その偉業は、今でも語り草である。

 

 例えば、祖母は古の戦争で魔族と戦い、我らの国土を守った英雄の一人。

 例えば、母は呪符の書き方の方法を省略するという論文を提示した才媛。

 

 あくまでもこれは一例であるが、わたしとはあまりに違いすぎる。

 わたしには力がない。

 魔力がそもそもないのだ。

 ペンを持とうとも、あの布に文字を書くことができない。

 物の真名を何一つ聞くことができない。

 何もない。

 何もできない。


「アナタは、何が得意になるのかしらね」


 そう笑っていた母の期待は、すぐに打ち砕かれたのだろう。

 手に持たせたペンがついぞ帛書を生み出すことはなく、どんな物質の真の名を聞くこともできず、魔法を使うということに対しての能力が空っぽだった。


「アナタは、何ができるのかしらね」


 アナタは――――

 優秀な母と比べられる日々。

 あれは無能だと罵られる日々。

 祖母の優しさがなければ、わたしは世界に何の価値も見いだせなかった。

 今でさえ何とか生きている日々だが、わたしを真面目だと褒めてくれる祖母のことを否定するわけにはいかない。真面目に、どこまでも実直に、愚直に生きるしかないのだから。今までも、これからも。



       ◇


 

 都市の中心にある城から大通りを西門の近くまで下り、どう見ても寂れた、まるでスラムの入り口のような南側の路地に入り込む。油と金属、じめじめとした土の匂い。それに汗の臭い。

 リヒロたちが必死に生きる臭い。

 それの中を潜り抜け、目指す店を見つけた。

 古ぼけた金属の看板には、鉄くずと真鍮しんちゅうの廃材、ネジやナットで文字が書かれている。


『ヘイロン開発・技術商社』

 目指していた場所は、酷く薄汚れた場所だった。

 看板には、一応掃除された跡があった――とはいえ、それもだいぶ前のことのようで、ホコリや煤が降り積もっている――が、そもそもこの場所が良くない。油が燃え、蒸気の水の匂いが散らばっている。


「ここで良いんだよね」

「おい」


 どすの利いた呼び声と共に、肩に手がかけられる。

 酒臭い息が、鼻にまで届く。


「魔法使いが、こんなとこに何の用だ」

「手を離してください」


 しまった!

 そう思いながらも、その手を振り払う。

 大きくてごつごつした働く男の手だった。

 労働者街の男の多くが、魔法使いへの反感を持っている。

 特に、十分な報酬を得ることができていないものが、それに当たる。こうやって、昼から酒を飲んでいる者も。


「何様のつもりだよ。魔法使いの全てが偉いのかよ」


 肩を強引に掴んで引っ張られる。

 わたしよりも、頭一つほど大きな赤ら顔の男だった。

 酒の嫌な臭いが、顔を直撃する。


「……」

「なんか言ってみろよ」

「ここの店に用があるだけです」

「なら、余計に入れるわけにはいかねえ、労働団体の代表にケチ付けようってんだろ?」

「は?――」


 いや、ダメだ。反感を買うだけだろう。ここは穏便に。


「いえ、違いますよ」

「うるせえ!」


 男はそう言って、私を力強く突き飛ばす。

 その力は、かなりのもので私はヘイロンの店のドアに叩きつけられた。

 肺の中の空気をすべて絞り出され、地面に倒れ込むことしかできなかった。


「ざまあねえな」


 ぼんやりした世界の中で、わたしが倒れ込んだことは無意味ではなかったようだった。

 直後、わたしを突き飛ばした男が通り向こうの壁に叩き付けられた。

 ドアから飛び出した長い足によって。

 男はわたしよりも酷いかたちで頭から壁にぶつかり、白目をいて、気絶してしまったようだった。口からブクブクと泡が漏れている。


「おめえのが、うるせえわ」


 女の声だった。

 ハキハキとした若い声。

 彼女は、顔をのぞかせて、私を見る。

 ざっくりと切った黒髪に、大きく黒い瞳。日に焼けた褐色の肌。

 わたしたちとは違う健康的な美しさ。


「大変だったな、あんなんに絡まれてよ」


 彼女は手を差しだしてきたけれど、その手を握るほど体に余裕はなかった。背中は痛いし、まだ呼吸も正しく出来ていない。なんでこんなことになっているんだろ。


「まだ動けないか、貧弱だなあ」

「……」


 貧弱って。

 彼女はドアの中に引っ込んで、


「おーい、エディル手伝ってくれ」

「……」


 男の声がして、彼女と小さな男が出て来た。

 いや、リヒロの男ではない。さらに小さく、顔の半分以上がひげおおわれている。

 ――ドワーフ。

 北の山の、ドワーフだ。

 背が低く、髭が濃い。小さなボタンのひとつさえ美しい装飾が刻まれている。彼らは金属加工の技術に長けており、怪力で知られている。そのベストからはみ出した腕は、わたしの足より太く、筋骨隆々だ。


「ユール、この子を中に入れればいいのか?」


 背の高い女の子に、話しかける。


「こんなとこに、女の子を置いとけないだろう?」

「なんで、そんな女心が分かるんです?」

「そりゃあ、オレも女の子だからな!」

「ああ~! そういえば」


 ユールと呼ばれた女の子が、ドワーフの頭を小突く。

 さすがにその頃になると、わたしの呼吸もだんだんと整ってきていた。


「だ、大丈夫です」

「ああ、大丈夫だったか。魔法使いは、貧弱だから骨でも折れてるかと」

「貧弱って――まあ、否定はできないんっ……ですけど。とはいえ、み……店の人にあえたのは、幸運でした」

「ん? 何か用か?」

「ええ……ヘイロンさんの発明についてお話が」


 そういうと彼女は急に真顔になる。

 くいっと顎で、中でという仕草をする。

 立ってみると、わたしよりもさらに背が高いのが分かる。

 見たところ、かなり若そうな子だ。わたしと同じくらいにも見える。

 けどまあ、魔法使い族は長寿だし、簡単にリヒロとは比べられない問題もある。

 あくまで、見た目だけ。


「あー、どこもかしこも散らかってっからなあ」


 短く切った頭を、豪快にばりばりと掻く。

 袖なしの作業着からはみ出した腕には、筋肉の美しい線が見えた。

 わたしたちの体の細さとは違う美しさが、そこにはある。何だろう……カッコイイと思ってしまう。浅黒く焼けた肌。

 そこに女の子らしさは無いけれど。

 このローブを捲り上げる、わたしの細くて白い腕はやはり頼りない。

 その仕草が、どうも気に入らなかったのか。彼女の眉がぴくりと動いた。


「わたしの方が、白くてキレイってか?」


 ぎろり――にらまれた。

 怖いくらいに、鋭い瞳。

 そんなことは微塵も思っていない。むしろ何もできない、このわたしの細腕よりも頼りがいのある良い腕だ。

 そんなことは、ない……という言葉が出てこなかった。

 口が動かなかったから。


「無視かよ」


 彼女は店に入って行く。

 わたしは、しずしずとそれに続く。

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