第1章・3

 出されたお茶に手をかけようと思ったが、外で友人が待っているのを思い出す。


「あ、いけない。テルトも呼ばれているんですよね?」

「テルト……。ああ、あの子か」

「今、部屋の外で待ってもらっているので、交代しますね」

「ええ、わかったわ」


 トーをこっそりと紙で包み、懐に入れる。

“そこ”への移動中に食べるつもり満々だった。

 二つ包んでテルトにも上げよう。

 ちゃんと事例も懐へ。そして、失礼しますと部屋を出て行った。

 

 おばあちゃんがテーブルをトンと叩くと、机に広げられていた食べ物もお茶もすべてが消えた。高度な魔法力がそうさせるのか、この部屋の何がそうさせるのかは誰にも分らない。

 だが、基本の四つの属性――火・水・風・土――のいずれにも入らない魔法であることは確かだ。


「失礼いたしました」


 わたしと入れ替わりで、テルトが入る。


「失礼します」


 部屋の外で待つしかない。

 一応絨毯に座っておこう。何かの間違いで飛ぶかもしれないし。


 ――。


 当たり前だがぴくりとも反応せず、まるで登山者にでもなったかのように座り続けるしかなかった。

 強い風が体温を奪っていく。

 テルトも寒かったんだろうな。


「失礼いたしました」


 後ろから声が聞こえた。

 振り返ると、彼女の手には何か大きな紙が握られていて、それをくるくると丸めながら部屋から出てくるところだった。辞令? とも思ったが、それはわたしが貰った紙とは大きさが違いすぎる。

 何だろうとは思ったけれど、それを詳しくは聞かなかった。

 ただ「これ上げる」と言って、トーを彼女に渡した。

 彼女も特に大切な言葉を話すわけでもなく、

 わたしたちは、下へと降りて行った。


 彼女はそのまま秘書室へ戻り、わたしはきつい登山の復路をすでに棒のような足で降りていく。今は、この疲労感こそがちょうど良かった。新しく任命された仕事には、どちらかというと不安しかなかった。あとは、責任への重責とか、新しい道を作る担当の緊張とか――初めてわたしに任された仕事であるが、ゆえに重圧が……

 でも、頑張らないと。

 おばあちゃんに、心配かけてもいられない。

 


 

            ◇


 

 ある者の話をしておかねばならない。

 名を、ヘイロン・パパノ。

 変人として名高い、城下町の技師だった。

 非魔法使い族――通称・リヒロ――の仕事といえば、多くは行商人や農業従事者になる。逆に、教育や行政などと言った職業に、非魔法使いは就くことができないという決まりがあった。

 そんな中で、ヘイロンは新たな仕事を作りだした男である。


 彼が若いころから、魔法使いにしつこく付きまとっては技術の粋を学び、さまざまな知恵を得たものの、それをそのまま鵜呑みにすることを拒んだひねくれものだったらしい。

 これはおばあちゃんの談。

 彼女もまた若い頃のヘイロン氏の標的になったらしい。

 変人というのは、たしかにそうだが、実際に彼の発明はリヒロには希望となった。

 今まで魔法で起こしていた火を違う方法で起こして見せ、とある石が火を噴き出すことを知れば、それを採取して家庭用の火起こし機を作り出した。山から流れ出す川の流れを変え、都の中を通すということを考え付いたのも彼らしい。

 もともと魔法使いが嫌いなのか、いくつかの魔法使いの仕事を奪ったために恨まれたのかは分からないが、どうも魔法使いとは未だに犬猿の仲となっている。

 今まで作りだしてきた発明品は、多くリヒロたちに親しまれた。

 それは金を出して毎回呪符を作ってもらうことよりも「楽」だったから。

 だが、物はいつか不調になるし、壊れる。発明品を直す仕事も同時に作らなければならなかった。

 それが技師の始まりである。


「『技師』の仕事場を尋ねてみろって……」


 街には、魔法以外のものも溢れた。

 わたしは、地図に従って、城下にあるその場所を目指す。

 城から四方の壁へと伸びる道のうち、西側の道を下って行く。

 西から南の方角は、リヒロの多いひっそりとした街が広がっている。

 いや、それももう過去の話だろう。今や開発の特需に沸く、他の地区よりも活発な街になりつつある。他の街では例の布の不足で、夜の街灯に回す札もないというほどに困窮している。


「機械仕掛けの明かりが必要なんだろうけれどね」


 すぐ側で作られていたのは、先ほどの火起こし機を発展させた街灯だ。火を噴き出す石と熱を加えることで多くの光を発する金属、それに油を組み合わせ生み出されたランプ。それをさらに大きく、長く光が持つように改造したもの――らしい。

 技師の仕事は増すばかり。

 それに加えて、わたしたちの力は衰えている。

 わたしのように力の使えない魔法使いもまた増えている。

 通りの向こうで、男が新聞を持って走る。印刷する技術もまた最近になって生まれた。


「号外でーす」


 紙を撒く男。

 風に舞う、紙を一枚掴んだ。


『貴族院と衆議院、軋轢深まる――議会一時小火騒ぎ』


 これは、誰かが魔法を使ったな……、もう後はないというのに。

 リヒロの売り言葉を、いちいち買っている場合ではないのだから。

 圧倒的有利を誇っていた魔法使い族の政党とリヒロの政党が、争うカタチになってきた。

 冷静に見れば魔法使い率いる貴族院の力は落ちている。求心力も同様に。

 対してリヒロの衆議院は、力を付けてきている。

 今は、政治も非常に難しい局面だ。

 これは町の様子を見れば明らかだった。

 星読の魔法使いが行う、占いの店にはまったく人がない。

 逆に、技師が作ったという新しい技術を店頭販売するという店には黒山の人だかり。

 あんまりではないか。

 はあ――とため息が漏れる。そこに、


「あの、魔法使い様ですか?」


 と尋ねるしゃがれた男の声。

 わたしは、とっさに「はい」と答えてしまった。


「ああ、良かった」

「何がですか?」

「いえ、私の村の湧水の呪符が切れかけておりまして。それを書き直していただきたく参上したのですが、どの魔法使いの方も書けないと言われ」


 ああ、そういうことか。

 だが、国に蓄えられている呪符の少なさに断られたのだ。


「お願いします、魔法使い様!」

「すみません、わたしには」


 わたしには書けない――そんな言葉は喉から出ず、わたしは逃げた。

 情けないほど、無様に。

 置いて行かれた哀れな老人よりも、哀れに。

 わたしは逃げた。

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