第17話 八星弾肉幻影拳

 俺の悲痛な叫びの中、アスモは勝利を確信した笑みを浮かべながら、鋭い爪をオタク君に向かって振りかざした。


 俺は今から起こるであろう惨劇を目にしたくない為、目を閉じる。


 しばらくの静寂の後、今まで傍観していた野次馬達から『うぉおお!』という感銘の唸りが聞こえた。


 その声と共に恐る恐る目を開けると、そこには思ってもいなかった光景が広がっていた。


 何故なら、目の前にはさっきまでいた場所から移動し、アスモの後方で悠然と立っているオタク君と、余裕を見せていたアスモが冷汗をかきながら、片膝を地面に付いていたからである。


「きっ、貴様……。今、何を……」


 そうだ。俺も知りたい。目をつぶっている間に、何が起きたのかを。


 すると、オタク君は澄んだ瞳でアスモの方に振り向く。


「ふっ。思い込みとはこれ程までに怖いものか? ……先刻、貴殿は我々を肥えた醜い豚どもと言った。しかし、貴殿は一つ誤解をしている」


 誤解? オタク君は何か凄い事実を隠しているのか?


「まっ、まさか! 貴様は! 貴様達は!」


 えっ、何? 彼らは何なの?


「そう! 我々デブはデブでも、『動けるデブ』なのだよ‼」


 えっ?


「くっ、貴様たちが噂に聞く『動けるデブ』とは!」


 えっ、だから何? さっきからなんか二人とも納得している空気ですけど『動けるデブ』って何なの?


「この脂肪の塊も、周りの我らに対するイメージに応える為の物。決して惰性で付いたものではござらん。ありとあらゆる苦難を乗り越え手に入れたもの。そう! 言い換えればこの脂肪は我々にとっての戦闘服!」


 戦闘服? それってそんなにカッコいいものなの? っていうか、苦難を乗り越えて手に入れる程の価値があるものなんですか、それは!?


「くっ! 貴様達が『動けるデブ』と分かった以上、もう手は抜かんぞ。覚悟しろ!」


 アスモは先程とはうって変わって、真剣な表情でオタク君に飛びかかった。


 すると、オタク君はまたも笑みを浮かべると、その場から瞬間移動した様な速さで消え、またもアスモの後方に移動していた。


 それと同時に、アスモはまたも何かしらのダメージを受け、地面に片膝を付く。


「くっ!」


 そんなアスモを見たオタク君はどや顔をしながら一言を放った。


「ただのデブとは違うのだよ! ただのデブとは‼」


 俺は目の前で起こっている事に驚愕していた。


 ……というか、オタク君凄すぎね? 強すぎだろ! 


 ……というか、俺完全に要らない子だろ!


「にっ、人間風情が! 調子に乗るなああああああああ!」


 完全に流れがオタク君に傾いたと思った瞬間、アスモが雄叫びを上げた。


 するとアスモは、背中から黒くて大きい翼を生やし、額からはもう一つの赤い目を開き、舌は蛇の様に伸びばし、いかにも悪魔じみた風貌に変形した。


 その異様な形態に、オタク君達は危機を察知したのか表情を引き締めた。


「皆殺しだ! 下賤ども!」


 アスモが見境なくオタク君達に襲い掛かった。


 すると、オタク君とその仲間達は身構え、瞬時にその場から様々な所に高速移動を始めた。そのスピードは凄まじく、目にも止まらない。


 アスモも同様らしく、周りをキョロキョロと忙しなく三つの目で動きを追っている。


 そんな状況に嫌気がさしたのか、アスモが適当に様々所に向かって鋭い爪を振り抜く。


 すると、その風圧で地面が裂けだしその威力を見せつける。


 そんな威力のある攻撃がたまたまかどうかは分からないが、オタク君の仲間の一人に当たった。


「しまった!」


 俺はやられてしまったと思い、思わず声を発してしまう。


 しかし、アスモはイラッとした表情を見せた。


「ちっ! 小賢しい!」


 俺はやられたはずのオタク君仲間の方を見ると、風圧で切り裂かれたはずの体が、まるで蜃気楼の様にふやけて消えていった。


 アスモが切り裂いたのは、オタク君仲間の残像だったのである。


「いや、凄すぎだろ! というか何あの動き!? 彼らって本当に普通の人間なの!?」


 俺がオタク君達の動きに驚いている時、俺の隣に一人の長い白髭を生やした老人が、杖を突きながら歩み寄って来た。


「あ、あの動きは……いや、だがあの技は伝説の……。しかし、そうとしか思えん」


 何処から出てきたか分からない隣の爺さんが、何か含みのある言葉を額から汗を流しながら発する。


「えっ、あの動き?」

「うむ。あの動きはかつて二千年もの昔、ある暗殺拳を極めた八人の男達が、ある強大な敵に打ち勝たんが為に己の身を巨大化させ、編み出されたという幻の技『八星弾肉幻影拳』じゃ‼」


「はっ、八星弾肉幻影拳?」


 その技名を口にした爺さんは、何か知った様な感じで深く頷いた。


「あの技は、受けている者からは七人の姿が見え、まるで七つの星を見ているような錯覚に落ちる。……しかし、この技の恐ろしい所はその七つの星を見ている内に、八つめの星を目にする事になる。その時! それを目にした者に、致命の拳が降りかかるのじゃ!」


「何それ、完全にバトル漫画に影響されてるじゃん! というか爺さん誰? 何でいきなり解説始めるの!」


 突然現れた爺さんにツッコミを入れている時、アスモの叫び声が響いた。


「ぐぅおおおおおおお!」


 そこには八つめの星を目にしたであろうアスモが、苦悶の表情を浮かべながら両手を地面に付けて倒れそうになっていた。


「ふっ、この技を受けて倒れなかったのは貴殿が初めてでござる」


 何、初めてって? こんな技普段から出してちゃ駄目でしょ。


 その言葉を聞いたアスモは、笑い声を上げながら立ち上がった。


「ハハハハハッ。人間よ。なかなかやるではないか。しかし、その技が貴様らの最後の手とみた。それを耐えた今、ここからは吾輩のターンになる。覚悟しろ」


 確かに、アスモの言う通り先程の技でオタク君達の息は上がり、体力を相当消耗しているように見える。


 しかし、オタク君はニヤリと余裕の表情を浮かべた。


「最後の手? 貴殿は大事な事を忘れてはござらんか?」

「大事な事だと?」


 俺もアモスと同じ様なことを思った。


 大事な事? まだ彼らには奥の手があるというのだろうか?


 そして、オタク君は指を天に掲げ、自信満々な表情を浮かべながら叫んだ。


「そう。我々にはまだ最後の将『アルティメット・ラブマスター』がいることを‼」


 そう言い、オタク君は天に掲げた指を俺に向かってさした。


 その言葉と共に、アスモもこっちを見てくる。


「…………貴様…………まだいたのか?」

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