第8話

「あの、私どうしたら?」


「無ければ作ればいいだけだな。小細工は必要になるけど」


 簡単に証明書を発行するとは思えない、けれども何かの考えがあるようでマリーは難しい顔をしていなかった。


「この国の制度を利用しようと思う。ちょっとした寄付は必要だけどね」


 微笑むと何か面白がっているような目をする。わけもわからずに教会へと連れられて行った、確かに教会の証明書ならばどこでも有効だろう。簡単には発行しない、やはり責任というものがあるから。


「教会でおいそれと証明を出すとは思えませんけれど」


「まあね、普通なら拒否される。けれども絶対に拒否しないものがあるんだ」


「そんなものが?」


 不思議でたまらない、お堅い教会が一体どうして見ず知らずの者に証明書を出すのか。あれこれと想像してみてクリスが一つの可能性に辿り着いて頬を赤く染める。


 二人で司祭の前に行き「忙しいところすみませんけど、結婚の宣告を聞いていただけませんか」マリーが長椅子に座っている者達にも聞こえるような大きな声で、はっきりと司祭に申し込む。すると大きく頷いて姿勢を正した。


「今一度神の前で述べるが良い」


 心の準備も何も出来ていない内にまさかの事態に遭遇する。偽りではあってもそんなことをすることになろうとは思ってもみなかった、心臓が早鐘のようになり続ける。信者も殆どが起立して十字架の下に立っている司祭とマリー、クリスを見詰めていた。


「ジャン・マリーは病める時も、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも妻を愛することを誓います」


 司祭はうんうんと頷くと今度はクリスに視線を向けた。視線が泳いでしまい、何を言えば良いのか頭が真っ白になってしまう。司祭が小声で「名前と、私も誓いますと」難しく考えことはないと助言をする。


「クリス・カッパーフィールドも、お、夫を愛すると誓います」


 教会内に拍手が響き渡る、祝福される時とはこういう感覚なんだなと、ぼーっと変な感覚を噛みしめてしまう。


「神は二人を永久に祝福するでしょう。では誓いの口づけを」


 そういえばそういう儀式があったと思い出す。マリーは既にクリスを正面にして待っている、最初は願いの決意のキスだった。今度は不意に結婚のキス。本当の事ではなくとも胸が高鳴る、いけないと解っていても嫌な気持ちにはならなかった。


 クリスも正面を向いて目を閉じる。身を固くして待っていると、暖かく柔らかい感触があって、それが離れて行く。教会の中で盛大な拍手が巻き起こった。


「司祭様結婚証明書を、神前での誓いをしたと。それと二人の気持ちを寄付させて頂きます」


「よろしいでしょう。神は全てを見届けました、こちらへ」


 必要経費だと言わんばかりに爪金貨を手にして司祭の後ろを付いて行く。クリスはその間、やや顔を伏せ気味で大人しくマリーの後ろを歩いていた。


 決められた書式に司祭の署名、それにマリーとクリスの署名が行われて、印が押される。これで二人が誰かを教会が証明していることに繋がる。おいそれと使える手ではないが、こと二人に関しては丁度良い。


 出来立てほやほやの証明書を持って、教会を出た二人が街の宿へと入る。いつものように部屋は一緒、二人で一室。明日には国境を越えることが出来そうだが、どうにも落ち着かない。部屋に入るとマリーが声をかけて来る。


「どうかした?」


「いえ……その、何でもありません」


 どうかするでしょとどれだけ言いたかったか。


「国境を越えたら水の国イノンダシオンだね。そこまで行けばトーレ嬢も諦めるさ」


 そういえばトーレから逃げているんだと思い出す。忘れていたわけではないけれども、現状を思い出した。浮かれている場合ではないけれども、あまりに大事過ぎて気持ちがふわふわしてしまう。


「そう……ですね」


「他に短時間で出来る見込みが無かったからああしたけど、怒ってるかな」


「そんなことありません! いえ、怒るだなんてそんな。ただ、ちょっと驚いてしまって」


 それは驚くだろう、本人が知らぬうちに結婚宣誓などされたら。しかもあそこで断ることなどできようはずもない。ただ、出来れば偽りでなければなどと思ってしまったのは口には出さずにいた。



 期待していたのかそうではないのか、宿で何も起こることは無かった。そこはかとなく不機嫌……でもないが、気落ちしているクリスの心が解るならば、マリーも相当なものだろう。イノンダシオンへの国境は、教会の発行した証明書で通ることが出来た。


「ここは縦長の国だ、案外早めに抜けられるだろうね」


 それが曲者だとまでは言わなかった。杞憂であればそれでいいし、違うならばその時に明らかにすればいい。黒の顔料も今は落としてしまい、帽子を被る程度で旅をしている。クリスもローブだけで特に変装はしていなかった。いくつも国を越えてやって来たイノンダシオン、少し前までは考えたこともない長旅。


「水が凄く綺麗で緑も多い国ですね」


 かなり豊かな国だろうと思わせる景色。作物は豊富で日光が降り注ぐ街には、活気ある表情の人々が暮らしている。見たこともない木に色とりどりの果物がぶら下がっているから気になってしまう。


「ま、急いで通り抜けることもないさ。ここで一休みしていこう。明日の夕方にはサハラーに足を入れてるよ」


「でしたらあれを飲んでみたいです」


 クリスが指さした先にはフルーツジュースを出している屋台があった。ちいさく二度頷くとマリーは「俺もそう思っていたところだよ」笑いかけて来た。気になるフルーツを選んで好みのミックスを作る、想像していたのよりももっと新鮮で美味しいジュースを飲むことが出来て大満足。


 適当に選んだ宿に入るとマリーが誰かすれ違いざまに言葉を交わした。短髪の男で二十代半ばくらい、筋肉はあるけれどもそれだけという感じではない若者。


「知り合いですか?」


「いや、ちょっと道を聞いてただけだよ」


 サラッと流されてしまい、チェックインで同室を選ぶ。前程緊張はしないけれども、それでも異性と同じ部屋に寝泊まりするという事実を意識しなくなることはない。窓際に立っているマリーがカーテン越しに外を見ている。


「上手い事まけたと思っていたけど、見つかったようだな」


「え?」


「トーレ嬢の関係者だろうなあれは。運を天に任せて要所に張っていたなら、努力の賜物だね」


 急いで部屋を出てどこかへ行くものとばかり思っていたら、マリーがベッドに横になるものだから不審に思った。


「あの、逃げないんですか?」


 見つかったなら逃げる、それが普通の反応だろうと多くが信じているだろう。


「逃げるよ。でも昼間から無茶はしてこないさ、暗くなってからやって来るだろうから、それまで寝てようかなって」


 余裕で昼寝を選択する、どういう顔をしたらよいかクリスは解らなくなってしまう。一人で何が出来るわけでもないし、かといって眠ることも出来そうに無い。困り顔でいると寝息をたててマリーが気持ちよさそうにしているではないか。


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