第7話

「あの、申し訳ありません」


「言ったろ、こういう経験は俺の為でもあるんだって。投資だよ自分へのね」


 楽しそうにそんなことを口にする、肌の色を変えていても表情が変わるわけではない。もしここで見捨てられてしまえば、もう一人ではどうにもできないとクリスは痛い程知っている、そして出会って間もないけれども、マリーが決して見捨てないことも知っていた。


 遊んでいるわけではないが、何事も挑戦だと前向きなのが余計に辛い。どうやったら負債が返せるのか全く見えてこない。人混みから抜け出して肩を並べて歩く。


「私は祈りを捧げることしか出来ません。どうやってお返しをしたらよいのか……」


 何度も同じようなことを言い続ける、それでもマリーはその都度明るく気にするなといい続けた。それではいつまでもクリスの気が晴れないのをある時に認めて、こう提案した。


「一つ頼みたいことがあるんだけどいいかな」


「はい、私に出来ることでしたら何でもおっしゃってください」


 顔をあげて目を合わせる。多少のことは覚悟をしてだ。なにせアルフォンス王太子の件もある、距離をおいての付き合いなど男にとっては面白くない……だろうと。若干頬を紅潮させているのは自身でも気づいていた。


「風の聖女というと、やっぱり風を吹かせるのが得意だよね?」


 得意というよりはそれが出来る、そして他の事は出来ないとすら言えた。聖女とはそういう存在だ、派生する何かが出来たとしてもそれらは全て風を軸とするものばかり。


「ええ、こうだと狙って出来るわけでは無いですけれども」


 一カ所に集中して風を吹かせ続けるなどは無理な話で、凪いでいるところに強風が渦巻くならば出来ないこともない。そんなものが何の役に立つのかは不明だ。


「吹きさえしたらそれでいいんだ、それも出来ればそこそこ強めの風が」


 そこそこ強め、曖昧過ぎて想像もし辛い。草花の受粉でも誘うのかとも考えることが出来るし、行軍不能なほどの砂塵を起こさせるともサハラーならば考えられた。


「それはどういうことでしょうか?」


「サハラーの東には海があるんだ。都には港があって、そこに多くの外国船が入って来る」


 そこまで説明して少し間を置いた。考えさせるのが彼の常のようで、少しすると続きを口にする。


「あの沿岸は風が無く、凪いでいる時が多くて帆船が動かずに困っている。そこでだ、風の聖女が祈りを捧げることで海の交通が飛躍的に安定する。その為にクリスの祈りが必要だ、皆の為に働いてくれないだろうか?」


 多くの人が助かる、それも平和的な方法で。クリスが本来求めている形での風の加護の利用法、断る理由を探すほうが難しい。聖女とはそもそもこういう形で尊敬を受けて、神への信仰を集める者なのだから。


「喜んでそうさせて頂きます!」


 勢いよく返事をすると笑顔だったマリーが真面目な顔になった。


「そうか、ありがとう。ならそれに至るまでは俺が全て引き受ける、だからなに一つ気に病まないで欲しい」


 結局はそう言われてしまうが、何故か今はそこまで心が沈むことが無かった。未来に希望が見えたから、或いはこれこそが星の加護というものだろうか。


 そこでふと自分でもわからない感情がクリスを襲った。もし無事にたどり着いてしまったら、マリーはどうするだろうと思った時に寂しさが過った。理由はわからない。喜ばしいはずなのにどうしてか悲しみの方が先になってしまう。


「サハラーに着いたらですけど、マリーさんはどうなさるんですか?」


 少し顔を伏せて声のトーンも低くなった。不安の表れだろうかとマリーは受け止めた。何に対してそう思ってしまったかはわからない、ならば今と変わらない環境を少しでも維持してやろうと応える。


「そうだな、暫くは神殿に通って街の案内でもしようかって思ってた。お邪魔じゃなければね」


「海……見た事ありません」


 どうしたら良いか、真っ先に浮かんだ単語を必死に拡げようとしてそんなアピールをする。


「なら最初はそれを見に行くとしようか」


 先々の約束を取り付けることで心を安定させる。マリーは兵としてそのことを身をもって知っていた、そしてクリスは今それを経験している。サハラーに着くことで全てが終わらない、言葉だけでしかないがそれが嬉しくて、つい顔に出てしまう。


「是非お願いします」


 女心と秋の空は解らないと言われているが、好い得て妙な一言だと実感するマリーだった。


 

 街道を東へ進み、時に森を、時に山を、時に洞窟を抜けて国の端にまでやって来た。よくぞ迷わず進んで来られたものだとクリスは頭の中に有るらしい地図に感心しっぱなしだ。街道を馬で疾走出来たら存外直ぐではあるけれども、世の中そうは出来ていない。


 追っ手と遭遇したことも無ければ、集落で待ち伏せにあったこともない。恐らくは初期の段階で上手いこと行方をくらますことが出来たアドバンテージが生かされているのだろう。


「さて、出国に際して旅券が使えるとは思えないな」


 マリーのものは使えるだろう、けれどもクリスの場合は疑問があった。トーレの手が回っているのではないか、試してみるわけにもいかないので何とも返答できず。


 そもそも出国はさほど厳しくはない、入国が難しいのだ。トルナードの証明書は無効になっている可能性がある、むしろそのままだと考えているのは余程の愚か者だろう。


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