エピローグ

 夜明け――太陽が顔を出し始めた頃、蝶子はこっそりと神殿を出た。

 いや、正確には出ようとしたところで、足を止めた。


 まだ陽が昇り切らない薄暗い時間だというのに、きらきらとまばゆい光を放つ塊が、神殿の門の所にいた。


「……なんで……」


 蝶子は、目を見開く。

 そのまぶしいまでの存在が誰なのか、彼女はすでに知っている。


「……フォルトさん」


 名前を呼べば、彼は寄りかかっていた門から身を起こした。

 いつも目にしていた神官着ではない。

 ましてや、割烹着でも無い。

 上から外套を羽織った旅装束のフォルトは「遅かったな」と開口一番で放った。


「え、ごめんなさい……。あの、私に用があったの?」

「あった」

「そう、なの……ええと」

 

 なんだろう――なんて野暮なことを言うつもりはない。


(きっと私に言いたいことが山ほどあるんだ……!)


 能力を失う原因となった蝶子が逃げるように旅に出るなんて言うのだ、怒りがあって当然だ。


「旅に出るんだろう」

「は、はい……!」

「まぁ、神殿預かりになったとしても、あの男が生きている限りは面倒だろうからな。妥当だろう」

「…………」

「じゃあ、さっさと行くぞ」


 蝶子は自分の耳を疑った。


「……フォルトさん?」

「ん? どうした?」

「行くって、どこへ行くの?」

「まぁ、どこでもいいけど、手始めに西の港町に行ってみないか? あそこは船が着くから、いろんな話を聞けるぞ」


 知っているかと聞かれて、蝶子は首を振った。

 人と関わるという発想が無かったため、誰かから話を聞くなんて事、思いつかなかったのだ。


「じゃあ、最初の目的地はそこでいいな」

「…………フォルトさん、変だよ」

「は?」

「だって、まるで、一緒に来るみたいに聞こえる」


 蝶子が思わず口にすると、フォルトの手が伸びてきた。

 傷が残っている彼の利き手に申し訳ない思いがこみ上げる中、ぽんと優しく頭の上にのせられた。


「一緒に行くに、決まってるだろ」

「なんで……?」

「なんでって……」

 

 虚を突かれたような表情を浮かべたフォルトは、だんだんと渋面になる。


「……君、やっぱり俺を置いていきたかったのか」

「そうじゃなくて……」

「一緒にいたいと思っているのは、俺だけなのか?」

「……え」

「君の帰る場所になりたいって俺の願いに、答えてくれたと思ったんだが……違ったか?」


 渋面から、今度はどこか不安そうな表情に変わったフォルトは蝶子の頭から手を下ろす。

 そして、自分の利き手を見下ろし、苦く笑った。


「――迷惑か?」

「ち、違うよ。でも、フォルトさんには、罰だとかそんな気持ちになってほしくないから、私が……!」

「私が償わないと、って? ――それこそ、違うんだよチョーコ」


 心の中を言い当てられ、蝶子が言葉に詰まっているとフォルトはそのまま話し続けた。


「白状する。罰だとか償いだとか、そういうのは全部、どうでもいいんだ。口実なんだよ。――君に嫌われないようにするために張った、予防線なんだ」

「……なんで? フォルトさんを嫌いになるとか、ないよ?」

「それを言うなら、俺もだよ。君を嫌いになるなんて、ない。――だからさ、もっと単純に決めよう」


 だって俺達は色々考えすぎたり遠回りしたりで、肝心な事を言葉にしていないから。


「君のことが好きだ。特別に思っている。離れたくない」

「…………」

「君は?」

「……私……私は――」


 蝶子は途中で言葉に詰まって、そのままフォルトに抱きついた。

 難なく腕を広げて蝶子を抱き留めたフォルトは、笑う。


「これは……同じ気持ちだって、自惚れていいんだな」

「うん、うん」

「ああ、なんだ、泣いてるのか? 君は意外と、泣き虫なんだな」

「フォルトさんと会ってからだよぉ」

 

 フォルトに会うまでは、蝶子は生きたまま死んでいるみたいな状態だった。

 泣くのも笑うのも、悲しいのも嬉しいのも、こうして他人があたたかいのも、全部フォルトのおかげで思い出せたのだ。


「それは……光栄だ。だったらこれからも、君が泣いたらすぐに涙を拭えるよう、俺がそばにいないとな」


 フォルトの声が嬉しそうなので、蝶子が顔を上げると、彼は屈託のない笑みを浮かべていた。


「なぁ、チョーコ。俺は力がなくなろうが、構わないんだ。こうして、俺のこの手が届く範囲に、君がいてくれればいい。それだけで、いいんだ」

「……いいの?」

「ああ。君は?」

「私も、フォルトさんがそばにいてくれれば、嬉しいよ。一緒にいられたら、それだけで――」

「それなら、決まりだ。俺と一緒に、世界を見に行こう」

 

 フォルトは秘密を打ち明けるように蝶子の耳元に唇をよせ囁いた。

 それから、僅かに赤くなった頬を誤魔化すように顔を上げて早口で付け足す。


「神殿長から、言われたんだよ。俺達二人で、各地を回ってその土地の様子を見てきてくれって。名目上は、巡礼の旅だ」

「…………」

「つまりだ。……いつでも帰ってきていいってことだ」


 俺も、君も。

 そう言われて、蝶子は驚いた。


「私も? でも、迷惑が……」

「だって、君はもう神殿の庇護下だ。アメリア様はあれでいて、かなりおっかない人だから、手出ししようとしてくるのはよっぽどの馬鹿だけだ」


 穏やかな神殿長の思わぬ一面を暴露された蝶子は絶句した。

 フォルトはその様子が面白かったのか、くすくす笑いつつ蝶子を抱きしめ直す。


「一緒に世界を見よう。君が守ってくれた世界だ」

「私はなにも……」

「戦い続けて、それでも魔王を討たないでくれただろう? だから、和平はなったんだ。君が守り、救ってくれたことに間違いはない」


 この世界に、愛着なんてなかった。

 でも、これからは――。


 きっと、世界が違って見える。

 そんな予感がする。


 そして蝶子は、新しい世界に踏み出した。

 勇者としてではない旅路の門出は、祝福されたようにきらきらと輝いていた。




 ――斯くて勇者は英雄譚から姿を消した。

 だが、世界各地には聖剣を携えた少女と光の神官の伝説が、いくつも残っている。




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聖なるその手が抱くもの 真山空 @skyhi

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