第36話 少女の決意

 神官の不当拘束が明らかになったあの日から数日……王は病気療養と発表され、第一王子が執務を担うことになった。それに伴い、城内の勢力図は一変し、王に追従していた勇者排除派の貴族たちが行き場をなくし、穏健派が力を握った。

 おかげで、勇者が神殿の管轄で保護されることになっても反対の声は上がらなかった――表向きは。


 なにせ王が不当に神官を拘束していたのだ、そこを突かれると王家は痛い。

 だからこそ、第一王子は落とし所を探し、綺麗にまとめることにしたのだ。

 そして、何事も表に出ることなく、国の平和は守られた。


 一方で困ったことになったのは、フォルトだった。

 彼の傷跡は決して治らなかった。数名で治癒術を施しても元に戻ることなく、それどころか、彼は治癒術を失っていたのだ。


 原因を、神殿長は聖剣の作用ではないかと推測していた。

 本来ならば、爆発的な威力を発揮し魔王を葬り去れる程の威力を持つ聖剣だ。

 人の領域にある力など、軽々消し去ってもおかしくはない。


 例外が、人の身であれど聖剣と同じく女神の力の影響を強く受けている、勇者なのだろうと言うのが、神殿長アメリアの見解だった。

 

 フォルトは、アメリアから説明を受けながら「そんなものか」と納得していたが、横で聞いていた蝶子は平静ではいられない。


 とんでもないことをしてしまった。


 その一心だ。 

 蝶子は、フォルトから加護を奪ってしまった事になるのだから、そう思うのも当然だった。

 むしろ、平然とした様子で話を進めているアメリアとフォルトの方が信じられない。

 もう少し自分を責めたっていいくらいなのに、フォルトは蝶子を責めたりしなかった。

 

 だから気にしなくていいかといえば、違う。

 蝶子は三日ほど悩み続けた。

 加護を奪ってしまった自分は、一体どうすればいいのだろうと。


 そして、思いついたのだ。


「あ、あの……」


 意を決して神殿長と話していたフォルトに声をかけると、彼はすぐに振り返った。

 蝶子がつけた傷以外は、綺麗に治って痛みもない様子だ。

 どうしたと近づいてくる足どりも、軽い。

 それだけが、幸いだったと安心しながらも、蝶子はなぜか顔をのぞき込んでくるフォルトから身をそらした。


「え、な、なに?」

「いや……なんで泣きそうな顔をしてるんだ? ……もしかして、誰かになにか言われたか?」

「違う」


 後半、フォルトの目が細くなったので蝶子は即座に否定した。


「じゃあ、気分が悪いのか?」

「ち、違う……」

「だったら……」

「あのね、フォルトさん!」

「お、おう? どうした?」

「――フォルトさんの、力が消えちゃったって……」


 言えば、フォルトは首を傾げた後「そうだな」と肯定した。


「まぁ、これで俺の次期神殿長の夢も潰えたな」


 ちらりとフォルトが神殿長を見れば、彼女は曖昧な表情を浮かべて口を挟まない。けれど、否定しないという事は、そうなのだろう。


 ますます、自分はなんてことをしてしまったんだという思いが強くなり、蝶子は頭を下げた。


「ごめんなさい」

「チョーコ?」

「ごめんなさい、ごめんなさい……私、とにかく、ごめんなさい……!」


 自分がフォルトの夢を奪った。

 そう痛感する蝶子が思い出すのは、元の世界へ帰るという自分の希望が潰えたときの、あの悲しくて、けれどどうしようもなかった気持ちだ。


(私には、気にかけてくれるフォルトさんがいた)


 その恩人の夢を、自分が引き裂いたなんて――同じ苦しさを与えているなんて、最低だ。

 勇者の加護も、てんで役に立たない。

 それなりの数の魔法は使えるが、回復だけは出来ないのだ。

 勇者は、怪我などしないから必要なかった。


 そして、中途半端で終わった勇者だったので聖剣で与えた傷を、完璧に治す方法も分からない。聖剣の作用で消えた能力を取り戻す方法も。


「顔を上げろ、チョーコ」


 肩を掴まれて、恐る恐る顔を上げた。

 フォルトの顔は、とても寂しそうだった。


「これでいいんだよ。そんなに気にしなくても」

「だって」

「俺はきみを裏切ってたんだ。女神の愛し子を裏切った罰だと思えば、加護が消えても当然だ」

「裏切られたなんて思ってないよ……! 当然なんて、そんな……」


 だいたい、フォルトがそんな理由で加護を奪われたとすれば、あの王なんかはどうなのだと蝶子は言いたい。

 でも、フォルトは自分が悪いと思っているようで、これでいいんだ。罰があたったんだと言って終わらせてしまう。


「わ、私……償うから」

「え?」

「フォルトさんの傷、ちゃんと治して、力も戻る方法、探すから、だから……」

「探すって、どうやって」

「旅に出る……、つもりなの」

「は?」


 蝶子は考えに考えたのだ。

 でも、今の蝶子の知識ではなにも思いつかなかった。

 だったら――探すしかないと思い至った。


「今日は、ふたりに、その話をしたくて」

 

 しかし、フォルトの顔は渋くなった。

 当然だろう、と蝶子は思う。

 元に戻るかどうかは、あくまで賭けなのだ。長らく待たせて、やっぱり駄目でしたでは話にならない。いらない希望をちらつかせるなと、フォルトが怒っても当然だったと、蝶子は自分の軽率な発言を恥じた。


「……ごめんなさい。急に」

「……いや。それで、いつ出発する気なんだ?」

「あ、ふたりに挨拶したらすぐにでも」

「急だな? なんで、そんなに急いで……」

「お待ちください、チョーコ様。せめて明日にしてはいかがでしょうか? わたくし、チョーコ様の旅の安全を祈りたいと思いますので、どうか」


 神殿長のアメリアにやんわりと止められて、蝶子は「分かりました」と頷いた。


「では、どうぞ今夜は神殿でおやすみください」

「は、はい……」


 とにかく、旅に出ることを伝えたかったので、目的は果たした。


「では、チョーコ様、もうしばらくフォルトをお借りします」

「え? い、いいえ、私はべつに……」

 

 フォルトは自分のものではないと、蝶子が慌てればアメリアはくすくすと笑い、フォルトは無言でそっぽを向いた。

 ――加護を失った原因なのだ、そんな言い方をされたら怒るに決まっている。

 やるせなくて、蝶子は逃げるように部屋を出た。


 そしてすぐに、森の奥にある家に戻ると、必要な物は全て魔法で取り込む。

 フォルトの私物は、すでに神殿に戻しているからほとんど物がなかった。

 ――神殿の庇護下にあり、穏健派がこの国の舵取り役になった。


 だけど、油断は出来ない。

 あの王には付き従う者がいる。

 思想を同じくする貴族がいる。

 その中の誰かが、逸ってここに兵を向かわせてもおかしくない。

 旅に出るというのは、勇者という存在が火種になることを避けるためにも有効な方法だった。

 

 蝶子はあっと言う間に全ての痕跡を消し去ると、一度だけ名残惜しげに家の中を見渡した。


(なんだか、不思議……)


 フォルトが来るまでは、愛着なんてなかったのに。


「お世話になりました」


 誰にともなく呟いて、蝶子は森の奥の家を後にした。


 ――誰に強制されたわけでもなく、自分は自分の意志で世界を見る。

 そう決意して迎えた神殿での夜は、昔に戻ったような静けさで、なんだか無性に寂しかった。

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