第35話 王と勇者の終わり

 意趣返しを決めた蝶子が自分の皮膚を切る前に、なにかがグッと聖剣を押さえ込んだ。


「いっ……っぅ……!」


 苦痛の悲鳴と、肉に食い込む感触。

 それに驚いて、蝶子は閉じていた目を開けた。


「…………え」


 先ほどの蝶子と同じように、フォルトが手で剣を掴んでいた。


「な、なんで……!」


 力が緩んだ。

 フォルトの手が、聖剣からはなれる。

 しかし、ぽたぽた流れる血と、痛みに歪んだ顔は、蝶子の時とは全く違う。


 当たり前だ。

 蝶子は痛覚もないけれど、フォルトは違う。

 それなのに、どうしてこんな無茶をしたのだと蝶子が顔を歪めれば――。


「……死ぬな」


 とん。

 肩にフォルトの頭が乗せられて、押し殺したような声が耳に届いた。


「頼むから、死なないでくれ」


 なにを言っているんだ、この人は。


「死なないよ、私は、死なないよ……! だって、勇者だもの……!」

「心が死ぬ」


 言われた言葉に、蝶子はひゅっと息を呑んだ。


「俺は、そんなの嫌だ。やっと笑ってくれるようになったのに、君が死ぬのは、嫌だ」

「フォルトさん……」

「それに、こんなの痛いだろ? 君が痛い思いまでして、仕返しする必要なんかない。そんな価値もない」


 ああ、バレていたのかと蝶子は表情を歪める。

 自分は痛い思いなんてしていない。

 むしろ、フォルトにさらに痛い思いをさせてしまった。

 それなのに、どうして彼は自分を気遣うのか。


「……ごめ……さ……」


 謝りたかったのに、喉に言葉が張り付いたようで上手く出てこない。

 ただ、しゃくりあげるような嗚咽がこぼれただけ。


「泣かなくていいんだ」


 フォルトの怪我をしていない方の手が、蝶子の目元を拭う。


「フォルトさん、ごめなさい……っ……」

「うん。もうしないって約束してくれるなら、許す」

「っ、うん、しない……! だ、だから、はやく、手当を……」


 くだらないことに囚われて、大事なものを傷つけるなんて――蝶子が我に返るのと雰囲気に飲まれていた王が、自分を蔑ろにする空気を察するのは同時だった。


「――くだらん茶番だ! 何をしている、殺せ!」


 震えた声で、兵や騎士に命じる。

 しかしその顔は、怒りと……同じくらいの恐怖で強ばっていた。


「し、しかし、勇者は」

「きっとあれは聖剣の力だ! 聖剣を手放した勇者など、ただの小娘……! はやく、はやくなんとかしろ!」


 たとえ、王の推測どおりだろうと、聖剣を手にしている限り彼女を害するなど不可能。つまり、聖剣を取り上げるなんて芸当、ここにいる誰にも出来はしない。

 それなのに、無理難題を叫ぶ王に、周りの者たちは情けなくも泣きそうな顔になっていた。

 しかし、蝶子に向かっていかなければ許されない雰囲気に、兵士も騎士も突撃を覚悟したのだが……。


「その必要はありませんよ」


 場に似つかわしくない、落ち着いた声が響いた。


「し、神殿長……!?」


 フォルトは知った人……だが、本来はここにいない人物の姿を認め、声を上げる。


「無茶をしましたね、フォルト。……すぐに傷の手当てを」 


 神殿長アメリアは、少し表情を和らげるとフォルトを労り、引き連れていた神官たちに指示を出した。

 それに黙っていられなかったのは、王だった。


「何をしに来たアメリア……! 誰の許しを得て、この場にいる!」


 この場の中心人物のように振る舞うアメリアに噛みつくように怒鳴るが、アメリアは平然として受け答える。


「おかしな事をいいますね。当然、王家に許可を貰い、ここに来たに決まっているではありませんか」

「儂は許可しておらぬ!」

「神官を攫い、不当な理由で拘束。さらには、意に添わぬ自白を強要するために拷問。そんな人道に反する行いを無視することは出来ない。……貴方の子供たちはみな、高潔な精神の持ち主ですね。理由を話したら、すぐに承諾して下さいましたよ」


 なに、と王は動揺したように声を上げた。

 神殿長アメリアの後ろには神官。


 続いて、武装した騎士達がいる。

 その先頭に立つのは第一王子と、近々愛しい魔族の姫と結婚が予定されている第二王子。蝶子が城内でみた三人のうちの若者たちだ。


 ふたりは一様に厳しい目で父親を睨んでいた。


「勇者殿を森に追いやっただけでは飽き足らず、誠実たる神官の意をねじ曲げようなどと、父上は何を考えておいでですか!」

「兄上の言う通りです。ようやく訪れた平和の世を、ご自身で壊すおつもりですか!」

「お前達……、親に向かって、王に向かってそのような口の利き方を……!」

 

 逆らわれるとは思わなかったのか、王は息子たちの方へ近づき大声を上げる。

 すると、ふたりの王子に接触する前に間に入った人物がいた。


「陛下、ご退位いたしませ。……争いの時期が長すぎて、貴方は疲弊しているのです」


 蝶子が城内でみた最後の一人――。


「宰相……!? そうか、貴様が息子たちに入れ知恵を……! 傀儡にでもする気か! 簒奪者め!」

「いいえ、陛下。私は国に忠誠を誓っております。此度の一件は全て、殿下方がご自身で考え、周りに相談し、動いた結果――私も国の今後を憂う臣下の一人として、微力を尽くしたまで」

「貴様は勇者排除反対派だったな……! 日和った老いぼれめ!」


 ふん、と王は鼻を鳴らした。


「儂を退けて、一体誰がこの化け物を制することが出来るのだ? 誰もおらぬだろう! 野放しにしておくのか? この、いつ暴れるともしれぬ、死に損ないの化け物を!」


 取り繕う事を止めた王の言葉を、息子達が咎める。

 しかし、王は構うものかと吐き捨て、わめき散らした。


「憂いが取り除かれ今、勇者はいらぬ! だから、王として決断したまで! こんな化け物など、不要だと!」

「では、女神が遣わされた勇者殿は、我が神殿がお迎えいたしましょう」

「…………え?」


 アメリアの一声に、王は一瞬動きを止めた。


「元より、我らはそのつもりでした。……王よ、貴方が駄々をこねられなければ」

「駄々だと? 当然の処置だ。我が国に降り立ったのだから、管理するのは我らだろう! 神殿なんぞに取り込まれれば、貴様らはまた力を付けて図に乗る!」

「管理などと、その考えが間違っているのですか。貴方には、どれだけ説いても無駄でしょうね」


 勇者の力を欲しがって、邪魔になったらいらないと喚いて、けれど他者が貰うといえば、それはダメだと駄々をこねる。

 これはタダの子どもだとアメリアは会話を切り上げた。

 まだなにか言う王は、王子たちが連れてきた騎士たちに周りを囲まれて身動きを制限される。


 アメリアは、そんな王を無視して蝶子と布で止血しているフォルトの元へやって来た。そして、自ら治癒を施したが……。


「あぁ、やはり……」


 血は止まり、傷口は塞がったが……手には傷跡が残ったままだった。


「これは……」


 疑問の声を上げたフォルトを、目配せ一つで大人しくさせた神殿長はいつもの憂い顔で言った。


「神殿に戻りましょう。勇者殿、あなたも」

「…………でも」

「貴方の身柄は、すでに神殿預かりとなりました。永久中立を謳う我らは、何人の手出しも許しません」


 うたうように宣言し、神殿長は歩き出す。

 わめく王を素通りし、堂々と。

 

 蝶子は、フォルトに腕を引かれその後に続いた。

 王の前を通るとき「化け物」という言葉が聞こえたが……。


「一度、自分の顔を鏡で見るといい。……鏡に映る姿こそ、正真正銘の化け物だ」


 蝶子よりも、フォルトが腹を立てたようだ。

 彼は王に目もくれずに吐き捨てると、蝶子の手を握ったまま足早に地下牢を出たのだった。

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