第8話 客人は男の子 1

 旅館業務実践が始まると、私達は学生服から仕事着にフォームチェンジする。

 仲居は、上下セパレートされている二部式の着物。着衣の際、普通の衣服のように簡単に着替えられるのが特徴である。

 女将は着物。清潔感ある白を基調にした生地に薄く花柄があしらわれている。花の種類はわからないが、恐らく造り手の想像花だろう。

 支配人は、濃紺のうこん作務衣さむえを着ていて、調理担当は、コックコート。温泉管理人は、なぜか学生服――と、仕事着は決められている。

 旅館玄関の引き戸が開いた。

 入って来たのは、小学4年生の男の子だった。

 あん女将、けん支配人、エレン先輩、私の4人が横一列に並び――いらっしゃいませ、を異口同音に唱えた。

 ポカ~ンと、きつねにつままれたような表情の男の子。

 男の子の頭上には、文字と数字が浮かんでいる。

 黙読する。

 文字は、祐太朗。小学4年。

 数字は、95。

 ストレスペイシェントには、こうした文字と数字が頭上に表示される。無論、来館者には見えない。私達、旅館の人間だけが視認できる。

 文字は名前と職業を、数字はストレスの度合を表している。

 私の仕事は、ストレス値95を50以下に下げることである。

「祐太朗くん、今回、君のお世話をさせてもらう、仲居の夕日です。お願いします」

 中腰で祐太朗くんに話しかける。

 祐太朗くんは、めるように私を見ている。

「ふ〜ん、夢の中なのに、ぼくの好みじゃない。てやぁっ!」

 祐太朗くんは手を伸ばすと、私の胸をつついた。

 きょをつかれ、氷つく私の身体。真っ白に染まる脳細胞たち。

 周囲の音が遠くなり消失した。

 まるで時間が止まったような感覚に襲われる。だが、それは束の間。すぐに我に返った。

「きゃぁぁぁぁ――!!」

 悲鳴を上げ、本来ならお客様には言ってはならぬ言葉を言い放つ。

「この、クソガキ――――!!!」

「けっ、ペチャパイかっ!」

 何食わぬ顔で難癖なんくせを付ける、祐太朗に苛立いらだった私は、くん付けをやめることにした。

 呼び捨てにしてやる。クソガキめ――。

 そう、決意する最中、祐太朗が逃げ出した。

 追跡しようか、考えた時。ちょっと待てよ。先程からの私の客人に対する態度は、普段のあん女将なら、雷を落としてきそうだが――。

 恐怖心を持ちつつ、あん女将達の方向を見遣った。

 あん女将は、目つきは鋭いものの、激怒の様子はない。

「夕日、しっかりなさい」

 あん女将は若干弱めに言った。 

 隣のエレン先輩は、握り拳をつくり、

「夕日ちゃん、何事も経験よ。がんばって」

 なんて優しいお言葉なのだろう。

 しかし、その隣には、嫌な奴が、 

「あいつ、なかなかおもしれぇなぁ、夕日、まぁ、その、色々大変だな」

 腹を抱えて笑うのは、けん支配人。

 ほんっとに腹の立つヤローめ――。

 こいつは無視だ。

 3人の先輩から伝わってくる感情は、あんた1人で、独力で成し遂げろ、だ。

 ご期待には応えなければ、やってやる。

 祐太朗を捕まえるぞ。

 私は走り出した。

「くそガキ――!」

 そう、叫びながら。













 






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