亀山くん、人食い魔女っ子から逃げる
亀山くんの声は裏返った。
「食べられたら僕死んじゃうんじゃない!? ねえ、そうだよね!?」
「そうね。でも食べなかったら私が死んじゃう。もう本当にお腹がぺこぺこなの。あなたが来てくれて、本当に助かったわ。ありがとう」
言うなり女の子が、包丁を研ぎ始める。
「大丈夫、死んじゃうけど痛くはないから。私、魔女だから、魔法が使えるの。雷が出せるのよ。それで料理をする前に、あなたの命を抜く。ちょっとびりっとするだけ。すぐに終わっちゃう――」
続けて急に、暖炉の方を振り向く。お湯が吹き零れたのだ。
「いけない、火が強すぎる」
女の子は暖炉の傍へ行き、火掻き棒でロールケーキの薪をつつき回す。 亀山くんは足の力が抜けた。声が出ない。喉が塞がってしまったみたいに。ついでに震えも止まらない。
これはおとぎ話に出てくる、本物のお菓子の家なんだ。あの女の子は本物の魔女なんだ。僕は食べられちゃうんだ。
ヘンゼルとグレーテルは魔女をやっつけて逃げ出すことが出来たけど、僕には出来ない。だって僕は一人だもの。一緒にいて助けてくれる人、いないもの。 僕が急にいなくなっても学校の皆は、カメがいなくなったときみたいに、「ふーん」で終わらせちゃうに違いない……。
そこまで考えると急に、やけっぱちな力がわいてきた。
(嫌だ嫌だ、スープにされるなんて嫌だあ!)
亀山くんは、どたばた檻に体当たりを始める。女の子は背を向けたまま、それを注意する。
「あまり暴れないで。折角の脂身が消費されちゃう」
鉄の檻は引き続きびくともしない。だけど足元で、ミシッと小さい音がした。
(あっ、そうだ! 檻は鉄だけど、床はそうじゃないんだ! お菓子なんだ! ええと、これは、せんべい? なら壊せるかもしれない!)
勢いを得た亀山くんは、激しく足踏みする。檻の天井へ頭をぶつけながら、ジャンプする。
バリバリバリバリ。
床が割れる。
亀山くんは床下に落ちる。
頭の上へ割れた床が降り注いできた。
「ああっ!」
女の子の叫び声に背を押され、逃げ出す。四つん這いで床下から這い出し、走り出す。とりあえず自分が来た方角目掛けて。
「待てえ!わたしのご飯逃げちゃだめわたしのご飯待てえ!」
包丁を手に女の子が追いかけてくる。
振り向きもせず亀山くんは走る。
行く手に二股の道が見えた――来たときはこんなものなかったはずだ。 だけどそのことに頭をめぐらせる余裕なんて、亀山くんにはない。何も考えず一直線に走る。
また分かれ道。次も、更にその次も。
いつしか亀山くんは森の中にいた。
森といっても緑の色はひとつもない。灰色と黒と白。それだけ。
どう考えても元の場所には戻ってない。そうと分かっていても亀山くんは止まれなかった。女の子の声が、相変わらず追いかけてくるのだ。
「待てぇ」
走る。まだまだ走る。マラソンの授業で走らされるときよりも、ずっと真剣に。休みも取らずに。何しろ命がかかっているのだ。
……ようやく女の子の声が聞こえなくなった。
亀山くんは走るのをやめる。でも、歩みは止めない。ここで足を止めたら二度と動きたくなくなることが分かっていたから。そんな状態でもし女の子が追いついてきたら、食べられてしまう。
ガラガラになった喉から咳が出る。わき腹がひきつれる。
「ああ、疲れた……」
呟いたところ、耳障りな音が足元から聞こえてきた。
カシャカシャ。カシャカシャ。
見下ろせば、地面に灰色の薄いものが降り積もっている。
一枚拾って確認してみれば、なんと、アルミホイルで出来た落ち葉。
疑わしげにそれを弄り回した亀山くんは、近くの茂みに触れてみる。
チクッとした痛みが走った。葉も枝もすごく硬い――針金とブリキ板で出来ているのだから当然だ。
見上げてみれば高い枝には、小さな鉄球がどっさりなっている。
これは……もう絶対にドッキリではない。ホラー映画の撮影でもない。ここまで大掛かりなことやれるはずがない。どんなにお金があるテレビ局でも、映画会社でも。
(……僕、全然知らない世界に来ちゃったんだ……)
あの女の子に見つからずにすんだとしても、死んでしまうかもしれない。ここには食べられそうなもの、なにもなさそうだから。
厳しい現実を前にした亀山くんは、泣けてきそうになった。
無意識に甘いものを求めポケットへ手をやるが、頼みの綱のキャラメルはもう全然残ってなかった。
代わりにハムとソーセージが出てくる。
(なんでこんなものが入ってるんだろう?)
あやしんでから、思い出す。その二つは、カメにやろうと自分が家から持ってきたものであるということを。
自分は食べられるものを持っている。
そのことに亀山くんは大いに勇気付けられた。少しずつこれを食べていくなら、数日は生き延びられるかもしれない。山で遭難した人がそうやって命を繋いで生還した話は、よくあるじゃないか。
(よし、大丈夫。僕は大丈夫、大丈夫)
自分で自分を励ましながら、亀山くんは進む。
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