三の鐘 蘭と颯太の中庭模様

第36話 颯太、久しぶりの穏やかな中庭、だった。


「よかった。雨振らないで」


 梅雨の合間の晴天、昼休み。


 青空颯太は弁当箱を2つ持ち、脇に汁物が入ったマグボトルを置いて中庭のベンチでぼんやりと座っていた。


 汗ばむような日差しの中、時折さらさらと心地よい風が吹き抜けていく。


「蘭先輩、皇城先輩のところに寄ってくるから食べてていいって言ってたけど……できれば一緒に食べたいよね」


 ぽん、とひざ上の弁当箱に手をやった颯太が、ふと中庭の真ん中にある大樹の向こう側に目をやる。


 そこは、那佳と笹の葉がいつも座るベンチ。


 颯太と目が合い、那佳は頭を下げ笹の葉は脇腹の辺りで小さく右手を振っている。





『颯太立ち上がり事件』から数日後。


 颯太がいる個室に和樹立ち合いの元、五人の女子がそれぞれ謝罪しにきた。


 ちか、那佳、笹の葉、加賀獅、東峯の面々である。


 近達が反省していた事と、颯太は颯太で、突然の事態に慌てていたとは言え、しっかりとした態度でいれば拒絶できたはず……と考えた事と、『みんながみんな、雰囲気にちゃったんじゃないのかな。悪気はないと思うけどね』という和樹の言葉もあった為に、お互いが思ったよりすんなりと、謝罪は終わったのだった。


 そして。


 恐らく一番美味しい思いをしたであろう羽遊良はゆらに関しては、故意ではなかった事と、関わると面倒くさい事になりそうな為に和樹は謝罪に誘わなかった。


 ただ、羽遊良の耳元で呟いただけである。


「颯太、あの後泣いてた。かわいそう……」

「なっ」

「颯太のあんな悲しそうな顔、見たことないや。嫌われないといいけど……」

「なっ?えっ?!」


 和樹は、誰が嫌われる、とは言っていない。


 ただ、これで自発的に羽遊良が颯太に頭を下げに行けばいいなあ、と思っていた和樹の予想を、羽遊良の行動は軽く超えていた。


 衝撃を受けた羽遊良が実家から持ち出した国宝級の書物を、大粒の涙をこぼしながら『んーうやあだんーんぅやあだぁ!』とイヤイヤしつつ颯太に手渡そうとする事件が連日発生し、薬が効きすぎた!と羽遊良の反応に大慌ての和樹と、颯太の協力によって互いの謝罪と和解に至ったのである。

 




 前と少しだけ変わったコミュニケーション。

 だが、悪いものでは決してない。


 挨拶を交わした後は、以前と同じように颯太を意識せずに二人で楽しそうに会話を始めている。


(のんびりだなあ……。お腹空いてきちゃったけど、先輩がくるまで『天翔ける王』でも読んでようかな。今日、台詞の練習がしたいって言ってたし、何かヒントになれば……。あれから練習して上達したって言ってたもんね、上達してるんだよね?!)


 台詞を言っていた蘭の姿を想像し、体を震わせる颯太。

 

 先輩の次の舞台の日を確認しておいた方がいいかも……とスマホのメモ帳に忘れないように入力していると。


「颯太、待たせたな」

「あ、蘭先輩」


 蘭が巾着袋を小脇に抱え、ベンチの後ろから颯太を覗き込む。


 颯太は優しげな微笑みに、どきり、とする。


(蘭先輩、普通にしてたら本当に…………うわわ!僕、ホント変だ!でもこの前の事もあるから、そういう雰囲気になるのは嫌だし。落ち着け落ち着け)


 何とか自分を落ち着かせた颯太は、蘭に弁当箱を差し出した。


「お肉が多い方と野菜が多い方、どちらがいいですか?」

「颯太が選べといっておろうに。ここのところ毎日、美味いものをすまんな。朝稽古の後、昼餉が楽しみで仕方なかった」


 蘭がそう言っては、ほほ笑む。


「じゃあ、こちらをどうぞ。今日のお味噌汁はシジミですが、大丈夫ですか?」


 颯太の手から弁当を受け取った蘭が、こくこく!と頷いて颯太に視線を向け、もう待ちきれない!と言わんばかりに、その白い指がするする、と包みを解いていく。


 ぱかり。


 蘭が弁当のフタを開けた。


「おおお……!いかん、腹が悲鳴を上げている。いた、だき、ます」

「いただきます」


 ベンチで背筋をピン!と伸ばした蘭と颯太が両手を揃え、それぞれの弁当に箸を動かしていく。


 蘭は玉子焼きを頬張り、味わうように目を閉じてゆっくりと噛み締めている。

 美味しそうに食べてくれている蘭に、今日もホッとする颯太。



 入院中、蘭が眠りこけていると勘違いした颯太が、言った事。

 

『僕のお弁当を、分け合いますか?』


 結局は颯太が蘭の好物を聞いたうえで毎日二つ弁当を作っているのだが、山で自炊していたようなメニューでは、山菜などを入手するのに手間暇がかかってしまう為、母の奏女かなめに詮索されながら料理を教わったりレシピ本を参考にして弁当を作っている。


 大変なんだなあ、と改めて奏女に感謝するとともに、美味しくてバランスのいいものを……と考える事は楽しい、と思った颯太。


 何より。


 自分の作ったものを褒めてもらえて、美味しい、とまで言ってもらえる事に喜びさえ感じ始めているのだ。


(何か……お弁当作ってきて一緒に食べて……恋人っぽい?!……いやいや、飛躍しすぎでしょ!浮かれすぎ!)


 颯太が顔を赤らめながら弁当を食べていると。


「ごちそうさまでした!」


 と、蘭が背筋を伸ばして颯太に手を合わせて挨拶をした。


「あ、あれ?もう食べ終わったんですか?」

「うむ!ゆっくりと噛み締めてしょくしては見たのだが……無念」


 残念そうな顔をして唇を尖らせる蘭に、颯太は切り出した。


「僕のお弁当、食べますか?」


 が。


 蘭は颯太の頭を撫でしてから笑った。


「暫くは昼を抜いていたからな、これくらいが丁度いい。颯太が私の為だけに作った弁当だから、今日も名残惜しかった、それだけだ。この後は久々の稽古もある。身体に力が入るように颯太も、しっかりと食べるがいい」


 そう言った蘭は立ち上がって、色鮮やかな巾着袋から本を取り出した。


 そして、真剣な眼差しで手元の本に視線を落とし、ブツブツと呟きながら颯太の視線の先でウロウロと歩き回っている。


(何か……すごく癒されるなあ……久しぶりだからっていうのもあるだろうけど)


 そんな事を考えながら邪魔をしないように、静かに弁当を食べる颯太。


 そして。


 颯太が弁当箱のフタを閉じた瞬間に、蘭が颯太に声を掛けた。


「む。今の台詞回しは中々に良かった。聞いてくれるか」

「もちろんです!あ、その前に……ちなみに、次の舞台はいつなんですか?」


 颯太が思い出したように蘭に問いかけた。

 その日程によっては、引き受けた以上は颯太も全力で頑張るつもりなのである。


「次の舞台は……来週の土曜だな」

「えっ?あと10日もないじゃないですか。大丈夫なんですか?」

「颯太から手ほどきを受けてから、多分に上達したのだ。今、披露してやろう」


(あれ?僕、結局……教えてって言われて何したんだっけ?うーん……)


 そこまで考えて、少し不安になった颯太。


「あ、あの!どの台詞を言うか、原文を教えてもらってもいいですか?」

「うむ。ここの部分だ」


 蘭が台本の一部分を指し示すのを、颯太が覗き込んだ。


「えっと……『笑止、笑止!お前等の腕前如きで理不尽の武、とでもほざくつもりか?』……これ、初めて先輩と話した時の台詞じゃ……しかも『天駈あまかける王』そのままだし。二次創作で許可貰ってるのかなあ……」

「蘭だ!……上達の程を、とくと見せようではないか」

「……わかりました。では、聞かせてください」


 ゴクリ、と唾を飲んだ颯太。

 何気に、那佳と笹の葉も颯太と同様に息を詰めて蘭を見ている。


「む。では、僭越ながら。忌憚のない意見を頼む」


 こほっ。

 ん。 


 蘭が咳ばらいをした瞬間、場が、ぴん!と張り詰めた。 


 そして。 


「しょーうししょうし、おーまえらーのうーでまえっ!ハッ!」

「前よりリズムに乗った寿限無?!蘭先輩ストップ!ちょっとー?!」

「ごときでりふじんのぶっと、でーもん!」


 那佳と笹の葉は、蘭から全力で視線を逸らし、会話を始めている。

 颯太は無言で手刀を構えた。


 ずびし!


「はうあ?!」

「すみません、止まってくれないもので。もしかするともしかして、全く違う方向に向かって進化しているのかもしれません……」


 深く深くため息をついた颯太。


「またしても、ひたむきに台詞を言っている最中に熱いもの手刀を浴びせかけるとは!!いくら師といえども看過できぬぞ、颯太!」

「またそんな、誤解を招く言い方を……!」


 蘭は手刀を両手で掴んで、動かせないように自分の上半身にぎゅっぎゅー!と押し付けたまま颯太に密着している。


 和樹に教えてもらった『心頭滅却すれば火もまた涼し』の極意をもって蘭の柔らかさを意識しないようにしたまま、颯太は苦笑いをした。


「今度はちゃんと付き合いますよ、練習に。お手伝いさせてください」

「うむ、頼む!」


 手刀を食らっても嬉しそうにしている蘭を不思議そうに見つめる颯太だった。


 

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