中島千尋

中島千尋(1)

『係の人に連絡したらどう?』


 敦也が里香に問い掛ける。


 中島千尋(なかじまちひろ)はその言葉を聞くと、小さく口笛を吹いた。


「きたきたきた!」


 里香は、千尋が「真実の世界」をプレイする為に作ったキャラなのだ。


「そりゃあ不安よね。一時間も約束の時間を過ぎているんだから。意地悪しないでそろそろ教えて、あ、げ、よ、か、な」


 千尋は楽しくて堪らないと言う風に、上機嫌で独り言を言い終えると、キーボードで里香の台詞を打ち込んだ。


 千尋はヘッドギア型のコントローラーを使用していない。独り言が癖になっているのと、過度に感情移入するのを防ぐ為だ。


『くっくっくっく……』

『どうした? 何かあったのか?』


「ははははは!!」


 千尋は敦也の反応を見て大笑いした。


「そりゃーびっくりするよねー! 訳分かんないよねー! 愛しい、愛しい里香ちゃんが壊れちゃったんだからねー!」


 フフンフフーと鼻歌を歌いながらさらにカチャカチャとキーボードを打ち込む。


『ばーか。有る訳ないだろここから出る方法なんて』


 敦也は笑顔のまま何も反応を見せない。


「ははっ! 固まってる、固まってるぅ。頭の中に『?』マークがグルグル回っているんだろうなー! かわいそー!」


『ポッカーンとしてるね。意味分からないんだろ? 嘘なんだよ、何もかも』


 敦也は変わらず無反応のままだった。


「さらに……」


 敦也に追い討ちを掛けるべく、千尋は里香の台詞を入力する。


『俺はね、もう五十過ぎのおっさんなんだよ。里香ちゃんなんてこの世にいないの。分かる? うぶで可愛い敦也君はおっさんの暇つぶしで騙されちゃったのよ』


「たまんねー!」


 千尋はクッション代わりにしている布団をバンバン叩いて大笑いした。


「自分の愛した女がおっさんだとしたらどんな気分? 泣きたい? それとも死ぬ? ねえ死ぬの?」


 嬉しそうに独り言を叫ぶ千尋の目は狂気に満ちている。


『嘘だ! 里香を返せ、里香をどこにやった、里香を返せ』


 ようやく敦也が反応したが、表情は変える余裕がないのか笑顔のままだった。


「悔しいのぅ、悲しいのぅ。愛しい里香ちゃんはいないんだよぅ。悲しいのぅ」


『残念だねぇ里香ちゃんはいないんだよ。敦也君の童貞奪っちゃったのはおじさんなんだよ』


「童貞ってー!! おっさんに童貞奪われるってー!! 自分で書いてて笑えるー!!」


 千尋はヒィヒィ言いながら笑い転げ出した。


「でも安心して! 童貞奪ったのは綺麗なお姉さんだから! 教えてあげないけどねー!」


『里香を返せ、里香を返せ、里香を返せ』


 敦也は狂ったように叫び続ける。


『しかし、ちょっと可愛そうになってきたな。まあ、嘘だけど』


「ぜーんぜん可愛そうじゃない! ぜーんぜん可愛そうじゃない!」


 千尋は何かに取り憑かれたように頭をブンブン横に振る。


「さあ、最後は説教で締めますか」


『ここはよ、人生のさまざまな事から逃げてきたクズの溜まり場なわけ。簡単に人を信じちゃいけない場所なんだよなー』


 仕上げとばかりに、千尋のキーを打つ手が早くなる。


『まあ、これに懲りたらもっと賢く生きて下さい。生きる気力が有ればだけどね』


 敦也は相変わらず笑顔のまま無反応で、魂が抜けたように立ち尽くしていた。


「ここまでかなぁ」


 千尋は里香をログアウトしてアカウントを消去した。ノートパソコンを閉じ、体を伸ばすように仰向けで布団にもたれ掛かる。表情は憑き物が落ちたように無表情だった。


 千尋はしっかりケアして化粧すれば、美人で通用する整った顔立ちをしている。だが、いつからシャワーを浴びていないのか、髪はぼさぼさ、肌は荒れ放題でとても実年齢の二十四歳には見えず、四十代ぐらいに見えた。


「死ねばいい……男なんて死ねばいいんだ……」


 そう呟く千尋の表情はどこか寂しそうだった。



 次の日、千尋は「真実の世界」で新しいキャラを登録した。


 今度は黒髪でセミロングのストレート。あまり派手じゃない方がここの引きこもり童貞達には受けが良いと考えたからだ。顔も同じく化粧は薄目の上品な美少女タイプにした。


 名前は大田優。このキャラで次の男を嵌めるのかと思うと、千尋は背筋がゾクゾクした。


「さあ、次の獲物を探しに行きますか」


 千尋はいつも、出会いはイベント広場を利用している。お互いに恋人目当てなので手っ取り早いのだ。ただイベントが発生して上手く出会えたとしてもその後順調に恋愛状態になれるとは限らない。相性の問題もあるし、仮想世界という性質上相手を疑う人間もいる。敦也は上手く行き過ぎたくらいのケースだ。


「純粋(バカ)だから騙されるんだ」


 敦也の事を思い出し千尋は独り言を呟いた。


「純粋(バカ)だから人を信じて好きになれるんだ」


 千尋にとって、イベント広場は勝手知ったる庭のようなものだ。どの場所でどんなイベントが発生するか、殆どのイベントの内容や攻略法も、体験して知っていた。


「今日は手っ取り早くDQNイベントにしようかなー」


 千尋は癖になっている独り言を呟きながら、優を繁華街の一角に立たせた。ここで対象に設定したプレイヤーが近づくとイベントが発生するのだ。同じ様にイベント待ちの女性キャラで混雑しているが、相手の男性キャラも多いので少し待てばイベントが発生するだろう。


 イベントには発生条件や攻略の難易度で入手出来るアイテムに違いがある。敦也と体験した迷子イベントは、難易度が高い代わりにペアの腕時計などの、より二人が親密になれるアイテムを入手出来る。


『おい、姉ちゃん! 俺たちと付き合わねえか?』


 急に画面がリアルモードになり、一目で不良と分かる三人の男達が、千尋の目の前に現れた。


「しかしいつもながらベタな台詞だねえ」


 独り言を言いながら、千尋は優の台詞を入力する。


『いえ結構です』


 相手にベタと言いながらも千尋もベタな台詞で返した。


『そんな事言わねえで付き合ってくれよ』

『いや、放して下さい!』

『何をやってるんだ、君達!』

『何だ? お前は!』


 イベントパートナーの男が登場したようだ。この男もベタな展開にノリノリだ。


 ここからは、男がアクションゲームで不良達を撃退すればイベントクリア。景品として広場にあるレストランの御食事券が貰える。


『お嬢さん大丈夫ですか?』


 しばらくして、男が優に話し掛けてくる。どうやら無事終了したようだ。


「あっ……」


 近づいてきた男の顔を見て千尋は凍りつく。だが、凍り付いていたのは一瞬で、すぐに千尋の中では全ての血が沸騰するような怒りが湧き上がっていた。


「拓海ぃぃぃぃ!!!!」


 顔が高熱でうなされている時のように熱く、こめかみは痛いくらいズキズキ疼く。千尋は自分の心臓の鼓動がはっきりと聞こえた。

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