梶田敦也(7)

『こんにちは。釣れますか?』


 そう言って敦也は釣り場で釣り糸を垂れている卓郎の横に座った。


『お! 旅行から帰ったのか。どうだった?楽しかったか?』

『ええ、凄く楽しかったです』

『まあ、彼女と一緒なら楽しくない訳ねえな』

『何だい、デートか? いいなあ若けえ奴はよ』


 卓郎の隣で釣りをしている老人が敦也に話し掛けた。毎日釣りをしているという内田善吉(うちだぜんきち)だ。卓郎の紹介で敦也も友達登録している。キャラの容姿と同じく、かなりの高齢らしい。


 卓郎は顔が広い。いろいろな場所に出入りしているが、いつも一人ではなく誰かと一緒だ。卓郎に紹介して貰ったお蔭で、敦也も何人か友達が出来ていた。


『お二人はここを出た人って知っていますか?』

『そんな奴は毎日いるよ。すぐ火葬場行きだが』

『ワシももうすぐ出られるかもしれんな』


 卓郎と善吉はブラックなジョークを言い笑った。


『いや、もちろん生きている人の事ですよ』

『それはあり得ないだろ。出られないからこそ税金を使って養ってやるって考えだからな。簡単に出られたら誰でも入りたがるよ』

『そうですよね……』


 やはり里香の言った事はかなりの特例なのだろう。二人に許可が下りれば良いが……。


 敦也は心の中で呟いた。


『何かあったのか?』

『いや、全然。そういう事も有るのかと思っただけです』



 その後も敦也は里香と頻繁にデートを重ね、変わらない毎日をすごしていた。ある日のデートで、里香は敦也の顔を見るなり嬉しそうに報告する。


『二人でここを出る申請が通ったの! 私達一緒に暮らせるんだよ!』

『本当に!』

『明日の午後一時に、敦也君のマイルームに担当者が説明に来てくれるって』

『そうか、本当に良かった』

『一緒に幸せになろうね!』

『うん! 絶対になろう』


 二人は手を取り喜んだ。



 次の日。里香は午前中から敦也のマイルームに訪れていた。


 一時五分前。


『緊張するね……』


 里香が嬉しそうに言う。


 間もなく一時。


『もうすぐだね』


 敦也はそう言って、嬉しそうに笑っている里香を見る。


 一時五分。


『少し遅れているのかな?』


 里香が笑顔で言った。


 もういつ来てもおかしくない。敦也は心臓が激しく高鳴っているのを感じた。


 一時三十分。


『何かあったのかな?』

『ちょっと遅いよね』


 敦也は内心焦りと苛立ちを感じたが、里香は笑顔のままだった。


 里香はキャラの表情を変えていないだけかもしれない。実際、俺も焦っているが、笑顔の表情を変えていない。だが連絡がないのはどうしてだろうか?


 二時。


『なんか、おかしいよ。時間間違えていない? 何かトラブルがあったのかな』


 敦也は我慢の限界になり里香を見て話しかけたが、相変わらず笑顔のまま無反応だった。


『係の人に連絡したらどう?』


 続いた敦也の質問にも里香は無反応だった。 


 敦也は里香の様子がおかしいと感じたが、何をどうしたら良いのかも分からず、黙り込んだ。


 焦りと不安が入り交じり、永遠にも感じる沈黙の時間が流れる。


『くっくっくっくっ……』

『え?!』


 沈黙を破り、里香が堪え切れないように笑い出す。敦也は声を出して驚いた。


『里香、どうした? 何かあったのか?』

『ばーか。有る訳ないだろここから出る方法なんて』


 確かに里香の声だが、言葉使いはまるで別人のようだった。


 里香の急な変化に敦也はうろたえて何も出来ない。


『ポッカーンとしてるね。意味分からないんだろ? 嘘なんだよ何もかも』


 どうして? なぜ? 違う違う違う! 里香じゃない、これは里香じゃない、絶対里香じゃない。


 敦也は猛烈な怒りと混乱で、めまいと吐き気がしてきた。前後、上下が不覚になり、頭がぐるぐるぐるぐる回る。


『俺はな、もう五十過ぎのおっさんなんだよ。里香ちゃんなんてこの世にいないの。分かる? うぶで可愛い敦也君はおっさんの暇つぶしで騙されちゃったのよ』


 嘘だろ? 何なんだ? 嘘だよな。


『嘘だ! 里香を返せ、里香をどこにやった、里香を返せ』


 里香を返せ、里香を返せ、里香を返せ。


『残念だねぇ里香ちゃんはいないんだよ。敦也君の童貞奪っちゃったのはおじさんなんだよ』

『里香を返せ、里香を返せ、里香を返せ』


 リカヲカエセリカヲカエセリカヲカエセ


『しかし、ちょっと可愛そうになってきたな。まあ、嘘だけど』


 ナニイッテンダコイツリカヲカエセ。


『ここはよ、人生のさまざまな事から逃げてきたクズの溜まり場なわけ。簡単に人を信じちゃいけない場所なんだよなー』


 里香は、可愛い声で里香とは思えない言葉を吐き続ける。


『まあ、これに懲りたらもっと賢く生きて下さい。生きる気力が有ればだけどね』


 そう言い残すと里香は姿を消した。ログアウトしただのだ


「う……」


 吐き気が限界になり、敦也はトイレに駆け込んだ。


 ゲーゲーと胃の中の物を全て出し、それでも尚吐き続けた。


どれぐらいの時間が経ったのだろうか。気が付くと、敦也は便座に寄りかかり、魂が抜けたように床に座り込んでいた。


 這うようにしてパソコンの前まで行き、里香の登録を確認したが、名前が無い。すでにアカウントが消されていたのだ。


 敦也は里香がいなくなった事を実感した。頭の中で、二人で過ごした時が甦ってきて涙が出て来る。


 初めて会ったイベントでの事。

 デートの事。

 初めて手をつないだ時の事。

 初めてキスした時の事。

 初めての夜……。


「うおおおおお!!」


 敦也は叫び出して、絶対開く事のないドアを思いっきり殴り出した。


「出せよ!! ここから出せよ! 俺は里香と一緒にここから出て幸せに暮らすんだ! 出せよここから!!」


 敦也の両手は血塗れになっていた。


 クズの集まりか……。

 俺も間違いなくその一人だ。

 父親から逃げ、学校から逃げ、世間から逃げ……。

 そしてここでは完璧な容姿の別人になり自分自身からも逃げた……。

 でもそんな俺でも里香は……。

 里香は一緒に幸せになろうと言ってくれた……。

 そんな里香はもういない……。


 敦也は扉を殴り疲れて、その場にへたり込む。


「もう後は、生きる事から逃げるだけか……」


 現実感のないまま、敦也はタオルを取り出す。シャワー室のドアノブにタオルを巻き、敦也は首を入れた。



『敦ちゃん最近全然姿見いひんな』


 和人はパチンコ台に向かいながら、卓郎に話しかけた。


『ああ、もう二週間くらいになるか……』


 和人に言われるまでもなく、卓郎も心配していた。色々手を使ってはいたが、敦也がなぜ姿を現さないか、卓郎にも分からなかった。


『彼女の事で何かあったんちゃうか? 仮想世界はなりすましとか何でもありやからな。だから騙されんように注意しとけば良かったんや』


 和人の言う事は卓郎も理解している。


 卓郎は敦也の相手は大丈夫だと言う、確信出来る情報を持っていた。だが、二週間も音沙汰の無い事は心配だった。敦也に何があったか探ってはいたが、上手く状況は掴めていない。


『こんにちは! 出ていますか?』


 考え事をしていた卓郎の隣に、見た事のない男が座って話し掛けてきた。


 背が低く、若干幼く見える顔以外はどこにでもいる普通の男だ。


『敦ちゃんか? どうしたんや? 別人やん』


 和人の言葉に卓郎も男の名前を確認した。確かに敦也だった。


『敦也か? どうしたんだ?』

『イメチェンですよ、イメチェン』


 敦也は笑顔で答えた。


『そうか……』


 卓郎はほっとしたようにそう呟いた。無事な敦也の姿を見て安心したようだった。 


『その方が敦ちゃんらしくてええと思うよ』


 二人は敦也の姿に何かを感じたが、あえて何も聞かなかった。



 あの日、敦也はドアノブでの首吊り自殺に失敗した。ドアノブが壊れてしまったのだ。


 その後も何度か自殺を試したが、その度に失敗した。


 何度目かの失敗の後、敦也は里香が自殺を止めてくれている気がした。「敦也君逃げないで幸せになろう」って言ってくれている、そんな気がした。


 そう思って目を閉じると里香が笑いかけてくれた。

「一緒に幸せになろう!」って笑ってた。

 里香は消えていなかった。

 敦也の中で生きていた。

 もう逃げるのは止めよう。

 生きよう俺の中の里香と一緒に。


 敦也はヘッドギアをかぶり、キャラを自分に似た容姿に作り変えた。自分から逃げない決心をしたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る