第8話 マリオット海軍の追撃

 恐る恐る近づくマリオット兵、だが不吉な音を耳にする。


「な、なんだ?」


 氷に亀裂が走る音、ビキビキと細かく壊れ落ちると一気に弾け飛んだ。


「ガァァア!」


 両手を大きく突き上げ氷の呪縛を自力で打ち払ってしまう。

 あたくしのアボットを氷漬にしようだなんて、悪戯が過ぎまわすよ。ん? いまの音は船のでは無くて? 早く行かないと置いてかれますわよ。と言っても聞こえて居ないのでしたね、姫に必ず来るように言われているのを思い出しなさいな。


「……セシリア様……」


 ふと後ろを向く、港から聞こえる船の出港準備をする音を気にして。

 ……まさかあたくしの声が聞こえまして?


 今の今までそんなことは無かった。呼びかけてみるもやはり反応は無い。

 動きを止めたアボットにマリオット兵は攻撃を仕掛けてこない、流石に恐れ入ったようで恨めしそうに睨むだけ。

 ああ、出航してしまいますわ、急いで行くのよアボット!


「おで……まだ、役に……」


 また陸側を向いて居座る敵兵を見る。倒すことで役に立てると信じて疑わない。

 そうではないとの考えが及ばない。だがそれは仕方がない、契約により多くを犠牲にしている過去があるから。


 戦鎚を手にしてゆっくりと橋を歩む。袂の軍はじりじりと後ずさった。

 胸の前に柄を引き寄せて構える、誰を倒せばよいかなど考えない、全て倒すそれだけだ。


 出島から騎馬が駆けて来る。乗っているのは兵士ではなく、年若い小姓の類だ。

 手には緑色の輪。戦場で一瞥してそれが何かを解る者は少ない。

 橋の中央付近まで来ると馬足を止める。


「アボット殿ー! 姫様より伝言です! 船で草冠を与えます、すぐに来てください!」


「……草冠……」


 後ろを振り返る。手にしている小さな輪がセシリアからの本当の言葉なのだと言うのを示している。

 ほら、行きなさいアボット! あなたの居場所を掴むのよ!


 空を仰ぐ、いつものように雲が流れるのが見えた。いつも、いつも見ていたのと変わらない空。

 けれどもシュルクワーズ城はもう見えない、いつか目に出来るかとずっとそこに居続けた。


「船、出る、セシリア様、居なくなる、おで、おで……」


 あの日から消え続ける記憶、なのになぜか残っている一幕、唯一無二の記憶がサビてしまうかも知れない。


「アボット殿、早く! 出港してしまいます!」


 もうダメだと騎馬が向きを直して駆けて行ってしまう。

 一体何なんだとマリオット兵が見ている、もう見ているだけしかできない。

 アボット、本当にもう行かないと間に合いませんわ!


「おで……船に……」


 騎馬を追いかけるように橋上を進む。もう姿は見えていない、けれども歩んだ。

 手にしている戦鎚が邪魔なことに気づくとその場に惜しげも無く捨てる、鈍い音をたてて地面に沈む。

 全身鎧で走ることなど出来るはずもない、だというのにアボットは駆けた。


 蒸気が上がる音がする。船が出港する合図にもなっている。

 斜めに折り重なるようになっている道路を登り切ると大きな船の姿が見えた。

 驚くことに甲板上にセシリアが立っているではないか。


「アボットー!」


 しきりに手を振って存在を示す。船がゆっくりと動き始めている、まだ桟橋に行けば間に合うかもしれないし、もう無理かもしれない。

 愚直に、ただ愚直にアボットは走った。


「来おったか、良かろう。縄を降ろすのだ!」


 戦えと焚き付けた三師の一人が兵に命じる。ただし船を止めることはもうできないし、引き揚げることが出来るかも保証できないとセシリアには断りを入れる。


 木製の桟橋を走る、船尾から縄はしごが複数降ろされた。目の前で暴れる縄の尻を掴まえることが出来ない、滑る手甲に歯噛みしながら何とか引っ掛けることに成功した。

 もう桟橋がないですわ!


 掴めたのは片手だけ、このままでは水中に飛び込むことになってしまう。縄の長さが結構あり、これ以上は上の方を握ることが出来ない。

 だがアボットは迷わずに桟橋を蹴った。海中へ飛び込むと水しぶきを上げて姿が見えなくなる。


「なんと突っ込みおったか! ええい、者ども引き揚げい!」


 四人がかりで引くが余りの大物に逆に海に引きずり込まれそうになる。

 更に二人が加わり声を揃えて全力で引き上げようとした。

 水中から銀色の手甲が見え隠れする、このままでは窒息してしまうがどうにもできない。

 もう少しですわ、何とか耐えるのですのよ!


 ついにバレルヘルムの天辺が水面から姿を現した。空いている左手で何と船体を殴りつける、手甲の拳部分に短い刃がついているからだ。

 刺さった左腕に力を込めて上体を引き上げると、今度は右腕を縄梯子に絡ませる。脇の下へと挟み込むとグイっと体を持ち上げた。

 左手の刃をこじって引き抜くとまた上の方に拳を打ち付ける。


「はは、何とも開いた口が塞がらんわい」


 船体に張り付いてグイグイと登って来る、さぞかしホラーな光景だろう。息を飲む十分程の時間が過ぎると、手すりを越えて海水まみれの鎧男が甲板へと転がり落ちた。


「アボ――」

「マリオット海軍接近!」


 セシリアが駆け寄ろうとすると兵が警告をする。一斉に手すりから周囲を見回すと、かなり近くにまでガレー船の敵が接近しているではないか。

 弓矢を放って来る、火矢ではないので炎上の心配は無いが、甲板にいては危険だ。


「セシリア様、すぐに船室へご案内致します」


 三師を一人残して文官らと共に艦橋へと避難する。操船要員以外は全員が戦闘態勢を取った。

 転がっていたアボットも揺れる船によろめきながら立ち上がった。


「ふん、クズの割にはようやった。しかし一難去ってまた一難、あれを何とかせんことには姫様は助からん」


 ガレー船を睨む、十数人の大楯兵が乗船していて、こちらの艦より足が速い。マストの帆船ではそれも仕方ない。

 高速船は全部で三艘、都合五十人は居るだろう。一方で甲板上の兵は老人を含めて二十人ちょっと。

 甲板上を見回す、備え付けの小型船があった。


 アボットは揺れに抗いながら近づくと、一緒に括り付けてある二本の櫂を引きはがす。

 捨ててしまった戦鎚の代わりになるかは怪しいが、素手よりはましだろう。

 三師の一人、武師も狼藉を見逃す。


「先頭が接近するぞ!」


 船首が三日月のように反り返った戦闘用ガレー船、中央に背が高い平板が立っている。風で煽られ非常にバランスが悪いが、一番上には巨大な釘のようなものが飛び出していた。


 右舷に船を寄せると平板を勢いよく縄で引いてぶつけてきた。


「嘴が降りるぞ!」


 嘴と呼ばれる強行接弦用の足場、大釘が甲板に突き刺さり固定されてしまう。

 二列縦隊で左右に盾を構え進んで来る。先頭右列の男が切り込み隊長で、唯一右半身を盾で被われずに居る。

 海軍兵が五分の戦いを見せる、流石の腕前で互いに譲らず足場から先には進ませない。


「左舷にも敵接近!」


「護衛隊は左へ!」

 

 武師が指揮を執り左へと十数人が移動する、海上での戦いには慣れていないが泣き言は言ってられない。

 小型盾を構えて中剣を抜いた。こういった場所ならば短めの剣は比較的有利に使える、長槍では今一つだ。

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