3


 発表の準備は遅々として進まない。他の班が既にレポートや発表原稿の執筆にとりかかっているところ、私たちはまだ調査の段階で止まっていた。

 瑶月ヤオユエ琳美リンメイは相変わらず互いを疎ましく思っている節があって、それが進行を妨げる要因となっているのは明らかだった。琳美は不思議と異常災害に詳しく、口調や態度は刺々しくとも、義務感もあってかそれにまつわる情報を数多く提供してくれていた。一方で、瑶月はその一つ一つを検討し、発表内容も考えた上で多くを切り捨てていた。言っていることに正当性はあるのだが、琳美からすれば、それは不愉快極まりないものであるに違いなかった。

李瑶月リー・ヤオユエ。あんた、あたしの言うこと成すこと跳ね除けてばっかりだ。こんなの、適当に選べばいいじゃんか」

 背もたれに寄りかかり、不満も露わに琳美が言った。自分の助力が無下にされ続けるのは、誰にとってもストレスだろう。私は瑶月の資料整理を手伝いながら、琳美に少し同情した。

「あなたはそうかもね、楊琳美ヤン・リンメイさん」

 瑶月は顔を上げないまま、皮肉げに笑った。「でもね、私はそうもいかないの」

 ガタッと机が大きく揺れて、書いていた字が歪に曲がる。「お前っ」勢いよく立ち上がった琳美の怒りの視線にも、瑶月は涼しい顔だ。私は聞こえないようにため息を吐くと、ペンを置いて言った。

「じゃあ、こうしよう。それぞれ自分が一番いいと思う異常災害をプレゼンする。その上で、三つの中から一つを選ぶ。どう?」

 琳美は口を引き結んで数秒沈黙してから、しぶしぶと言った様子で椅子に座り直した。自分がどれだけ腹を立てても、それを向ける相手には何の影響も及ぼせないと気づいたらしい。賢明な判断だ。

「私は構わないよ。確かに、その方が無駄がなくていいかもね。各自で考えた方が早そうだ」

 ようやく作業の手を止めて、私に向けて瑶月が言う。琳美のことは見ようともしない。

 呆れはするが、仕方がないのだとも思った。これが彼女なりのコミュニケーションなのだというのは理解していた。瑶月は、遠回しな言い方でもって「好き」とか「嫌い」のような原始的な感情を伝えるしかできないのだと。琳美はその点ストレートだから、そのぶん余計に相性は悪かった。どちらも基礎は似ているのだ。表出の方法が違うだけで。

「それなら決まりね。早速やろう」

 三十分の準備時間を設けてから、くじ引きで決めた順にプレゼンをしていった。私が最初で、琳美、瑶月が後に続いた。

 私は簡易的なまとめをいくつかの画像データと共に二人に提示した。広げた端末の中には、荒涼とした廃墟の風景と、赤黒い染みのついた手帳が映し出されている。

「〈静霊現象せいれいげんしょう〉が発生したのは旧イギリス北部。時期としてはかなり最初の方で、知覚不能の〈静霊〉が街の住人の認知を侵して〝異端狩り〟に走らせた、っていうのが一般的な説かな。結果として、一つの街の住人が全員死亡している。他の大規模なのと比べるとバイオレンスな割に地味でマイナーだけど、私はそれに引けを取らないくらい興味深い要素があると思ってる」

「センスいいね。でも意外。ツァイは僵尸関連のものを選ぶと思ってた」

 琳美が不思議そうに言うので、私は苦笑した。「最初はそう思ってたんだけど、他の班とも被るかな、って」

「確かに意外性はあるね。問題はどう内容を充実させるかだけど」どうするつもり、と瑶月が視線で問うてくる。私は首を振って、「問題はそこ。他と被る可能性は排除できるけど、現地の状況を当事者の視点で記しているのは一冊の日記だけ。その上、危険性が高いっていうのですぐに封鎖されちゃったから、あとはもう事後調査の報告書しかない。ちゃんと研究できれば話は違うと思うけど、今回の場合は内容があまり膨らまないと思う」

「じゃあ、保留だね。保険ってところかな」

 異論はなかった。もとよりそのような扱いに落ち着くものを選んだつもりだったし、琳美もこれといって意見はなさそうだ。「それじゃ、次行くよ」咳払いをして、琳美が『異常災害遺構調査報告集』を開き暗い海の写真を示す。

「あたしはこれ、〈涅胎化ねったいか〉。全異常災害の中でも最大規模、かつ封鎖も解決もできない類の、〈終末現象カタストロフ〉を象徴する災害の一つ。知名度も高いし、ちょうど蔡のとは逆の内容になるかな。詳細はまぁ、説明するまでもないと思うけど……」

「ダメ。ちゃんと言って」

 瑶月が鋭く釘を刺す。「うるさいな、わかってるよ」琳美は鼻を鳴らして先を続けた。

「〈終末現象カタストロフ〉の最初期に、宇宙から飛来した隕石が世界各地の海洋に落下した。その後、落下地点を中心にして海は徐々に黒く変色し、有機物を分解するようになった。これが〈涅胎化ねったいか〉、旧日本の海洋科学研究所の命名になる。で、海は有機物を分解して巨大な黒い柱──異常分子構造体、通称モノリスを形成し、不定期に人間を海へと向かわせる異常音波を発するようになった。なお、今は活動停止中」

 どう? と私と瑶月を順繰りに見る。個人的には唆られる内容だった。どうせやるなら、普段触れない領域に手を伸ばすのも悪くない。「いいと思う。資料も豊富だし、色んな側面から言及できそう。精神医学とか」

 瑶月はしばし考え込んでから口を開いた。「研究が一番先に進んでたのはどこ?」

「日本だけど、それが?」琳美が怪訝そうに顔を歪めるのに、瑶月はくすりと笑って、「この中に日本語が堪能な方がいらっしゃる?」

「翻訳ソフトにかければ……」

「国家がなくなってから翻訳の研究が滞っているのは知ってるよね。いちいち細かいニュアンスを変換してたら、いくら時間があっても足りないよ」

 琳美は舌打ちをして机の上に資料を放った。「わかった、わかったよ。それならとっとと最高の案を出してくんない? 李老師リー・ラオシー

 琳美が睨むのを瑶月は笑顔で受け流した。自分の案が私たちのそれよりも良いものであると、彼女は微塵も疑っていないようだった。

「私が提案するのは〈蓋棺蘇醒ガイグァン・スーシン〉。二人とも、これには詳しいよね──」


 五分にも満たない説明を受けて、私たちは黙り込んだ。彼女の話は理にかなっていた。反論の余地もなく、比較すれば彼女の案が最適であるのは間違いなかった。「瑶月の案を採用するのでいいかな」念のため確認を取るが、琳美は何も言わなかった。

「決まりだね。今日はもう解散して、来週から原稿に取り掛かろう」

 私の宣言を合図に片付けをして、その日は終わった。各自の寮への別れ際、琳美が近寄ってきて、耳元で「今日は悪かった」と呟いた。私はそれが意外で、遠ざかる彼女の背を目で追いかけた。私も人のことは言えないが、なんて不器用なのだろう。

「かわいそう、って思う?」

 不意に、反対の耳に瑶月が囁いた。得体の知れない騒めきに肌が粟立ち、反射的に後退る。「な、何が?」

 彼女は私の問いに答えない。一方的に、ただ語るだけ。

「あの子は、憐憫を嫌うと思うよ」

 じゃあね、と手を振って、軽快な足取りで去っていく。私は呆然と突っ立って、それを見送ることしかできない。


 *     *


 ベッドが快適だったかといえば微妙なところだ。研究室のソファに馴染みすぎて、却って寝つきは悪かった。快適さに慣れない、とでも言えばいいのか、私のいるべき場所ではないと感じてしまう。おかげで起床は遅く、食事もブランチといった頃合いだった。

 相も変わらず粥を食べる。元から食事に頓着がなかったわけではなく、それどころじゃない生活を続けるうちに優先度が下がったのだとよく言い訳をする。実情はというと、半分は本当で、半分が嘘だ。昔は完全食に依存せずにもっと食材の形が明らかなものを食べていたのだが、その一方で同じメニューが何日続いても苦にはならなかった。要は適正の問題なのだ。私は完全食に適正があった。それだけのことでしかない。

 テーブルに積んだ本の山を一瞥する。『入土為安』はこのご時世の小説としては意外性に満ち、新鮮味もあって面白かった。端々にあるニヒルな台詞に、私は自然と瑶月の声を重ねた。気がつくと彼女の面影を見出している。今の問題とこれからの研究のことしか頭にない普段の私からは考えられないことだった。

 他の作品はというと、出版社での印象と同様に、凡庸で無味乾燥と言う他になかった。初作の空気を求めて手に取るのだとすれば、もはや詐欺だとしか思えまい。もちろん、そんな欲求を持った読み手が、上級生存区のどこにいるのか私にはわからないが。

 娯楽は娯楽の域を出るべきではない、と言うのが上級生存者の大半が持つ共通見解だと言っていい。私たちは高貢献性人材として潤沢な社会保障を受ける代わりに、貢献可能性を下げることなく常に己の価値を証明し続けなければならない。それは社会から課された使命であると同時に、「善く生きても良い」という証を維持するための生存戦略でもある。

 それゆえ娯楽の需要は、手を止め歩みを鈍らせる思索ではなく、単純な論理、純粋な構造へと向かっていく。最初に記された瑶月の言葉は、明確にその慣習セオリーから逸脱するものだ。人の手に渡らないどころか、ルールの遵守を強いられるのも無理はない。

 複雑な過程や絡まり合った事象を思考として保持し続けるのは、多大な負荷を伴うものだ。それと比べて、シンプルな物事は少ないリソースで処理していける。「パンとサーカス」とでも言っただろうか。人はいつの時代も、自らの目を晦ますことに余念がない。

 白玉パイユーは待機の姿勢を崩すことなく部屋の片隅に身を収めている。シャワーを浴び身支度を済ませ、外出するそぶりを見せたところでゆっくりと動き出した。試運転二日目。制御は良好。状態良し。

 瑶月が住んでいた一般生存区の小区シャオチーには自動運転車両で向かった。昔は僵尸に運転させる案もあったようだが、自律可能な僵尸の開発が当時の技術では不可能だったということで、人工知能搭載型が一般化したと聞いている。これについては、仮に新型が安定供給可能になったところで変化はしないだろう。僵尸のメンテナンスというのは、意外なほどに面倒なのだ。

 区を分割する壁と検問を潜れば、街の様相は一気に変わる。同一の都市内部で、世界は明確に切り替わる。高架道路から見える景色は秩序を失い、すべての建築物は不可視の天井に阻まれるようにその成長を止めている。それでいながら、溢れる色彩を止めもせずに、平面に拡大し歪な凹凸を成す様は、植物の繁茂する姿を想起させる。形式と定型からの逸脱は、目が回るほどに鮮やかだ。

 一般生存区に来るのは、およそ一年ぶりのことだった。普段は稼働中の僵尸を視察しに遣わされることが年に一度あるかないかで、それ以外の用事が生じることもない。こんな個人的な理由で訪れることになるとは夢にも思わなかった。

 一時間ほど揺られるうちに、いつの間にか眠っていたらしい。目を覚ました時にはすでに一般生存区の奥に入り込んでいて、私は身体を起こしてから、隣に座して微動だにしない白玉パイユーの肩に頭を乗せていたことに気づく。肌に触れていた頬は冷たい。白玉パイユーの痩せた肉体は、運動補助衣に鎖骨や肋を浮き上がらせている。

 慣れ親しんだ死者の身体だ。なのに、瑶月のそれと思うと、いささか落ち着かないものがある。見知った人間の僵尸を間近に置く機会など、そうあるものではない。

 途中、露店と商店の並ぶ通りを抜ける際に、街灯や店の軒先に赤い提灯が連なっているのを見た。私はふと、香薇の言葉を思い出す。終末以前であれば、今はちょうど清明節の時期だ。上級生存区ではその影も見えなかったが、ここではその限りでもないらしい。一人だけ時間遡行をしたような気分になる。

 目的の小区で降車し、入り口で身分証明を済ませてから調査目的であることを告げると、あっさりと中に通された。念のため脳幹府発行の活動許可証も持ってきたのだが……まぁ、ないよりはマシだろう。

 管理人から聞くところによると、肝魂部の調査も終わって後は遺品の処理だけだったが、肝心の受け取り人の指定がされておらず、廃棄まで待っていたところだという。彼女は以前から両親との関係が良好とは言い難かったようだから、おそらくはそのせいだろう。

「交友関係は?」

「さぁ、どうでしょうな。私の知る限りでは、人付き合いはなさそうでしたが。亡くなる前の数ヶ月はほとんど外出もなさっていないようですし、お隣さんも話したことはないんじゃないですかね」

 中年の管理人はそう言って顎を撫でた。「まぁ、お好きになさってください。生命科学研究院の方を咎める者もおらんでしょう」

 私は礼を言って立ち去りかけてから、足を止めて問いを投げる。「そういえば、商店街の飾りは?」

「ああ、あれですか。どうも、何かの祭りみたいですよ。一部の人たちが『終末以前の文化を再生しよう』とかなんとか言っているみたいで。懐古主義ってやつですな。私にはイマイチわかりませんがね」

 白玉パイユーのことは誰も気に留めていなかった。秘面紗ヴェールには僵尸を生前と分離する意味もある。顔が完全に隠れていると、人物と肉体を対応させるのは思った以上に難しいものだ。個人の特性を示す生命反応が消失していれば、それは余計だろう。

 部屋のロックを解除してもらい、内部に足を踏み入れる。調査を経た影響か生活感はほとんどなく、壁際には箱がいくつも積み上がっていた。廊下を進み居間に出ても、瑶月がここでどのような生活を送っていたのかはわからない。この空間のどこかで彼女が僵尸の頭蓋を割り、秘された代替脳を飲み込んだという死の顛末だけが、宙ぶらりんのまま揺れている。私は蚊帳の外だ。他のことは推察のしようもない。

 未発表原稿はこの箱のどこかにあるはずだ。どういう規則で分類されているかが不明な以上、片っ端から見ていくしかない。本当は物品のタグ検索ができれば一番いいのだが、こんな小規模な自殺にそんな労力は割いていないだろう。

白玉パイユー、箱をぜんぶ下ろして。記録媒体か印字された紙を探して」

 指示を出し、早速探索に取り掛かる。使える手が四本あるのがせめてもの救いだ。

「本人が宝の在り処を教えてくれれば、一番早いんだけどね」

 どこにも届かないとわかっていながら、小さくぼやく。白玉パイユーは黙々と、生前にも触れたはずの品々を仕分けていく。


 *     *


僵尸チァンシーの基本原理は?」

「代替脳で外的刺激を異常な信号に変換し、それを疑似神経伝達液を通して全身に伝達、運動を実現してる。ただ、代替脳自体は現象抽出物アンノウン──異常災害で検出された現象から流用可能な要素を取り出したもの──だから、死体が動く理屈はすべてブラックボックス。まだ解明されてない」

 瑶月が極薄PCペーパーノートのキーを叩く。私は頭に叩き込んだ内容を続けていく。

「僵尸技術を確立したのは朱智仁チュ・チーレン。〈蓋棺蘇醒ガイグァン・スーシン〉発生当時、政府系の研究機関で働いていた生命科学研究の第一人者。イェレベス建設時には人的資源の不足を補うため僵尸の活用を提言してる。十年くらい前に亡くなっているけど、現行僵尸もこの人の研究成果が使われてるね」

「〈蓋棺蘇醒〉の詳細は?」

 今度は琳美の番だ。「発生地域は旧ウイグル。イスラームの影響で土葬が一般的だったあたりで、墓から死体が這い出してそこらじゅうを歩き回っているのが村人の目に止まったことで明らかになった。蘇った連中は、悪臭と疫病とかの衛生問題を除けば人間を襲いもしない無害な存在だったんだけど、人間の発する声には微弱ながら反応が見られたというので、何らかの特殊な感受性を持っているんじゃないかって話になったらしい。今の僵尸でいうところの……」言い淀んでこちらを見たので、引き継いで答えた。「感気ガンチー。仮想概念ではあるんだけど、物が持つ〝気〟を感知しているとされてる。代替脳の基本機能だね」

 発表の内容が決まってからは、何もかもが早かった。災害発生時の状況は琳美が、僵尸の技術的な部分は私が担当し、それらをまとめて文章にするのを瑶月が担った。最初からこうすればよかったのだと思った。各自の特異分野を活かせるのなら、その方が効率がいいに決まっている。

 参考資料は論文に報告書、映像もあり非常に充実していた。閲覧申請をすると、それだけで十分な量が集まった。

 執筆を瑶月に任せて図書館で琳美と資料収集をしている時、私はふと気になってこんなことを聞いた。「どうして琳美はこっち側・・・・じゃないの?」自動書架オート・スタックのパネルで資料検索をしていた彼女は、ぴたりと手を止めてこう言った。「それ、皮肉?」

 当然、そんなつもりは毛頭ない。私はすぐに否定した。「違う、そういうのじゃなくて……」

 大きなため息が聞こえた。彼女は振り返ると、指先で私と自分を交互にさして「あたしたちは全員社会性が死んでるけど、あんたや瑶月は世の役に立つ。でもあたしは違う。それだけのこと」

「優秀なのに?」本心だった。彼女と自分がいったいどれほど違うのか、私にはもうわからなかった。琳美は眉間に皺をつくって「本当に皮肉じゃないんだな?」ともう一度確認した。私が頷くと、彼女は深く息を吐いた。

「異常災害の知識のことを言ってるのなら、それは的外れだよ。他がダメなんだ。定期適性検査の結果は明かされないけど、あたしに〝上〟の役は務まらない」そう言って、琳美は検索を再開した。やがて書架が滑らかにスライドし、折りたたまれ、道が徐々に開かれていく。

「それだけは確か」

 諦めの滲む静かな声音で彼女は言って、指定されたスペースに向けて歩いていく。私は黙って、その後を追いかけた。

 結果として、発表は皆が納得できる形で無事に終わった。琳美はようやく解放されると笑顔で言い、瑶月は「こんなのたいしたことない」とでも言うように澄ました顔を崩さなかった。発表が終了した時点でチームは解散となったが、爪弾きもの同士故か、私たちの関係は卒業するまで緩やかに続いた。

 意外だったのは、瑶月と琳美が徐々に距離を縮めていったことだった。といっても、その変化は傍目にわかりやすいものではなく、普段から接していなければ気づきもしないほどに微々たるものだった。それでも、三人でなんとなく集まるうちに二人の態度が軟化していくのは、見ている私としても嬉しかった。

 瑶月の薀蓄うんちく語りや琳美のぼやきを背景に、私は僵尸の勉強を進めていった。僵尸については瑶月も強い関心を示していて、私たちは度々そのことについて話し合った。私は技術的な面に注目していたのに対し、瑶月は文化的側面から死を語った。そういう時、琳美は退屈そうに異常災害関連の書籍を眺めては「それ、いつになったら終わる?」と苦言を呈するのだった。

 進級しクラスが別れても交流は絶えなかった。私は彼女たちのいない場所では一人だったし、それは二人にも共通する事柄だった。昼食を共にし、余った時間は図書館か中庭で過ごした。それは私たちが上級一般といった分類の外側にいられた最後の段階で、多少なりとも正しく人を想っていられた最後の時でもあった。大人になるとは、喪失を憂うのをやめることだ。泣いてもいいのは子供の季節限定で、あとはひたすらに現実を受け容れる時間が続いて行く。意識するまでもなく、そうなるように私たちはつくられ、仕向けられ、方向付けされている。そして、仮にその事実を知ったところで、どうにもならないようにできている。

 瑶月はよく文化を語り、歴史を広げ、信仰と呼ばれるものを思考した。そしてとりわけ、このような世界観を好んで口にしていた。

「〈終末現象カタストロフ〉は確かに災厄だった。既存の神様の奇跡よりもはるかに異常なできごとだった。信仰を深めた人がいて、これまでの信仰を捨てた人がいた。信じて縋って頼れるものの多くが瓦解して、再編されていった。世界は今や、抽出された異常に依存して、技術によって生かされている。私たちはね、新しい宗教──新しい死者信仰の上に立っているんだよ」

 二人は、僵尸ししゃのことを信じていられる?

 中庭のベンチに座る私と琳美を見下ろして、演説でもするような大仰さで瑶月が言う。「信じるも何も、〝そういうもの〟でしょ」背もたれに腕を乗せ、足を組んだ琳美が欠伸交じりに答える。「今更疑っていられない」

紀明ジーメイは?」

「私は……」

 瑶月の視線が私を射抜く。なんとなく、彼女が欲しいものはわかっていた。どんな解が正解で、暗黙のうちに求められたものなのか、私にはわかっていた。

 けれど瑶月は、美しく聡明で傲慢な女の子は、私がその要請に従わないことも理解しているはずだった。たった一人で朗らかに抵抗の意志を培養する彼女と、そんな意志も想いもない私。現実を認めた上での拒絶と、現実を認めて知らないふりをするということ。こぼす言葉は違えども、根底に潜む文脈が、私たちはどこかで似ていたから。

「……信じる、と思うよ。何がどうあれ、この都市がその宗教で維持されているというのなら」

 瑶月は笑っている。予想通りとでも言いたげな顔をしていた。

「紀明らしいね。琳美も」

 私と琳美の間に腰を下ろして彼女が言う。

「同じ言葉をそのまま返すよ」

 琳美がぶっきらぼうに呟き、「爪弾きもの同士、ね」と私は補足した。 


 *     *


「あった……」

 一時間ほどの探索を経て、衣類や家具に混じるガラクタの山に小型記録装置を発見した。携帯端末で読み込むと、それらしき名前のファイルが目に付いた。幾度も改稿されたようで、タイトルの後に番号の振られたテキストが大量に並んでいる。初稿はちょうど出版申請が出された頃。最新のものには、自殺した当日の日付が記されていた。

「『永生城市ヨンシェン・チェンシー』……」

 書かれた言葉を音でなぞる。李瑶月という女の遺稿、誰の目にも触れない秘された物語。永遠に生きる都市と題して、瑶月は何を成そうとしたのか。あるいは、何も成さずとも、何を描こうとしたのだろうか。それらの疑問の答えは、果たしてここにあるのだろうか。瑶月は、私に解を用意してくれた?

白玉パイユー、作業終わり。ぜんぶ元の場所に戻して」

 仕分けを続けていた白玉パイユーを停止させ、逸る気持ちを抑えて、広げた物を片付ける。彼女の生活を箱の中に押し戻す。欠けた食器も、壊れた時計も、擦れたシャツも。私の知り得た李瑶月の匂いはどこにもなく、質を欠いた病的な日々の残滓ばかりが集積される様は、僵尸の在り方とどこか似ている。

 死者に未来は存在しない。過去の断片の集合が、〝そこに在った〟と錯覚させるだけ。

 そうと知りながら、朽ちてゆく骸に死者を幻視するように、風化してゆく言葉の群れにも意味を見出そうともがいている。瑶月の意図を探ることにどれほどの意味があるかもわからないのに。生命の廻る都市にあっては、想うだけ無駄であるとわかっているのに。

 喪失に対して鈍くあれ。死者を想わず、モノとして見よ。それが摂理で、善く生きるためのまっとうな正しさだ。技術を信じ神格化して、無意識のままに祭壇を築いている。でなければこの社会は維持できず、この世界は成り立たないから。

 善し悪しの問題ではなかった。他に生存する術がない状況下で、いかに目を瞑っていられるかという話だった。私が死体と向き合い研究に明け暮れる日々に膿まないのは、それが私に課せられた最大幸福だと信じるからだ。他の生き方を試行しないのは、知らずにいれば済む話だと知っているからだ。愛はなくとも、私はこの破滅を保留した現状を穏やかに思っている。「これで良い」「仕方がない」と、おおよその道理を飲み下せる程度には。

 一部を除いたすべてをあるべき場所に戻し終え、私は立ち上がる。記録装置の他、比較的新しい衣類を何着か拝借した。普段着のバリエーションが乏しいのを研究班のメンバーに指摘されたことがあったので、ちょうどよかった。どうせ廃棄されるだけなら、私が持って行ったところで誰も文句は言わないだろう。瑶月ならあるいは、「形見分けのつもり?」と皮肉げに笑うかもしれないが、

 部屋を出たところで、薄暗い室内を振り返る。瑶月は、この場所でどんな日々を送ったのだろう。白玉パイユーが歩く姿は過去を映さず、置き去りにされたモノたちさえも真実の記録たりえない。シニカルな少女と、私の名を呼ぶ若い女、そして肋の浮いた上体を揺らす抜け殻はどれも同じ名前をして、その時々に切り取られた一瞬の表情を、幻影として脳裏に描く。

 白玉パイユーが傍に立つ。廊下の奥の影の中には若い女と少女が並び、あの独特の、自信に満ちた微笑みを私に向ける。

 じゃあね、瑶月。もう二度と会うこともないでしょう。

白玉パイユー、行くよ」

 無言の別れを告げて、扉を閉める。もうどんな表情も、私には見えない。

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