Ⅳ 迷惑な客

 それからまたしばらくの時が経ち、すっかり日が落ちて夜となった……。


 ご令嬢二人もたいそうパンケーキに満足して帰ってくださり、今頃はそれぞれの家で夕食の席についていることだろう……秘密の外出がバレて大目玉を食らってなければいいが……。


 一方、夜も営業している店の方は、なおいっそうの繁盛を見せている。


 着飾った上流階級の紳士・淑女もいれば、中産階級の商人、その日暮らしの職人のような人々の姿も見られる……また、こちらも最近よく来るようになった、白い羽付き帽のよく似合う流しの竪琴リュラー弾きが、異国情緒誘う旋律メロディを流れるような指さばきで優雅に奏で、賑わう店内によりいっそうの心地よい空気を醸し出している。


 そして、コーヒーの芳しい香りと、ランタンの温かな橙色オレンジの光に包まれた夜のカフェテリーヤ内には、今なお探偵とダンディな紳士が変わらず居座っていた。


 二人とも本を読んだり、コーヒーのおかわりをしたり、時に軽食を頼んで食事代わりにしたりしている……それ自体は普段と変わらぬ行動だが、一度、疑い始めると、なんだかすべてが怪しく感じてきてしまう。


 しかし、どちらも同じような行動をとりながら、かといって仲間というわけでも…いや、知り合いですらないような様子だ。


 やはりお互い気になるのか? 時折チラチラと覗い合ったりなんかもしている。


 若者の方は探偵とわかったが、ダンディな紳士の方はいったい何者なんだろうか?


 そうして私まで警戒心を抱いて二人を見守る中、またカラン、カラン…と小気味よくベルがなり、新たな客が入って来た。


「いらっしゃいま…!?」


 いつも通り、反射的に挨拶をして入口の方へ視線を向ける私どあったが、その客を見た瞬間、思わず私は目を大きく見開いてしまった。


 大柄なエルドラニア人らしき顔立ちの男で、黒く長い巻き髪に黒い鍔広帽を被り、眼光鋭く立派な口髭を生やしている……そして、長身に羽織ったダークブルーのジュストコールの左胸には、なんと、真っ赤な一輪のバラが飾られていたのである!


 他にこんなキザな客もそうそういないであろう……このタイミングでは間違いない。おそらくはこの男が、探偵の言っていた人物に違いない。


 それを察してチラリと見ると、探偵も、そしてダンディな紳士も明らかに眼の色が変わっている。


「どうぞ。どこでも空いている席へ……」


 動揺を気取られないよう必死に平静を装い、私はその男に席へ着くよう促す。


「おう。コーヒーを一杯、ブランデーを垂らしたやつをくれ」


「はい。かしこまりました」


 すると、男は凄みのある声でそう注文しながら、真ん中辺りの空いている席へと腰を下ろした。あのダンディな紳士の席とは、真ん中の通りを挟んで斜め前の席だ。


 私はとりあえずブランデー入りコーヒーを淹れ始めるが、その間にも早々に探偵が動き出す……彼は静かに自分の席を立つと、ツカツカと重々しい表情をして男の方へと歩み寄って行った。


「どうも失礼するぜ。あんた、セニョール・ティーン・ハイヤーで間違えねえか?」


 そして、男の傍らに立つと、藪から棒にも唐突にそう尋ねた。


「フン。早々にお出ましか。手間が省けるぜ……おうよ。この俺が知る人ぞ知るティーン・ハイヤーさまよ。だったらどうするってんだい?」


 すると、鋭い眼差しで探偵のことを見上げながら、男はそう答えて逆に尋ね返す。まるで、その接触を予見していたかのような言い回しだ。


「ハァ……そいつはよかった。こちとらずいぶんと手間暇かけてるんでね。これで人違いじゃあ、お話にもなんねえぜ……んじゃあ、ティーンさんよお、さっそく〝ホノリウス教皇の短剣ダガー〟を見せてもらおうか?」


 訊き返すティーン・ハイヤーなる男に、安堵の溜息を吐いた探偵はテーブルを挟んで自分も椅子に座り、何やら聞いたこともないものを見せるよう要求する。


「おいおい、ずいぶんとせっかちな野郎だな……ま、早くブツ・・を拝みてえって気持ちもわからんでもねえ。いいぜ。見せてやるよ。ほら、こいつだ……」


 その非礼ともとれるいきなりの要求に、ふざけた調子で嫌味を口にするも、男は懐から白い布包みを取り出し、それを開いて中のものを見せた。


「おお! こいつは確かに聞いた通りの装飾……どうやら間違いなく本物みてえだな……」


 包みの中身を見た探偵は、思わず感嘆の声をあげる。


 それは、金銀の装飾が施され、宝石も散りばめられた十字型の短剣ダガーだった。


 確かに値打ちもののようであるが、これが探偵の目的だったのだろうか?


「さあ、いくら出す? こいつはまたとねえ代物だ。他にも欲しいやつらはたくさんいる。それ相応の値段じゃねえと売らねえぜ?」


 短剣ダガーを見せびらかすようにしながら、男は探偵にそう値段交渉を持ちかける。


「んじゃあ、代金はこいつってことでどうだ?」


 だが、探偵は値段を示す代わりに、懐から燧石フリントロック式短銃を取り出して、その銃口を目の前の男に突きつけてみせた。


「もとの持ち主からの依頼でね。あんたには悪いが、こっちも金を払う義理はねえ。ま、盗品なんだからそんくらいのリスクは覚悟の上だろう? つーことで、そいつをおとなしく返してもらおうか」


 そして、銃で脅しを加えながら短剣ダガーの返還を男に迫る。


 今の話からすると、それはどこかから盗まれたもので、それを取り返す依頼を探偵は受けていたということか?


 だが、いくら盗品を取り返すためとはいえ、銃を抜くなど穏やかではない……しかも、あろうことか私の店のなかでだ。


「な、なんだ!?」


「きゃあ…!」


 周りの客達も異変に気づき、一気に店の中はざわつき始める。


 なんということだ……私はこれを一番恐れていたのだ。こうして我がカフェテリーヤがトラブルに巻き込まれることを……盗品だかなんだか知らないが、頼むから外でやってもらいたい!


「フン。なるほどな。船の主・・・の回し者だったか……だが、若いだけに詰めが甘めぜ」


 しかし、男は銃に怯えるどころか、鼻で笑って探偵にそう言い返す。


「はあ? 何を言っ……!?」


 その言葉に探偵が怪訝そうに顔をしかめた瞬間、カチャリと燧石ひうちいし付きの金具を引き上げる音とともに、同じく短銃の銃口が彼のこめかみに当てられた。


「なっ……!」


 目だけを動かして探偵が横を見てみると、そこにはそれまでただの客だと思っていたとなりの席の男が、自分に銃を突きつけて立っている。


「ハハハ…! 確かに盗品を扱うのにはリスクが伴うんでな。用心深い俺さまが一人だけで来ると思ったのか? 甘え甘え、考えが甘すぎるぜ……さあ、銃を下ろしな」


「…クソっ……んなんありかよ? 伏兵なんて卑怯だぞ……」


 立場逆転。さらに手にした短剣ダガーも突きつけて嘯く男の言葉に、探偵は静かに短銃をテーブルの上に置くと、両手を揚げて負け犬の遠吠えをする。


 彼の頭に銃口を向けているのは、一見、どこにでもいそうな商人風の平凡な男であるが、おそらくはこうした不測の事態が起こる可能性を見越し、事前にうちの店へ潜り込ませていたのであろう。


「や、ヤバいぞ! に、逃げろっ!」


「危ない! みんな外へ出ろっ!」


 さらなる銃を持った人物の登場に、ついに客達は声をあげて店から逃げ始める。


 最悪だ……ますます最悪な状況になってしまった……なんでうちの店がこんな目に遭わなければならんのだ……もしこれで人でも死んだら、それこそお客も寄り付かなくなって、この店も終わりだ……。


 ああ、せっかく軌道に乗り出した私のカフェテリーヤが……。


「ハン。何が卑怯だ。てめえだって客のフリして騙しただろう? お互いさまだぜ。ただてめえの詰めが甘かったってだけの話さ」

 

 その混沌カオス的な状況に、ただただ頭を抱えて呆然とする私を他所よそにして、さらに男は得意げな様子で探偵に向かってそう言い放つ。


「いや、詰めが甘いのはおまえ達の方だ」


 ところがその時、シャ…と微かに金属の擦れる音がしたかと思うと、また別の男の声が聞こえてくる……。


 そちらに目を向けると、それはあのダンディな紳士であった。いつの間にやら立ち上がり、素早く引き抜いたレイピアの刃を、銃を突きつける男の仲間の首に押し当てている。


「なに…!?」


「やっと見つけたぞ、盗品密売商ティーン・ハイヤー! わしは〝白金の羊角騎士団〟副団長のドン・アウグスト・デ・イオルコだ! 海賊幇助の咎で逮捕する! すでにその罪は明白。無駄な抵抗はやめて神妙にばくにつけい!」


 鋭利な刃で仲間の動きを牽制したまま、ダンディな紳士はそう高らかに名乗りをあげて、驚く男に朗々と投降を呼びかける。


 白金の羊角騎士団……それはエルドラニアの誇る海賊討伐の精鋭部隊である。もとは伝統ある宗教騎士団であったものを、エルドラニアの海洋進出を鑑みて現国王カルロマグノ一世が再編成したものだ。


 もう、予想外のことが起き過ぎて頭がまったくついていかない……まさか、違いのわかるダンディな紳士が、あの、海賊討伐部隊の副団長だったとは……。


 では、羊角騎士団が出張って来たということは、探偵が取り返えそうとしていた短剣ダガーは海賊絡みの盗品でもあるのか? もう、何がなにやらひっちゃかめっちゃかだ……。


「羊角騎士団だと!? ……チッ…俺さまがんなもんに捕まるかよう!」


 自信満々であった彼も裏をかかれ、さすがに焦っているのだろう……急に苛立ちを見せて声を荒げると、仲間の命も顧みず、手にした短剣ダガーを紳士に向けて投げつけようとする。


「うぎゃあっ……!」


 だが、次の瞬間、男の腕には一本の矢が貫通し、短剣ダガーはカラン…と音を立ててすぐ下の床へと落ちてしまう。


 今度はいったい何が起きたのか? 矢の飛んで来た方向へ目を向けると、そこにいたのは流しの竪琴リュラー弾きだった。


 その手には半弓を構えているが、それはどうやら竪琴リュラーから弦部分を取り外したもののように見える。


「オルペ、よくやった!」


 その竪琴リュラー弾きに紳士は労いの言葉をかけるが、それを合図とするかのように、突然、ドカドカと大勢の者達が店の中へ雪崩れ込んでくる。


 その、当世風の甲冑を着込み、プロフェシア教のシンボル、大きな一つ目から放射状に降り注ぐ光──〝神の眼差し〟を左右から挟む羊の巻き角が胸に描かれた、純白の陣羽織サーコートに白のマントを羽織る一団は、まさしく白金の羊角騎士団の姿である。


「最早、勝負はついている。ほら、銃を置いてとっとと観念しろ。もっとも、ここでなます切りにされて、地獄の苦しみを味わいながら死にたければ別だがな」


 取り囲む団員達は一様に、その手によく切そうな鋭利な剣を携えている……ランタンの灯りにギラギラと輝く、その無数の刃を突きつけながら、ダンディな紳士は今一度、投降を勧告する。


「…うぅぅ……うぁあぁぁぁ…」


「か、観念します……」


 頭目と思しき男も腕の激痛にのたうち回っているし、仲間も銃を探偵のこめかみから外すと、恐る恐る両手を挙げて反抗の意思のないことを示した。


 怒涛の展開にすっかり置いてけぼりであるが、とりあえず最悪の事態になることは避けられたらしい……。


「……ふへぇ〜…なんだか知らねえが助かったあ……マジで死ぬかと思ったぜ……」


 他方、危うく命拾いをした探偵も、大きな安堵の溜息を吐くと、一気に脱力してその場にへたり込んだ──。

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