Ⅲ 意味深な質問

「──お待たせしました。パンケーキとカフェ・コン・レチェにございます」


 コーヒーを練り込んだ生地を焼き上げ、蜂蜜をかけて生クリームを盛ったパンケーキを銀盤に載せ、私は令嬢達の席へと運んでゆく。


「うわあ! おいしそうですわ!」


「ほんとに。抜け出してまで来た甲斐がありましたわね」


 テーブルの上に置かれたその黒いパンケーキを見つめると、二人は目を輝かせて歓喜の声をあげる。


 うちはあくまでコーヒーで売っている店なのであるが、それでもそうして喜んでくれると悪い気はしない。


「では、どうぞごゆっくり」


「あ、ちょっとマスター、訊きてえことがあるんだが……」


 微笑みを浮かべて令嬢達にお辞儀をし、カウンターへと戻ろうとしたその時、不意にあの〝探偵〟だという若者に呼び止められた。


「あ、はい。なんでしょう?」


「ちいとばかし変なこと訊くが、この店に〝胸に赤い薔薇を刺した男〟の客って来たことねえか?」


 それに振り返って私が訊き返すと、探偵はなにやら意味深な、そんな質問を私にぶつけてきた。


 なぜそんなことを尋ねるのか? 皆目検討がつかない……それにそんな客は一度も見たことないように思う。もしそんな目立つ客がいたら、ぜったい記憶に残っていると思うのであるが……。


「さあ? いなかったように記憶しておりますが……その方が何か?」


 そこで私は首を横に振ると、正直にそう答えてむしろ尋ね返す。


「そっか。いや、知らねえならいいんだ……ついでにもう一つ。最近、裏通りの方の界隈で、魔導書密売してた業者がパクられたのは知ってるか?」


 すると、今度は突然話題を変えて、またもよくわからないことを訊いてきた。


「魔導書……?」


 魔導書グリモリオ──それは、この世の森羅万象に宿る悪魔デーモン(※精霊)を召喚し、彼らを使役することで様々な事象を自らの想い通りに操るための方法が記された魔術の書である。


 故になんとも便利な代物なのではあるが、その強大な力は現体制をも揺るがしかねないため、宗教的権威であるプロフェシア教会や、その影響下にある国々ではその自由な所持・使用が固く禁じられている。


 有体ありていに言えば、魔法修士(※魔導書の魔術を専門に研究する修道士)をはじめとする教会や各国王権の許可を得た者だけが利用することで、その力を独占し、それにより自分達の支配体制を確立しているのである。


 無論、筋金入りのプロフェシア教国であるエルドラニアもご多聞に漏れず、もし無許可で持っているのが見つかれば、異端の罪で火炙りになることも想像に難くないであろう。


 もっとも、そうした強権的な禁書政策も完璧というわけではなく、裏の市場マーケットでは平然と魔導書が売買されているし、聞くところによると、エルドラニアが植民地運営のために運んでくる希少な魔導書を船から奪い、その写本を作ってバラ撒いている海賊もいると聞く。


 そういえば、つい最近も骨董店アンティゴを装って、大々的に魔導書やその魔術に使う道具を売ってた〝ロナウドウ〟という店が摘発されたとか言ってたか……探偵は、その店のことを訊いてるのだろうか?


「ああ、はい。なんとなくは聞き及んではおりますが……それが何か?」


 どういう意図を持っての質問かは知らないが、とりあえず私は正直なところをそう答えた。


「…………いや、いい。変なこと聞いちまってすまなかったな。俺にもコーヒーおかわりくれ…ああ、もちろん、ミルクと砂糖は忘れずにな」


 すると探偵は、じっと私の顔を長らく見つめた後に、不意にその瞳から鋭さを無くし、またもハーフボイルドな注文を笑顔で口にする。


 もしかして、何かカマをかけていたのか? だとすると、彼が追っているのは魔導書絡みの事件かなにかなのだろうか? それと、さっき言っていた〝胸に赤い薔薇を刺した男〟とはどんな関わり合いがあるのだろう?


 いずれにしろ、これで彼が純粋な客として毎日来ていたわけではないことははっきりとした……これまでは悟られないようにおとなしくしていたが、ご令嬢達に探偵だとバラされたので大胆な行動に出たのかもしれない。


 となると、ひょっとして私はなんらかの疑いをかけられているのか?


「はい。かしこまりました……」


 ますます以って疑念と不安を内心抱きながらも、表向きは冷静さを装い、いつものように淡々と返事をする。


 そういえば、すっかり失念してしまっていたが、怪しい客といえばもう一人、同じく毎日、一日中居座っている人物がいる……。


「…………」


 私はカウンターへ戻るフリをして、振り返りざま、チラリと店の奥の席へ視線を向けてみる。


 すると、こちらをじっと睨むように観察していたあのダンディな紳士は、まるで誤魔化すかのようにさっと目を逸らし、何事もなかったかのようにまた本を読み始めた──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る