第六話 黄鉄鉱 後編
気がつくと、暗い夜道でひとり、茴香は立ち尽くしていた。
さっきまでと、見ている風景は何も変わってはいない。しかし、なぜか何もかもが一瞬で変わってしまったような、そんなぼんやりとした違和感があった。それが何なのかわからずに、茴香は思わず顔をしかめる。
後ろを振り向く前に、茴香はふと、足元に何かが落ちていることに気づいた。白く、のっぺりとしていて細長い、単純な人形のようなもの。そして――
「その白いのは、身代わりになったんだよ。あの子のね」
振り向くと、すぐ近くに見知らぬ人が立っていた。金髪のすらりとした青年。彼は祭りの喧騒が聞こえてくる方をちらりと見やってから、大きくため息をついた。
「なるほどね。あの石が企んでいるのは、こういうことだったか」
そんな風に、ひとりごとを呟く。
「見えているものすべてを理解できているわけではないだろうし、ようは呪術を行っているという何者かの、新しい手が見たかったんだろうな……まったく、食えない石だ」
何を言っているのだろう。石はそもそも食べられないのではないだろうか。そういうことでは、ないのかもしれないが。
呆気にとられている茴香に気づくと、青年は苦笑した。
「すまないね。君には関係のないことだった。いや、巻き込まれている時点で無関係とはいかないか。本当に、あの石はいったい、どこまで見通しているのやら」
やっぱり意味がわからない。茴香は首をかしげる。
「さて、黒曜石たちの助けを待つか。あるいは――」
青年はそこまで言うと、しばし黙り込んだ。そうして、その先の言葉を飲み込むと、ふいに茴香の方へと向き直る。
茴香がいぶかしんでいると、彼は地面を指差しながら、こう言った。
「とりあえず、そこにある石を拾ってもらえるかな? できれば、丁重に扱ってもらえるとありがたい」
青年が示したのは、茴香の見ていた白い何かの方ではない。もうひとつ。その近くに転がっていた――
「石? これが? この、変なオブジェみたいな形のものが?」
思わず口をついて出た言葉に、青年はなぜか愕然としている。何か悪いことを言っただろうか。茴香は慌てて口を開いた。
「ごめん。あたし、ばかだから。これが石だなんて、知らなかった。部品か飾りか、とにかく金属製の何かだと思って」
青年は表情を取り繕いながらも苦笑する。
「金属なのは、間違ってはいない。半分くらいは鉄だからね」
茴香が金色の石――見た目の割にはずしりと重い気がする――と、ついでに白い方も拾うと、青年はこんなことを言い出した。
「とにかく、それは俺なんだ。名は黄鉄鉱という。とある石が言うには、ここで俺の力が役に立つそうだから、助けを待つよりも、ここから脱出する術を探した方がいいかもしれない」
茴香は自分の手のひらの上にある金色の石に目を向けた。それから、どう答えていいかわからないまま相手の顔を見返す。彼はいったい、何を言っているのだろう。
「えっと……鷹山さんは、いなくなっちゃった、か」
茴香は助けを求めるように周囲を見回した。知り合いの姿を探したが、彼女の姿はどこにもない。黄鉄鉱と名乗った青年は、そんな茴香の行動に肩をすくめている。
「どちらかというと、俺たちの方がいなくなったんだと思うよ」
茴香は途方にくれていた。目の前の青年がわけのわからないことばかり言うのもそうだが、実際に不安を感じていたことも確かだったからだ。
とはいえ、茴香の立っている通りに人影はなくとも、山鉾のある方には人の流れが見えている。茴香はとりあえず状況を変えようと、そちらへと戻ることにした。しかし――
茴香は立ち止まる。何かがおかしい。笑いさざめく人々。祭りのおはやしの音。それらは、さっきまでの祇園祭と変わってはいない。変わっていないように、茴香には見えた、が――
そこでようやく、茴香は違和感の正体に気づく。
――これ、人じゃない。
目の前を通り過ぎていく人々。その表情、声、言葉。それらは、まとまりとしては祭りの空気そのままだ。しかし、そのひとつひとつを拾おうとすると、それが途端におぼろげになってしまう。
目の前にあるのは、まるで何かの映像でも流されているような、そんな現実感のない光景だった。そこにいる人々は誰でもない。ただ、祭りを楽しんでいる群衆、というだけの空虚な影。
思いきって通り過ぎる人に話しかけてみたが、表情はおろか、その顔立ちすら曖昧な影は、当然のように茴香のことなど相手にしてくれない。
呆然とする茴香に、黄鉄鉱がこう言った。
「どこから説明したものか……まあ、簡単に言うと、俺たちは閉じ込められたんだよ」
「閉じ込められた? どこに」
「どこでもない。本来ある時間からも、空間からも切り離された場所。強いて言うなら、祭りという空気の中、かな」
ちゃんと答えてはくれているのに、その言葉の意味が自分の中にある常識とは相容れない。茴香はそんな状況に戸惑って――そして結局、ありのままを受け入れることにした。
黄鉄鉱はそんな茴香にこう問いかける。
「本当なら、うちの客人、鷹山花梨を捕らえようとしていたのだろう。彼女とは、友だちかい?」
「うん。そうだね」
茴香は何のわだかまりもなくそう答えた。少なくとも茴香はそう思っていたからだ。
「大学で、いつもひとりだったから。それに……まあ、とにかく気になったから話しかけたの。だから、こっちは一応、友だちのつもり」
茴香がなぜ鷹山花梨のことが気になったのか――それは、彼女の境遇がかつての自分と少し似ていたからだ。
もしかしたら、これは同情なのかもしれない。しかし、茴香は彼女を単に哀れんでいるつもりはなかった。
そうでなくとも、彼女はある意味では噂どおり、本当にこんな――わけのわからないことに関わっていたらしい。今回は自分もそれに巻き込まれてしまったようだが、茴香はだからこそ、彼女の苦労が偲ばれるような気がしていた。過ぎてしまったことならともかく、今も渦中にいるというならば、なおさら。
それはやはり茴香自身が、かつての自分と彼女のことを重ねてしまっているせいだろう。
思いがけず黙り込んでしまったことに気づいて、茴香は慌てて黄鉄鉱の方を見た。変に思われたかもしれない。しかし、その心配に反して、黄鉄鉱は何も聞かないでいてくれる。
茴香は黄鉄鉱に問いかけた。
「それで、どうすれば出られるの? ここから」
「そうだな……さすがに簡単には出られないだろうし……とりあえず、今は周辺を見て回ってみるしかないかな」
その言葉に従い、おぼろげな人の波に乗って、茴香は祭りの中を歩き始めた。提灯の明かりが並ぶ山鉾を何度か通り過ぎながら、そのまま真っ直ぐに歩いていく。しかし、すぐにそれも、そう単純なことではないとわかった。
山鉾にはそれぞれいわれがあるらしいが、茴香はよく知らない。ただ、それぞれ特徴はあるので、見分けるのは難しくはなかった。そして――
「これ、さっきも見たやつだ。どこまで行っても、くり返し。終わりがない……」
「どうやら、そのようだね」
これが閉じ込められたということか。茴香はようやく理解した。とはいえ――
気づいたときこそ少し不気味に思えたが、こうして歩いている分にはおぼろげな人々も決して怖くはない。むしろ、明るい空気だけがあるものだから、親しみを感じるくらいだった。
「まあ――でも、何だか楽しくなってきちゃったかも。祭りって遠ざかると、どこか寂しくなっちゃうでしょ? でもここは、そんなことがない。いつまでも歩いていられそうで」
「さっきからずいぶんと、のん気なものだと思ったら。すまないが、もう少し深刻になってはもらえないだろうか」
「ごめん。あたし、ばかだから。以後、気をつけます」
黄鉄鉱の呆れた言葉に、茴香は自分でも苦笑する。
永遠のお祭り。歩いても歩いても終わらない幻想的な光景。こんな話、友人に話しても、きっと信じてはもらえないだろう。
「それにしても、この人影って何だろう? 閉じ込められたのはわかったけど、どうしてわざわざこんな、お祭りの中である必要が?」
黄鉄鉱は少し考え込んでから、こう答えた。
「むしろ、これらがこの呪いの本質なんだろう。祇園祭には千年以上の歴史がある。過去から現在まで、そこに集まった思いはかなりのものだ。あるいは――その中で、祭りに行ったきり、戻って来られなかった者もいたのかもしれない。そういうものが、集まったものではないかと、俺は思う」
「戻って来られなかった、か。あたしはきっと、運がよかったんだろうな」
「……運がよかった?」
茴香の呟きに、黄鉄鉱は首をかしげる。しかし、茴香はただ首を横に振った。
「ううん。こっちの話」
しばらく行くと、少しだけ風景が変わった。祭りの中であることに違いはないが、今度は山鉾の代わりに屋台が並んでいる。茴香はむしろ、祭りというとこちらの方を思い浮かべた。
幻のような屋台とはいえ余裕があればのぞいてみたいものだが、今はそんなことをしている場合ではない。そうでなくとも新たに見つけた場所が気になって、屋台のことはすぐに気にならなくなる。
茴香たちの目の前に現れたもの。それは地下へと続く階段だ。
「地下鉄? これで脱出、は無理かな」
「どうかな……行ってみるかい?」
茴香はわずかな希望を託して、階段を降りていった。見る限り、それは蛍光灯に照らされた普通の地下道だ。影がひしめく地上と違い、こちらの方には人影がまったくない。
しばらくは何事もなく進んで行った。しかし、地下道はいくつもの別れ道を伴いながら、どこまでも続いていく。そして、本来そこにあるはずの駅には、いつまで経ってもたどりつけなかった。
さすがに心挫かれて、茴香はそれ以上進むことを断念する。うんざりしてため息をつく茴香に、黄鉄鉱はこう言った。
「仕方ない。戻るとするか。帰り道はわかるかい?」
茴香はうなずいた。
「大丈夫。あたし、一度通った道は絶対に忘れないんだ」
茴香がそう言うと、黄鉄鉱は感心した様子でうなずく。しかし、茴香は逆に居たたまれなくなった。戻る道がわかったところで、抜け出す道が見つからなければ何の意味もない。
だから茴香はこう言った。
「でも、結局うまくいかなかったね。地下鉄の方は。そんな簡単なわけないのに。あたし、ばかだから――」
「少し、気になったんだが」
黄鉄鉱はそう言って、茴香の言葉をさえぎった。茴香が驚いて見返すと、黄鉄鉱はこう話し始める。
「君は決して愚かではないと、俺は思う。だからこそ疑問なんだが、君はなぜ自分のことをそう称するんだい?」
茴香は押し黙る。今までだったら軽く流されていたことだから、あらためて問われると返答に困った。黄鉄鉱はこう続ける。
「黄鉄鉱という鉱物は、愚者の金、と呼ばれる。まあ、金ではない金色をしている鉱物の、宿命みたいなものなのだが。本質を見極められず、金と見まごうような者は愚かだということだろう。君はどうだ。自らの本質を見極められているか? 己を愚者だと必要以上に蔑んでいては、いずれ自らを見失ってしまう」
「別に、そんな深刻なことじゃないと思うけど」
茴香はそう反論したが、黄鉄鉱はゆっくりと首を横に振る。
「単純に、そう思っていない相手にそんな風に自分を蔑まれるのは、悲しいものさ。それを聞いている方がね。だから、自分をそう称するのはやめた方がいい」
そんなことを言われたのは、初めてのことだった。茴香は戸惑いのあまり黙り込む。
黄鉄鉱はそんな茴香を気づかうように、先へと歩き出した。地上に戻るためだろう。茴香は後ろをついて行きながら、それでも別れ道のたびに進むべき道を示す。
そうしながらも、茴香はずっと考え込んでいた。黄鉄鉱は一方的に話し始める。
「君と一緒にここに閉じ込められたという事実を、もう少し考えるべきかもしれない、と思ってね。俺の力が必要になるということで、俺はここまで寄越されたんだ。それはおそらく、本当のことだろう。君は愚かではない。ならば君にはきっと、わかるはず。この現状を打破する方法を」
「……あなたの力っていうのは?」
茴香の問いかけに、黄鉄鉱はこう答えた。
「そうだな。黄鉄鉱という鉱物は、鉄などで叩くと火花が出る。そのため、火打ち石としても使われた。硫酸の原料だったこともあったが……。それから――カットされ、宝石として流行したこともあったらしい。愚者にとっては、金に見える金ではないまがいものだが、ようは使いようというわけだ」
茴香は手にした金色の石を、目の前の青年と見比べてみた。黄鉄鉱。奇妙な形の変わった石。その石だと称する奇妙な青年。
茴香は自分のことをばかだと思っていた。そして、実際にそうだったとも思う。少なくとも、あのときの自分は――
でも、それはきっと、かつての自分が幼すぎたせいでもあるだろう。あのときの自分は、本当のことさえ話せば、すべて信じてもらえると思っていた。しかし、今の茴香は、たとえどんなに正直に言葉を尽くしても、伝わらないことがあることを知っている。
それは自分にはどうしようもないことだ。だから、自分がばかなのだということにした。ばかだということにして、自分が正しいと思うことを守った。ただ、それだけだ。
だから、茴香は決してばかではない。
階段まで戻ってきたので、そこから地上へ出た。幸いなことに――もとの場所に戻ったはずがでたらめな場所に出た――なんてことにはならなかった。もちろん、幻のような祭りはまだ続いていたが、冷たく何もない地下道よりはいくぶんましだ。
真っ暗になった夜空を見上げて、茴香はふと、あることを思いつく。しかし、それは自分自身でも、突拍子もないと思うようなことだ。
考えた末に、茴香は黄鉄鉱にまずこう問いかけた。
「火打ち石ってことは、火が出せるの?」
黄鉄鉱はうなずいた。それを確かめて、茴香はこう続ける。
「じゃあ、それでこの祭りを終わらせられないかな。ここにいる人たちを、ちゃんと……帰すの」
首をかしげる黄鉄鉱に、茴香は自分の考えを口にした。
「えっと……山を燃やす、というか。ほら、何て言ったっけ。大の字に火を灯すやつ」
「五山の送り火かい?」
送り火。お盆に帰ってきた魂を、あの世へと送り返す行事。京都のそれは、山の斜面に特定の文字や形を描くように、かがり火が焚かれるらしい。茴香自身は直に見たことはないが、その存在は知っていた。
「だって、ここにいる影は帰れなかった魂みたいなものなんでしょう?」
茴香の言葉に黄鉄鉱は考え込む。しかし、すぐに納得したようにうなずいた。
「なるほどね。とはいえ、送り火はひと月先の行事なんだが――まあ、いいか。この異常な空間を終わらせるには、その辺りを多少曲げたところで、問題ないだろう」
黄鉄鉱はそう言うと、右手をかざした。その手に突然、炎が燃え上がり、茴香はぎょっとする。しかし、黄鉄鉱は涼しい顔でこう言った。
「黄鉄鉱の英語名はパイライト。ギリシャ語で火を意味する言葉から名づけられた。だからこそ、火をつけることは得意だ。守り石たちとは違うから、かつてほどの力はないが――ここは特殊な場だから、表よりは力を振るいやすいだろう。さて――」
黄鉄鉱の手から、炎がいくつも舞い上がっていく。暗い夜空にそれらが列を成すと、やがて文字が浮かび上がってきた。
それがはっきりと形づくられるにつれ、祭りの喧騒は静まっていく。影たちは我に返ったように、皆そろって、燃える火を見上げていた。そうして――
* * *
そのとき、暗い夜道に小さく火が灯った。
「黒曜石!」
それを見つけた途端、花梨は叫ぶ。その火は、手を伸ばしても届かないほど高い位置にあった。何が燃えているのだろうか。
花梨がそれを問いかける前に、黒曜石はすでに弓に矢をつがえていた。そのまま矢を放ち、火の灯ったそれを討ち落とす。
それは炎に包まれたまま落下していったが、地面に激突した瞬間、その火は消え去った。そうして、道の上をしばらく転がっていく。
足元で止まったそれを、花梨は用心しながら拾い上げた。
固くずしりと重い、拳くらいの石。それは、でたらめな渦を描いた巻き貝のようなものだった。
「戻って、来られた……?」
ふいに近くで声がした。その声に、花梨は、はっとして顔を上げる。
さっきまで誰もいなかった場所に、誰かが立っていた。そこにいたのは、消えたはずの笹谷茴香。白いこぶり石と黄鉄鉱をその手に持って、彼女は驚いた表情で周囲をきょろきょろと見回している。
花梨がかけ寄ると、それに気づいた彼女は不安そうにこう言った。
「どうしよう。一緒にいた人、いなくなっちゃった。置いて来ちゃったかな」
「俺ならここにいるよ」
黄鉄鉱の声がした。それを手にしていた彼女は、しばし無言で金色の石を――黄鉄鉱を見つめる。
しばらく考え込んでから、ようやく納得したように呟いた。
「本当に石だったんだ?」
「……信じていなかったのかい」
花梨はひとまず安堵した。戻って来た茴香は、その姿を見る限り元気そうだ。とはいえ、花梨が石燕に苦労したときのことを思えば、彼女にも不安があっただろうことは想像にかたくない。
自分への責任を感じながら、花梨はこうたずねた。
「大丈夫? 笹谷さん。どこかに怪我は……」
「うん? あたしは大丈夫だよ。いろいろ変わったものが見られて、むしろ楽しかったかも」
思いがけない言葉が返ってきて、花梨は戸惑った。黄鉄鉱が苦笑する。
「驚くことに、本気で言っているぞ。このお嬢さんは」
その言葉どおり、茴香は自分の身の回りを確かめると、いつのまにやら、手にした端末で平然と――おそらくメッセージを確認し始めた。
「一緒に来てた友だちは、もう帰っちゃったって。薄情なやつらめ」
茴香はそう言って肩をすくめると、花梨の方へと向き直る。
「鷹山さんは、あたしがいなくなったこと、心配して待っててくれてたんだね。ありがとう。それから、黄鉄鉱も。いろいろと……ありがとう」
「いや。こちらこそ。君には助けられたよ」
黄鉄鉱の言葉に、茴香は笑う。そして、誰にともなく、こう言った。
「もしかして、あたしって有能?」
「両極端だな。君は……」
呆れたような声で、黄鉄鉱はそう返した。
「これは異常巻きアンモナイトですね」
黒曜石が討ち落としたものを見て、槐はそう言った。
「異常巻き……?」
こぶり石と黄鉄鉱、そして呪いの依り代となったであろうものを持って、花梨は槐の店へと戻って来ていた。座卓の上に置かれたのは、蛇がのたうち回ったような形をした巻き貝――その化石だ。
槐はこう続ける。
「アンモナイトは均整のとれた渦を巻いているものが多いですから。それに当てはまらないという意味で、異常巻きと呼ばれているんです。この種はそもそもがこういう形で、これ自体が異常なわけではありません。最初に北海道で見つかったこともあり、ニッポニテスと名づけられています」
またしても化石。石燕のときと同じだった。それを扱う者が同じだからか、それとも――
ひとまず考えることはあとにして、花梨は身に起こったことを槐に報告した。とはいえ、今回は当事者ではないので、どちらかというと、花梨も黄鉄鉱の話を聞くことになる。問題ないとのことで、笹谷茴香はすでに帰されていた。
「笹谷さんですが、呪いのことも知ってしまいましたし、軽く事情を話しました。黄鉄鉱さんのことも含めて、受け入れてくれたようです」
「そうですか。何にせよ、無事でよかったです。こぶり石も、効果はあったようですが……こちらは、もう少し考えないといけないようですね」
槐は申し訳なさそうに、こぶり石を手にとった。しかし、実際のところ、花梨自身は災難を逃れられているのだから、槐が恐縮する必要はないだろう。今回は状況が悪かっただけだ。
不満げな声を上げたのは桜だった。
「それにしても、こんなことになったっていうのに、出てこないですね。石英さんは」
それには、黒曜石が応える。
「彼には彼にしか見えないものがある。今回のことも、何か意図があるのだろう」
桜はいまいち納得しがたいらしいが、軽く肩をすくめると、諦めたようにため息をついた。
「結局、そういうことになるんですよね。もうちょっとおとなしくしてもらえるように、碧玉さんに釘を刺してもらわないと」
「桜石。君は彼のことを何だと思っている」
黒曜石は呆れたようにそう言ったが、それに対する桜の目は冷ややかだ。
「そんなこと言って、黒曜石さんだって石英さんが何か提案したら、まずは疑ってかかるでしょう?」
黒曜石は答えない。桜は不満そうに口を尖らせる。
「どうして無言なんです」
黒曜石と桜のやりとりを見ていた槐は、軽く苦笑すると、こんなことを話し始めた。
「昔、石英が話してくれたことがあったのですが」
槐の言葉に、皆の視線が集まった。
「未来は定まったものではないのだそうです。常に不安定で、いくつもの可能性が重なっている。自分はそれらが見えてしまう。だから不用意に語らないのだと言っていました。言葉にしてしまうと、それはきっと、確定してしまうから」
いくつもの未来。確定していない可能性。それらが見えるということ、実は途方もないことなのかもしれない。
槐はさらに、こう言った。
「ですから、私は――彼の言葉はきっと意味あるものなのだと……そう思っているんです。少し長い目で見てやってはもらえませんか」
その言葉に、桜は複雑な表情を浮かべている。
「無理にフォローしなくていいですよ。槐さん」
そんな桜の呟きを聞きながら、花梨はしばし考え込む。
今回の宵山に行かなければ、花梨は呪いからは逃れられたかもしれない。しかし、それでは何も変わらなかっただろう。もちろん、誰かを巻き込むことを花梨は望んではいないが、巻き込んでいるというだけなら槐たちがすでにそうだ。
姉を見つけるという目的のために、自分はどこまで踏み込めるのだろう。その境界線を見極められないままに、花梨は槐にこう答えた。
「わかりました。私も、いろいろと……考えてみます」
* * *
大学の講義が終わったあと、花梨と別れた茴香は食堂へと向かった。知り合いがいつも集まっている一画に行き、知った顔を見つけると、茴香は一直線にそちらへ向かっていく。
しかし、そこで合流した友人に、こんなことを言われた。
「さっきの講義。あんた、また話してたでしょ」
「だって、友だちになったし」
花梨のことを言っているのだろう。茴香は何でもないことのように答えた。
聞いた相手は呆気にとられている。また責められるだろうか。とはいえ、今度は茴香も折れるつもりはない。と、思っていたのだが――
「でもね、あの話には続きがあるんだよ。あの子のお姉さんが、さ……」
ひとりが、そんなことを呟いた。どうしてそこで行方不明のお姉さんの話が。茴香はいぶかしむ。
「その人もここに通ってたんだけど、何でも呪われたせいとかで、周りにいる人が次々亡くなったり、怪我したりしたんだって。それで大学やめちゃったって」
色めきたつ友人たち。茴香はその様子を冷静に受け止めながらも、内心では心底驚いていた。
そんな話は初耳だ。それに、茴香が花梨に聞いた話からも、それは事実とは思われない。彼女は、このことを知っているのだろうか。
茴香は思わず考え込む。
笹谷茴香は、ばかではない。誰にどう思われようとも。そして、ばかではないならば、考えなくてはならなかった。この事実を知り、自分はどう行動するべきなのかを。
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