第4話

 その日の仕事を終える頃には、夕方になっていた。


 私と燐堂先輩は、お疲れ様です、と互いをねぎらい合った。


「ところでサッカー部は部室利用状況について、台帳に要注意と書いてあったね」


 下校の準備をしていると、先輩がふと思い出したように言った。


「活動評価に影響するものではないみたいだったけど、監査で何があったのかな」


「ええと、それは――部内に私のクラスメイトが所属しているんですけど、彼の言行に少し問題があって。そのせいでサッカー部の部室が、不当に利用されていると感じたので」


 私は眉をひそめながら、堀辺くんと着ぐるみの件について、詳しく説明した。


 もちろん堀辺くんの失態は、彼と二年一組について責任を問われるべきで、サッカー部に由来するものじゃない。

 でも部活動と無関係な着ぐるみの置き場所に部室が使われるのは、望ましくなかった。



「なるほど、そういうことか」


 私の話にひとしきり耳をかたむけてから、先輩はうなずく。


「それにしても雨の中でパンダの被り物をして走るとは、非常に興味深い行動だね」


「本当にどうかしてますよ。当人は『手元に傘がない状況で、髪を濡らしたくなかったから』と言ってますが、怪しい話です。頭は被り物で守れても、首から下はずぶ濡れだったでしょうし」


「ふむ、たしかに違和感があるね。――堀辺くんだったかな? 彼の言葉を額面通りに受け取ると、物事の本質を見誤ってしまいそうだ」


「すると先輩は、堀辺くんが本当のことを話していないと思いますか」


 問いただすと、先輩は逆にこちらへき返してきた。


「昨日の放課後、堀辺くんが通用口前でパンダの被り物を脱いでいたことには、目撃証言があるんだよね?」


「はい。それは間違いありませんけど」


「ということは、他人になりすまして悪さしようとしていたわけじゃなさそうだ」


 先輩は、壁掛け時計をちらっと見た。

 釣られて時刻を確認すると、午後六時五分前だった。


 先輩は直後に突然、意味のわからないことを言い出した。




「――堀辺くんは、成海さんを助けようとしたのかもしれないな」



 思いも寄らない話で、びっくりしてしまう。


「それはどういうことですか?」


「演劇部から着ぐるみを借りる話が出た際、生徒会役員会議で交渉したのは君だったよね。実は堀辺くんがそれに恩義を感じていたとすれば、どうだろう」


「そんなバカな……。なぜ私に恩があると、パンダの被り物をすることになるんですか」


「さっき君から監査記録の台帳を受け取ったとき、途中のページにほこりはさまっていた。あれはよく考えてみると、着ぐるみの表面をおおう綿毛だったんじゃないかと思う」


 私が戸惑っている間にも、先輩はかまわず先を続けた。

 前後の話が飛躍するので、少し混乱しそうになる。



「ねぇ成海くん。君は昨日、監査でサッカー部の部室を訪れた。屋外は生憎あいにくの雨で、片手に傘を持ち、もう片方の手には監査記録の台帳を抱えていたはずだ。帰り際にはプレハブ小屋の出入り口で、両手を使って傘を広げた――

 さて、そのとき台帳はどうしたのだろう? 


 ……もしかして君は、手近にあった木箱の上に台帳を置かなかったかな。そう、例の着ぐるみが入っていたという、ふたがない箱だよ。そうして着ぐるみの上に台帳を重ねたまま、部室に置き忘れて外へ出てしまった。

 台帳に挟まっていた綿毛は、そこで付着したんだと思う。


 監査記録の台帳は、課外活動団体の活動費増減を左右するノートで、いては生徒会予算案に関わる資料だ。万一紛失すれば、大変なことになるのは言うまでもないよね。


 やがて君と入れ違いにサッカー部の部室へ来て、誰よりも先に忘れ物を見付けた人物がいた。

 それこそ他ならぬ堀辺くんだ。彼は台帳を発見すると、これは大変なことになったと考えた。

 同時に君への恩義を思い出して、雨に濡らすことなく、昨日のうちに生徒会室の棚へこっそり戻しておこうとしたんだろう。

 悪天候で部活の参加者が少なかったから、人目を盗むには好都合だった。


 ただし当時の堀辺くんには、他に大きな障害が存在していたはずだ。

 屋外は雨脚が強くなりはじめ、部室には傘も置いてなかったんだからね――……」



 そこまで先輩の推理を聞いて、私は息をんだ。


 ――堀辺くんはきっと、自分が被ったパンダの頭の中に台帳を隠して、校庭を走ったんだ! 


 今指摘されて、初めて台帳をプレハブ小屋に置き忘れていたことに気付いた。

 言われてみれば、昨日は下校前に生徒会室へ立ち寄った記憶がない。


 そうして、それが事件の真相だとすれば――

 私が今朝、みんなの前で怒ったとき、堀辺くんが誤魔化すように笑っていたことの意味合いも変わる。事実を話せば困るのは私だから、あんな態度を取ったんだ。



「パンダは二面性がある動物でね。見た目は愛嬌あいきょうがあるけど、クマの仲間だから狂暴なんだ」


 先輩は、優しい声でつぶやいた。


「人間だって、上辺うわべですべてがわかるわけじゃない」




 午後六時を告げる鐘の音が、校舎の中に響く。

 いつの間にか部活動の終了時刻になったようだ。

 事件の謎は、きっかり五分で解けたらしい。


「……あの、もう今日は帰ります」


 私は、微笑ほほえむ先輩に頭を下げ、生徒会室を退室した。

 足早に通用口から屋外へ出て、サッカー部の部室を目指す。

 雨はすっかり上がっていて、西の空の夕陽がまぶしかった。



 ――これから堀辺くんに謝らなきゃいけない。


 たぶんプレハブ小屋で、着ぐるみを彼が放置していたのと同じぐらい、台帳を置き忘れていた私もだらしない。責められるべきは、彼一人じゃなかったんだ。


 私は、真実をだまったままで、嫌な女の子にはなりたくなかった。






<土砂降りパンダ事件・了>

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土砂降りパンダ事件 坂神京平 @sakagami

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