放課後は家で寝ている有藤くん

 

 バドミントン部の練習を終えて、図書室横の階段を上がっていく。教室がある三階まで来ると、そのまま水飲み場へ向かった。ウエアのポケットへマスクを入れて蛇口を上に向けて水を飲んでいると同じクラスの理沙がやってきた。


「お疲れー」「お疲れー」


 お互いの右手でハイタッチをした。教室へ寄ってマスクを外してきたのか、彼女は左手に持ったタオルを口元へ当てている。そのタオルを太腿の間に挟んで前かがみになると、後ろで束ねた彼女の髪がふぁさっと肩から滑り落ちた。

 顔を洗い終えた理沙が、タオルからひょこっと二重の目をのぞかせた。


「今日の練習、彩菜は少し手を抜いていたでしょ?」

「え。バレてた?」


 タオルで隠していても彼女の口元がほころんでいるのが分かる。

 もうマスクをしているのが当たり前になってしまったから、目を見ているだけで気持ちを感じ取れるようになった。

 きっと彼女も、わたしが舌を出して笑っているのに気づいてる。


「だって楽しくやりたいんだもん。ちょとだけゆるーい感じで」

「さやか先輩が聞いたら、お説教だね」

「えー、ここだけの話にして」

「わかってるよ」

「よかった。でさ――」

「ちょっと待って。トイレ行ってくる」


 理沙が戻ってくるのを待って、一緒に女子更衣室で着替えてから教室に戻ったときだった。


「あれ……マスクケースがない」


 自分の机を不思議そうに見つめながら、理沙がつぶやいた。ここにはわたしたちしかいない。


「どうしたの」

「マスクケースがないの。机の上に置いていったのに」


 床へ落ちていないか二人で探していると美優みゆうが教室へ入ってきた。生徒会役員の彼女も、有藤くんと同じように小学校から一緒で仲がいい。


「お二人さん、お疲れーぃ」


 ふざけるように体を横に大きく揺らしながら近づいてくる。理沙の前に回り込んで、はじめて彼女の眉間のしわに気づいたみたい。


「どしたん?」

「理沙が置いていったはずのマスクケースがないんだって」

「置いていったのは間違いないの?」


 美優の問いかけに、黙ったままタオルを口に当てて理沙がうなずいた。

 窓は閉まってるし風で飛んだわけじゃなさそうだ。誰かのいたずらかなぁ。


「机の上にあったってことは理沙のものだと分かって取っていったんだ」

「取られたとは限らないよ」

「でも、ないんでしょ」

「そうだけど……」


 美優とのやりとりを理沙は何も言わずに聞いている。その目はなんだか悲しそうだった。


「嫌がらせかも」

「えぇっ。どういうことよ」

「ほら、理沙は可愛いからさ。身に覚えがなくても嫉妬ジェラシーで意地悪されたりするかなぁって」

「何かあったの?」


 声の方を向くと、貴裕たかひろが教室の入り口でこちらの様子をうかがっていた。それを見た美優がまた理沙へと向き直ってささやく。


「男子が持って行っちゃった説もあるね。好きな女の子のマスクを持って帰るなんて、キモ!」


 彼女が自分の両肩を抱きかかえて顔をしかめると、理沙がぽろぽろと涙をこぼし始めた。状況がまったく呑み込めていない貴裕は、おろおろしながら困惑した目で近づいてきた。

 もぉ美優ったら。回りの空気を読めないのは小学校の頃から変わらない。


「理沙を不安にさせてどうすんのよ。貴裕だって困ってるじゃないの。美優みたいに丸太のようなぶっとい神経しているわけじゃないのよ、わたしたちは」

「ごめんごめん、そんなつもりじゃなかったの」


 さすがに彼女も理沙の背中に手を添えて、顔を覗き込むようになぐさめている。

 わたしは貴裕に事情を話した。驚いた彼は自分の席に行き、バッグの中で何かを探している。

 戻って来た彼の手には個包装された白いマスクがあった。


「予備で持ってきてるんだけどよかったら使ってよ」


 差し出された袋を受け取った理沙がタオルで涙を拭いた。


「ありがとう」

「やるねぇ図書委員」

「茶化さないっ!」


 わたしがツッコむと美優が両手で頭を庇いながら腰を落とした。それを見ていた理沙に笑みが戻る。貴裕もほっとしたみたい。

 それにしても誰が何のために理沙のマスクを奪ったのだろう。

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