有藤くんは今日も眠い

流々(るる)

授業中も眠い有藤くん

 縦格子の門を押すと、いつものようにきしむ音がした。玄関ドアの前でポケットから手鏡を取り出して前髪をチェックする。去年までは小学校の帽子をかぶっていたから、こんなことをする必要なんてなかったのに。

 よし、今日もOK。

 マスクの位置を直してインターホンのボタンを押すと、すぐにおばさんの声が返ってきた。


『おはよう、彩菜あやなちゃん。どうぞ入って』


 鍵のかかっていないドアを開けて玄関に入り、奥に向かって「おはようございます」と声をかけた。エプロンをしたおばさんが上半身だけを傾けて顔を見せる。


「すぐに行かせるから待っててね。ほらかける、彩菜ちゃんが待ってるんだからさっさと牛乳飲んじゃいなさいよ」


 おばさんの姿がフェードアウトしていく。

 それと入れ替わるように有藤くんが眠そうな顔をしながら歩いてきた。ひょろっとしているから制服がぶかぶかなのも見馴れてしまった。銀縁眼鏡の奥にある目を半分閉じかけたまま、少し俯き加減で右手を軽く上げた。

 わたしのこと、見てないでしょ。ま、いいか。

 おばさんも玄関までやってきた。


「ほんと、いつもありがとう。もう私の言うことなんて全然聞かなくって。彩菜ちゃんの言うことなら聞くのよ、翔ったら」

「そんなことないですよ。私の言うことを聞いてくれるのもちょっとだけですから」


 二人の会話に入ってくることなく、靴を履き終えた有藤くんは「行ってきます」と玄関を出た。わたしはおばさんにお辞儀をして彼の後を追う。

 今日はちょっとだけ有藤くんの力を貸して欲しいの。

 眠そうに頭を下げて歩く彼の背中に思いを投げかけながら。



「それじゃ、次は……有藤」


 二時間目の英語で教科書の例題を読んでいるときに有藤くんが指された。隣りの彼を見るとうつむいて動かない。絶対に寝ている。

 脇腹をシャーペンで突くと顔を上げた。


「先生に指されたよ。ここ読んで」


 小声で呼びかけ、教科書を指さす。立ち上がった有藤くんは手に教科書を持って読み始めた。


「Can you play the piano ? No, I can’t. I can’t play the piano. 」


 マスク越しのくぐもった声なのに流れるような響きで読み終えた彼は、椅子に座るなり頭がゆっくりと下がっていく。

 物心ついたときには隣に住んでいた有藤くんが上手に英語を話すのも、昼間からすぐに眠くなってしまうのも理由は同じ。

 彼のゲーム好きが原因だ。

 好きなことにはのめり込む彼がパソコンのオンラインゲームにはまっていったのは小四の頃だった。たしかFPSと呼ばれる、銃で撃ちあうようなゲームが好きみたい。中学生になって専用のパソコンを買ってもらってからは夜遅くまで遊んでいるらしい。

 昨日も世界大会の配信を見ていて、寝たのが午前二時だと言ってたし。ゲーム画面を英語表記にして遊んでいるうちに英語は上達したことだけがプラスだと、おばさんが愚痴っていた。


 でも寝不足なのはゲームだけが理由じゃない。

 もう一つ有藤くんが大好きなのがミステリー。本の読み過ぎで目が悪くなった(とおばさんは言ってる)ほどで、いまでもゲームの合間に読んでいて夜更かしすることも。

 ミステリー好きが高じて、彼には名探偵の素質があることもわたしは知っている。自転車の鍵を落としたときも、教科書がなくなってしまったときも、先生が急に二日間だけ休んだときも、すべて有藤くんが謎を解いてくれた。


 そんな彼の力を借りたい事件が起きたのは、昨日の放課後だった。

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