第15話 血を飲んだ吸血鬼が血を飲んだ吸血鬼と戦いました

 すべては一瞬の出来事だった。


 叫んだ幼女の身体が急に小さくなったかと思うと、その姿が視界いっぱいに広がる。一度沈み込み、爆発するように飛び上がったのだと分かった。彼女の足元の石畳が、弾け飛んでいるのが目の端に映った。なんという速度。なんというパワーだろうか。


 吾輩は顔をしかめた。


 鋭く輝く爪が、直ぐ目の前に迫っている。

 刀剣のように鋭い爪だった。吸血で発現する力、身体強化の応用だ。

 当たってしまったら、身体がちぎれるだろうね。

 もしかしたら、上半身がまるごと弾けてしまうかも。

 

 この瞬間、間違いなくこの幼女は異常な強さを誇っている。魔界最強の魔王陛下その人から、魔界最強の魔王軍頂点の席を与えられた人物に相応しい実力だった。騎士団長くんなど鎧袖一触間違いなしだ。


 そう、すべては。

 血のなせる技と言うわけだ。




 

 吾輩は苦い顔をしたまま--





 ひょいと屈む。


 行き場を見失った戦争大臣ちゃんは、急角度で神速を保ったまま飛んでいく。そのまま後ろの天井にめり込んだ。衝突が空気を震わせた。建材が落ちるぱらぱらという音が続く。


 吾輩の身長は彼女の二倍近くあるから、吾輩に飛びかかればそうなる。

 元気がいいな、彼女は。分けてもらいたい。


 床に散らばる瓶を物色する。お、これがいい。中身が残っているものを選んで取り上げた。指一本分くらいかな。十分だ。


 目の前で揺らしたことで、芳醇な香りが吾輩の鼻孔を刺激した。

 流石は戦争大臣ちゃん。良いものを飲んでるねぇ。


 体中が興奮するのを感じた。今すぐにその液体を飲め、と本能が叫んでいる。耐え難い欲求だった。理性は「やめておけ」と小さい声で囁いていたけれど、これほど間近にそれがあっては、耐えようもない。

 

「ああ、嫌だなぁ……」


 そう呟いて、吾輩は血を一気に飲み干した。


 その瞬間、全身が歓喜に震えた。吾輩の奥底に眠っていたすべてが目覚める。

 天井から落ちる石屑の数、胃に向かって血が食道を滑る音、綺麗に拭かれた机の角に微かに残った指紋、空中を漂う埃の流れ。


 吾輩にはすべてが感じ取れた。

 すべてが見えて、聞こえた。

 なにもかもが明晰だった。


 そしてもちろん--



「……なるほど、ね」 



 これまでに見聞きした情報のすべてが脳内で整理され、一つの答えが導き出される。

 吾輩はすべてを理解した。『吸血鬼連続殺人事件』は解決された。


 そして、深いため息をひとつ。


 理解したことが余りに面倒臭さ過ぎたため、久方ぶりの血がもたらす陶酔感が徐々に落ち着いていった。更にため息をひとつ。思わず目をつむり、低く唸ってしまう。


 やっと冷静さを取り戻し目を開けた時、吾輩は大量のデュラハンに取り囲まれていた。ま、そうなる。この城はデュラハンで埋め尽くされているから。うぅむ。面倒だ。


「少しばかり血を飲んで、それで勝てるつもりか?」


 天井に突き刺さったまま、戦争大臣が言った。


「あー、たった今分かったのだが……」


 吾輩が言い終える前だ。突如、戦争大臣ちゃんが吾輩の影の中から出現した。吸血鬼の特技である影潜りシャドウランだ。その力は、影を伝うことで瞬時に移動できるというものだ。


 ふむ。わざわざ書物や書類を部屋中に積み上げていたのは、影を作るためだったのだね。賢いな。鋭く伸びた彼女の爪が振られる。騎士団長くんの斬撃よりも素早く、致命的だ。


 だが、血を飲んだ吾輩の肉体はなんなくそれを避けた。


「なかなかやる」


「ま、これくらいはね」


「ならば」


 そう言うと、幼女は勢いよく吾輩の懐に踏み込んで来た。細かくステップを踏み、恐ろしい速度で縦横に回転しながら鋭い爪で斬りつけてくる。


 なるほど。


 すべてを回避しながら吾輩は思った。一対一が強いというのは本当らしい。身体が小さいことを活かしている。懐に踏み込まれると実に戦いづらい。


 時折、爪が伸長するから間合いの把握も難しい。


 そして、身体は小さいが--


 吾輩が避けたせいで戦争大臣ちゃんの正面に出てしまったデュラハンの胴体が真っ二つになった。一体ではない。数十体が同時にだ。


 --今の彼女には、ほぼすべての魔族を凌駕する力がある。血を飲んだ吸血鬼の力とは、それほどのものだ。


「ええい、大人しく当たれ!!」


「馬鹿言わないでくれ。魔王城の備品を壊すなと、次席執事からそう言われている。弁償は君がしてくれるな?」


「……貴様!!!」


 幼女は激昂した。その直後、彼女の小さな身体がばらける。

 吾輩の視界が黒で染まる。無数の蝙蝠へと変化したのだった。


「器用な真似を」


 複数変化は意識が分裂するから、大抵の吸血鬼には無理だ。余程強靭な精神を持っていなくてはね。蝙蝠に変化できる、と自信満々に主張された時には拍子抜けしたものだが、流石に隠し玉があったか。


 蝙蝠のはためきと甲高い鳴き声を全身で浴びながら、吾輩は静かに待つ。

 1秒、2秒、3秒……。飛んで15秒。そろそろ待つのに飽きてきたな。そう思ったところで--


 視界を遮る黒が消滅するのと、背後に殺気を感じたのは同時だった。


「滅べ! 売国奴が!!」 


 振り返ると幼女。

 鬼の形相で今まさに爪を突き立てんとす、だ。

 数瞬後には吾輩の首と胴が離れてしまうだろう。


 やれやれ。


 内心でそう呟き、吾輩は戦争大臣の凶手をあっさりと掴んだ。

 強引に引き寄せて爪を伸ばし、彼女の胸に突き立てる。

 吸血鬼の唯一の急所、心臓まで直ぐの距離だった。


「は?」


 戦争大臣は間抜けな声を上げる。本当にやれやれだった。


 無数に分裂したところで、所詮は目くらましに過ぎない。圧倒的強者を目の前にして、反復横跳びをしてから襲いかかることを思えば良い。すべては無意味なのだった。滑稽ですらあった。


 血を飲んで強くなるのは吾輩もなのだ。

 吾輩の二つ名のひとつに『最狂卿』というものがあるが、

 

 元々は『最強卿』という字を当てられていた。


 そうとも。吾輩は魔界最強の吸血鬼なのだった。

 血を飲んだら頭が良くなるし、無敵の存在にもなるのだ。

 それこそ、超強化された戦争大臣に楽勝できるくらいには。


 何度目になるかわからないため息をついてから、吾輩は言った。


「鎧ども、聞こえないふりはよしてくれよな。動いたらこの幼女の命はないぞ」

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