鳳凰劇場 6

 呼ばれてやってきた護衛騎士は、二十代後半の美女だった。

 ティナ・ケルビン。騎士の家に生まれた次女で、十八歳の時に、エドン家の主に雇われた、いわば公爵家の私兵である。

 ティナはラビニア専属だそうだ。

 女性の騎士は男性の護衛が入れない場所にも入れるため、貴婦人の護衛要員として重宝される。

 ティナは部屋に入るとレオンの姿を認めて、敬礼をした。

「ティナ、殿下が鳳凰劇場のことで聞きたいことがあるらしいの」

 ラビニアが口を開く。

「お嬢さまは、例の事件とは全くかかわりはありませんが?」

 ティナは警戒心を隠そうともせず、レオンを見る。

「その判断は私がする。あの日のことを順を追って話せ」

 ティナは主人であるラビニアとエリックの方を見て、二人が頷くのを確認した。

「公演が終わった後、オールグ伯爵夫妻と会いました。お二人は、公爵家の力を借りて、なんとかご子息に良いご縁を得られないかと思われているため、お嬢さまのご機嫌を取りたいとお思いなのです」

 ティナは息をついた。

「馬車を待たせていることを理由に、お二人と離れ、階段を降りました。ちょうど、一階に下りる階段の前に侍女と思われる女性が一人立っていて、あと、従業員が奥へ歩いていくのが見えました。階下でかなりの騒ぎが起こっているような声が聞こえました。様子を見にいくととりあえず、何か災害が起こったわけではないとわかりましたので、階下へとお嬢さまをおつれすることにしました」

「ふむ」

 レオンは頷く。

 ティナの話はラビニアの話と一致する。口裏を合わせている可能性はあるが、疑い出したらきりがない。

「今思えば、あのタイミングで階下に降りたのは間違っていました。もう一度ボックス席に戻り、時が過ぎてから降りて行けば、あのような噂が立つことはなかったでしょう。自分のミスでございます」

 ティナはラビニアの方に目をやって肩を落とした。

「そこでボックス席に引き返していたら、今よりもっと疑わざる得なかった。何しろソグラン家の侍女はエドン家の人間が階段から降りてくるところを目撃している。状況はより不利になった」

「ティナは悪くないわ。悪いのは真犯人を見逃している親衛隊の方よ」

 ラビニアはニコリとティナに笑いかける。親衛隊を率いるレオンを目の前にして、完全な嫌みだ。第二皇子としては不敬だと怒ってもいい場面である。

「アルカイド君、どう思う?」

 レオンは機嫌を損ねた様子もなく、サーシャの方に顔を向けた。

「通り過ぎた従業員について、もう少しお聞きしたいです。顔はご覧になりましたか?」

「顔はみていません。髪はこげ茶色、身長は男性の平均くらい。割と細身でした。武人ではなかったと思います」

 さすがに護衛だけに、ラビニアよりも見ているところが細かい。

 ティナは観察の結果、その従業員に脅威を感じなかった。ゆえに、それ以上の興味はなくなった、ということだろう。

「魔術師の可能性は?」

「魔術師の場合は、見た目ではわかりませんので」

 レオンの質問にティナは答える。

「なるほど。その従業員が怪しいと?」

 エリックが興味深そうに口をはさんだ。

 公子としても、妹の冤罪を早くはらしたいのだろう。

「その従業員を見たら、そうだとわかりますか?」

「それは、たぶん無理です」

 ティナは首を振った。

「なにぶん、顔を見ておりません」

「そうですか」

 サーシャは大きく息をついた。

「一つ不躾な質問なのですが、エドン家のみなさまは、アリア・ソグラン伯爵令嬢から直接敵意を向けられるような場面に出会ったことはございますか?」

「ないと思うわ。あの子見栄っ張りだから、内心どう思っているかわからないけれど、私に敵意をぶつけて睨まれる愚を犯すほど馬鹿じゃないわ」

 ラビニアが口の端を上げる。

「正面からぶつかったら、公爵家に勝てるわけないもの。いくら『聖女』でもね。もちろん彼女を囲い込みたいという思惑は皇族だってあるだろうけれど、皇子はマルスさま一人ではないわけだし、私とわざわざケンカする必要はないわよ」

「なるほど。既に婚約者がほぼ決まっている皇太子殿下ではなく、第二皇子殿下と婚約すれば、国としても彼女としても損はしないということですね」

「それはない。私が聖女と婚約した日には、神殿が私を玉座に据えようと騒ぎ始める。いらぬ闘争のもとになる」

 レオンは不機嫌そうに言う。

 つまり、その程度の話はすでに議論済みということだ。

「あら、でもレオンさまもそろそろ婚約者を決めなければいけないのではなくて?」

「エリックもまだ決まっていないだろうが」

 ふんとレオンは鼻を鳴らす。

「変なところで私を引き合いにだすのはやめてください」

 エリックは大きくため息をついた。

 エリックは端整な顔立ちをしており、身分も次期公爵ということで、社交界ではかなり人気がある。

「ラビニア、レオンさまは周囲の思惑があって簡単に相手を決められないのだ。そのようにからかうものではない」

「わかっているわよ」

 たしなめるエリックに、ラビニアは肩をすくめる。

「なるほど。アリア・ソグラン伯爵令嬢が仮に野心を抱いていた場合、皇太子殿下にこだわらず、第二皇子殿下に取り入る可能性もあるということですね」

 サーシャは顎に手を当てた。

「そうしないということは、皇太子殿下に好意を抱いていらっしゃると考えるべきですよね」

「いや、単純に死神皇子が嫌なだけじゃないかしら」

 ラビニアは、歯に衣を着せないらしい。

「レオンさまは、スペックのわりに人気がないのよね」

「……悪かったな」

 レオンは、それなりに傷ついたような声で呟く。

「気にしているなら、その死滅した表情筋を復活させなさいよ。元はいいのだから」

「ひょっとして、殿下は表情のないことを気になさっているのですか?」

 実にどうでもいいことではあるが、サーシャは驚いた。

 無表情ポーカーフェイスは、てっきり彼の武器だと思っていたからだ。

「仕事とは関係ないことだ」

 レオンの声はムッとしていることを隠せていない。

「失礼いたしました。親衛隊の仕事においてそれは有利に働くと思いますし、気になさることは何一つないと思います」

 サーシャはそっと頭を下げる。位置的にはレオンから見えないだろうけれど。

「今回のこと、公爵家に恨みを持つものというよりは、アリア・ソグラン伯爵令嬢に恨みを持つものなのかもしれません。むろん公爵家に対する嫌がらせにはなるでしょうけれど、ラビニア公女さまを陥れるにしては、やや稚拙です」

 本当にラビニアを陥れたいならば、実行犯はラビニアと同レベルの魔術師を使うべきだった。

 視えるものが見れば、明らかに違うとわかる。

 それに仮にラビニアが人を使ってやらせるなら、もっと根本的にアリアが立ち直れない方法をとることだってできたはずだ。

 アリア・ソグラン伯爵令嬢は魔術の有数の使い手で、たとえ階段から突き落としたとしても、自力でなんとか出来た可能性は高い。

 彼女は見た目に反して、人に守られるだけのか弱い令嬢ではないのだから。

「明日はアリア・ソグラン伯爵令嬢に話を聞きに行く。あと、その従業員が誰かを探すべきだな」

 公爵邸を出ると、レオンが呟く。

「承知いたしました」

 サーシャは丁寧に頭を下げた。


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