鳳凰劇場 4

 劇場の取り調べを一通り終えると、サーシャはレオンたちと共に朱雀離宮へと戻った。

 レオンの執務室の隣にある会議室のソファに座り、調書を再びめくる。術を行使して五日が過ぎていた割には、魔素は残っていた方だ。

 だが、結局のところ調書と違う事実は、『飛行の術』をアリア・ソグラン伯爵令嬢が使用したらしいということだけだ。

 レオンはサーシャの対面のソファに腰かけ、優美な仕草で茶をのんでいる。

 マーダンは他の雑務があると言って、出て行った。

「まず、誰が公女殿下の名を呼んだのかを探るのが、一番手っ取り早いと思われます」

 現場に居合わせた人間の名前のリストを見ながら、サーシャはため息をついた。

 五日も過ぎた現場の検証だけでも無茶なのに、その後の犯人捜しまでさせられるとは思っていなかった。サーシャの専門は『魔術』だ。どんな魔術が使われたか、どこで使われたかというのは推測できてもそれ以上は専門外である。

 現場検証が終わったらお役御免と思ったのに、レオンはまだサーシャを宮廷に返すつもりはないようだ。

「そのことに対しての調書がとられておりません。このリストにいる方、全員に確認するべきですね」

「その声が誰なのかを知っている者はいるはず、ということか?」

 レオンはカップから立ち上る湯気を顎に当てている。

「少なくとも、あのホールに入れるのは、身元が確かな者だけのはずです」

 一般客のいる場所ではない。ボックス席を使うのは『上客』だ。プレミアムチケットのため、誰が観劇に訪れたのかも劇場側は把握している。

 もっとも客の同行者については、定かではないが。

「実際に突き落とした方の魔術師に関しての捜査はある程度終了しているかと思います。それでも犯人は見つかっていない。犯人は上位貴族に守られているか、もしくは『あの階段』を使わずに逃げたかのどちらかでしょう」

「つまり、その線を探るのは難しいということか?」

 レオンはふむと、頷く。

「無論、実行犯を探すことはとても重要ですが、公女ほどではないにせよ、事件の時に階上にいた方々はいずれも高貴な方ばかり。取り調べも難航するのが目に見えております」

 サーシャは肩をすくめた。

「ところでエドン公女は、芝居が終わってボックス席におとずれた、劇場支配人と会談したとあります。これは通常のことでしょうか?」

「エドン公爵家は、名門だ。劇場に投資もしている。当然だろうな」

「と、いうことは、他の貴族より退出が遅くなることは、ある程度予想できるわけですね」

 退出するその時間は決まっていない。ただ、劇場支配人が挨拶に来るエドン公女は、他の観客よりも退出が遅くなるのが『普通』だということだ。

 エドン公女を貶めるための『事故』だとしたら、エドン公女が先に退出してしまっていたら話にならないが、彼女が遅くなることをわかっていれば、計画はかなり楽かもしれない。

「とはいえ、アリア・ソグラン伯爵令嬢ではなく誰でもいいということであれば、話は完全にわからなくなりますが」

「なるほどな」

 レオンは茶を飲み終えたようで、カップをそっと机の上に置く。

「貴殿は茶は飲まんのか?」

「えっと。はい。いただきます」

 気を使ってくれたのだろうかと、レオンを見るが、相変わらず無表情だ。

 死神皇子の名は、こういうところからきているのだろうと、サーシャは思う。

 見た目より人に気を使うこともできるみたいだが、表情筋が死滅しているのかもしれない。

「この後、関係者に話を聞きに行く。貴殿も同行し、魔術を使った術者かどうか見極めろ」

「……それは」

「ルーカスなら出来ただろう」

 レオンは当たり前のように言い放つ。

「いえ、それはさすがにハダルさまでも無理ではないかと」

 ルーカス・ハダルと言えども、五日もすぎた『魔素』から術者を特定は難しいはずだ。

 サーシャの能力は首席宮廷魔術師のルーカスにそれほど見劣りしない。むしろ『視る』魔眼の能力に関しては、サーシャの方が優れていると自負している。サーシャに無理なものは、ハダルにも無理なはずだ。

「貴殿は阿呆か。魔素から術者を特定できる魔術師を同行させれば、相手から尻尾を出す。実際にわかるかどうかは問題じゃない」

「なるほど、ハッタリ要員ということですか?」

 サーシャはぽんと手を打った。

 そういう面では、サーシャはハダルほどの効果はない。何しろ知名度がないのだから。

 レオンが頑なにルーカスにこだわったのはそこであろう。

「ハッタリ要員が嫌なら、本気で見極めてみろ」

 レオンはサーシャを煽るつもりだ。

「忘れていらっしゃるようですが、私は宮廷魔術師なのですけれど」

 サーシャは肩をすくめる。

 宮廷魔術師の仕事は、皇族の警護と、暦、宮廷儀式を取り行うこと、宮廷の魔道具の管理、研究だ。捜査の真似事はそこに入っていない。

「貴殿も忘れているようだが、私は皇子だ。宮廷魔術師の貴殿が、私に同行することになんの問題がある?」

「……なるほど」

 言われてみれば、親衛隊の仕事だと思えば職務外であるけれど、第二皇子のレオンの警護だと思えば、宮廷魔術師の仕事の範疇である。

「承知いたしました。殿下」

 サーシャは丁寧に頭を下げた。



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