鳳凰劇場 3

「眼鏡を外して何をするんだ?」

 レオンは怪訝な声を出す。

「少し黙っていてください」

 不敬と言われかねないぞんざいさでレオンを制すると、サーシャは意識を集中した。

 サーシャの黒い瞳が虹色に光る。

「魔眼持ちなのか」

 レオンが呟く。

 魔眼とはエーテルを見ることができる『目』である。

 普通、エーテルの流れは『感じる』もので、視覚で捕らえることは出来ない。サーシャがルーカス・ハダルにこの仕事を命じられた理由だ。

 ぼんやりとした『肌』で感じるより、視覚で捕らえたほうが圧倒的に効率がいい。

 魔眼は、宮廷魔術師でも持っている者は少なく、しかも両眼なのは、サーシャとハダルだけだ。

 サーシャは、ゆっくりと階段を調べる。

 五日前の出来事ということで、既に魔素はエーテルに吸収され始めているのだろう。痕跡は非常に薄い。しかも使われたのが『風』の魔術のため、あちこちにいろいろ拡散してしまっている。

 幸い、あまり『換気』はされていなかったようだが。

 エーテルの流れから外れて、床や壁に付着した魔素が頼りだ。

 全てが既にまじりあっていて、誰がどこで使った物かはすでに判別は難しい。

 ただ、使った魔術の『術名』や『個性』の色の違いはわずかだがわかる。

「浮遊の術、強風の術。時間がたっているからはっきりしませんが」

 サーシャは肩をすくめた。

「わずかに飛行の術の痕跡もありますね」

「飛行?」

 マーダンが驚いた声を出した。

「おそらくはアリア・ソグラン嬢のものでしょう。彼女ならば、魔素がそれほど残っていなくても不思議はありません。イーサン・ロバル氏を立てて彼女は自分の術のことは、黙っていたのではないでしょうか」

 魔素は、エーテルの不完全燃焼のようなものだ。

 ゆえに上級者ほど、魔素は残らない。魔素がどれだけあるかというのは、術者の技量を知る指標になる。

「つまり、アリア・ソグランの自作自演ではないということか」

 レオンの言葉に、サーシャは首を傾げた。

「体を張っての自作自演という可能性はゼロではありません。ただ、少なくとも強風の術をかけた人物はおります。ただ、イーサン・ロバル氏が助けたのは本当に『偶然』だったと思われます」

 サーシャはさらに目を凝らす。

「それから強風の術を使ったと思われる魔素は少なめです。もちろん時間がたっているというのが大きいですけれど、それなりの魔術の使い手でしょう」

「つまり、ラビニア・エドンには無理だということだな」

 レオンは顎に手を当て、考え込んだ。

「はい。失礼ながら、エドン公女は多才ではありますが、魔術に関しては中級クラスです。彼女が魔術でアリア・ソグラン嬢を突き落としたとすれば、もっと魔素が残るのではないかと思われます」

 魔術の使い手としてのみならば、エドン公女は凡庸だ。

 貴族社会において、魔力が高いことはステータスだ。その一点で、神殿はアリア・ソグランを皇太子妃に推している。もっとも、それ以外の面ではエドン公女は『完璧』な淑女だ。性格はややキツイとの噂はあれど、所作も知性も家柄もそして、容姿も非の打ち所がない。

「まあ、それでもこれだけ残っているということは、私の敵ではありませんが」

「……そんなことは聞いておらん」

「つまり、これだけでは誰かがわからない程度のよくあるレベルの魔術師ってことですよ」

 サーシャはくるりと見まわしてから、眼鏡をかけた。

 眼鏡はサーシャの『魔眼』を封じるためのものだ。サーシャの目はあまりにも多くのものが見えすぎて、裸眼でいると疲れてしまう。

「ただ、魔素がある、ないは、あくまで状況証拠にすぎません。しかも五日も立ってますから、正確とも言えませんし。エドン公女の無罪を証明するにはもっと別の証拠が必要でしょうね」

「それはそうだな」

 レオンは頷く。

「犯人は複数。アリア・ソグラン嬢に恨みを持つもの、もしくはラビニア・エドン公女に恨みを持つものの二通りが考えられます」

「なぜ複数なのですか?」

 マーダンが首を傾げる。

「この階段のすぐ下にいない限り、角度的にアリア・ソグラン嬢を押した人物が見えるはずはないのです。魔術ならなおさら、姿を隠すことが可能です」

「ああ、なるほど。仮にエドン公女だとしても、その姿は見えないということだな」

 レオンは納得したようだった。

「全く無関係の人間が、そこにいない令嬢の名を叫ぶわけがない。『落ちてくる』のがわかっていれば、話は別だ。少なくとも、階下にいたイーサン・ロバルは誰も見ていないと言っていたな」

「それならば、もうすでにラビニア・エドン公女は無罪でいいのではないでしょうか」

 マーダンが口をはさむ。

「もちろん無罪でしょうが、世間はそれでは納得しないでしょう。必要なのは『真犯人』です」

「その通りだな」

 サーシャの指摘にレオンは頷いた。

「まずは、公女の名を叫んだ女性を確定せねばならんな」

「その前に殿下、上の階を見に行ってもよろしいですか?」

「ああ」

 レオンの許可を得ると、サーシャは階段を上る。

 階段上もちょっとしたスペースがとられているが、天井は低い。

 通路は、階段に対して真っすぐと、左側にふたつ。

 そして、ボックス席に入るための扉がいくつも見える。まっすぐに伸びる通路の方には、さらに上に行くための階段も見えた。

「ラビニア・エドン公女のボックス席は、この上でした。アリア・ソグラン伯爵令嬢の年間シートは、まっすぐ行くこの通路の突き当りの部屋です」

 マーダンの話を聞きながら、サーシャは階段の降り口に立って、辺りを観察する。

 思った以上に視野が広い。

 強風の魔術というのは、視線が通らないと目標には当たらないものだ。

「ふむ」

 サーシャは再び眼鏡を外す。

 魔素は正面通路に残留している。

 それは報告書で読んだ通りだ。

 発動した基点はアリア・ソグランが立っていたすぐそば。

 視線が通れば、基点から離れていても術は行使できる。

「事件があった時、ここには人がいなかったのですか?」

「ソグラン家の侍女の話では、いなかったらしいです。事件があってすぐに、彼女はここを通ったそうですが、ちょうどラビニア・エドン公女が降りてくるところだったと証言しています」

 サーシャは顎に手を当てた。

 おそらくソグラン家の侍女も、公女を陥れるつもりはなかっただろう。陥れるつもりなら、確実に、と証言したはずだ。

 無論、術を行使した後上の階に戻り、何ごともなかったかのように降りてくるのは可能だ。

 しかし、事件が起きて間もない時間に現場に戻れば、確実に疑われるのは火を見るよりも明らかだ。普通なら、魔術を使った後、どこかにしばらく身を隠してやり過ごそうとするに違いない。

──まあ、もとよりこの『術』はエドン公女のものじゃない。 

 そもそも魔素の量がエドン公女のものではないことを指している。

「問題は、エドン公女の無実より、誰がやったかということだ」

 レオンはつまらなさそうに指摘する。

「そこまでは、私の仕事ではないと思うのですけどね」

 サーシャは大きくため息をついた。

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