幕間

Between The Scenes

 今でもたまに、夢に見る。


 華やかな回転技に、滑らかな跳躍。求められるのは強靭な体幹だが、そのキツささえも吹っ飛んでしまうくらいの解放感と拍手。


 狂言自殺までして見せて手に入れた、街でとびきりの美女。

 燃えるような真っ赤なチュチュを身につけ、金色の刺繍があしらわれた艶やかな扇子を持つ美女が俺を待っている。

 舞台はスペイン。より派手に、より情熱的に、この喜びを全身で表現して舞うのだ。


「ブラボーサクタロウ! ブラボーバジル!」


 イギリスのバレエ団の主役ダンサープリンシパルとして、西内にしうち桜太郎さくたろうが最も多く務めたのが『ドン・キホーテ』のバジル役だった。周囲の反対を受けながらも主人公キトリとの愛を貫き、最後に無事結ばれる床屋の男である。


 もちろん有名な『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』の王子役も務めたが、年に一度は必ずバジル役が回ってきた。団員からはバジルと呼ばれることも多かった。

 あぁ、自分が舞踊人生をかけて出会うべきキャラクターはバジルだったのだと分かって嬉しかった。渡英してまで積み重ねてきたことは間違いではなかったのだと。


 ——突然ジャンプが飛べなくなる日が来るなんて思いもしなかったのだ、その時は。


 クリスマス特別公演として、各作品から有名な踊りだけを抜粋して披露するイベントがあった。その時に桜太郎は、いつものバジルではなく『海賊』のアリのバリエーションを任された。アリは『海賊』の主役ではないが、男性のソロとしては最も有名な踊りである。

 アリのバリエーションは、このバレエ団に入団する時の課題曲の一つだった。懐かしさと共に、大きな緊張を感じていた。バジル以上にジャンプが多いのである。


 膝の痛みは突然やってきた。

 毎日3時間の全体レッスン、2時間の個別レッスン、さらに2時間の自主練と1時間の筋トレ。バジルの時は休みもうまく取れていたが、久々のアリが不安で、レッスンを組み込みすぎていた。膝が悲鳴を上げるのは当然のことだった。


 自分のバレエを見るために、世界中の客がお金を払ってやって来る。バジルでは盤石の評価を得たが、このバレエ団の公演でアリを見せたことはない。評価が落ちれば、プリンシパルの座も危うくなるだろう。

 そう思った瞬間、自分を見失った。体のことすら考えずにレッスンを詰め込んで膝を壊し、結局舞台に上がれなかった。


 29歳だった桜太郎は引退を決めた。引退公演として『ドン・キホーテ』をやらないか、と幹部が勧めてくれたが、丁重に断った。自分の中でバジルだけは、完璧な姿で残しておきたかった。

 結局バジルの次に得意だった『白鳥の湖』のグラン・パ・ド・ドゥだけ踊って引退し、帰国した。バレエと距離を置きたくて、初めてスキンヘッドにした。




 ☆




 名前のせいで「チェリーボーイ」と揶揄からかわれるのが嫌で飛び出した日本に、14年ぶりに帰ってきた。

 帰国してからはインタビューの依頼が舞い込んできたが、全て断った。怪我について一言も語りたくなかったからだ。

 だけど、あの男の誘いだけは断れなかった。


「西内。今日はありがとな」


「あぁ」


 小中の同級生、高久大輔の誘いは断れない。

 高久は桜太郎にとって唯一の日本人の親友だ。「チェリーボーイ」と揶揄う輩から守ろうとしてくれたし、「男なのにバレエを習ってる」という穿うがった見方もしなかった。バレエ留学をする、と打ち明けた時は寂しそうな顔をしたけど、笑って見送ってくれた。桜太郎が踊るバジルもはるばる見に来てくれた。


 高久は母校の中学の教員になっていた。

 芸術の道で働いてきた人間が周りにいないから、ぜひ中学生への授業を引き受けて欲しいと懇願されたのだ。高久の頼みなら、と桜太郎は了承し、自分のバレエ人生を後輩達に語った。道半ばで引退した後悔も含めて。


「評判良かったよ。バジルの映像カッコ良かったって。『男が女が』とか言う時代じゃなくなってきたんだな、きっと」


「それなら……良かった。高久も元気そうだし」


 すると高久は、教員室から理科準備室へと桜太郎を誘った。中学時代からの二人の「秘密基地」だ。


「どうした?」


「実はさ……教員、辞めようと思ってる」


「なんで!? 先生になりたいって夢叶えたのに」


「別の夢ができたんだ」


「別の夢?」


「うん。西内、もう一度、舞台を見てみないか?」


「……は?」


 高久だけは自分を分かってくれていると思っていた。

 舞台に立つことの恐ろしさを。どんな気持ちで引退したかを。

 なのになぜ今、舞台という言葉が高久の口から飛び出したのか?


「無理だ。分かってるだろ。俺はもう舞台には立たない。悪いけど、そういう話なら帰る」


「待てって」


「たとえお前の誘いでも、俺は一生舞台には立たないっ!」


 準備室の引き戸を乱暴に開けようとする桜太郎の手首を、高久は掴んだ。


「落ち着いて。舞台に立つなんて言ってない。って言ったんだ」


「どういうことだよ?」


「袖から見るんだよ。舞台で輝く若い子達を。西内みたいなすっげぇ子を」


 高久は桜太郎の手首を掴んだまま歩き、強引に椅子に座らせた。


「YBFってアイドルいるの知ってる? センターの天城匠斗って子、教え子なんだ。『高久先生が俺の夢を笑わずに聞いてくれたのが嬉しかった』って。西内となら、伸び伸び輝ける子達をもっと増やせるんじゃないかって」


「知らないけど……」


「ほら、この子。元々バレエやってて、手先まで動きが綺麗なんだ。そのダンスを買われて、今はミュージカルの仕事も舞い込んでるって。西内みたいなトップレベルのバレエの基本を身につけて、僕が彼らの自信をつけさせて、天城くんみたいなアイドルをもっと増やしたいんだ」


「なんでそこまでするんだよ」


「ダンスは夢があるからだよ。西内のバジル見てると、できもしないのに体が動いちゃうんだよ。あの迫力に自分も負けてらんないとか思って、次の日仕事頑張っちゃうんだよ。そういう元気をくれる存在を、一緒に作って行きたいって夢ができたんだよ」


「熱意は分かるけど、何も教員辞めなくても……」


「辞めるよ。西内と一緒にやりたいから、本気で。憧れるんだよ、西内と一緒に楽しく舞台見るの」


 今まで僕ばっかり見てたからさぁ、と笑う高久を見て、桜太郎は自分の中の何かが動いた気がした。

 誰かと一緒に舞台を見るなんて今までなかった。舞台を見る時は常に、演者の技を盗もうと必死だった。引退してからは舞台なんて見たくもなかった。

 だけど高久となら、純粋な少年の心で舞台を見られるような気がした。


「膝の無理ない範囲でいい。ストレッチの仕方だけでも構わない。もし一緒にやってくれるなら、本格的な振付師は僕が呼んで……」


「やるよ。俺、やる。俺が振付師になる。ジャンプ教えるわけじゃないし、膝はサポーターすれば問題ない」


「ほんと!? えっ、本当に!?」


「自分から誘っといて驚くなよ。マジだよ。その代わり、スパルタ振付師になるけどな。プロの道を舐めちゃいけないって、心の底から分かってる人間が教えるんだから」


「分かった。そのスパルタを乗り越えられる子達に育てるよ、僕が。ありがとうバジルっ」


 役名で呼ぶな、と突っ込んだが、正直嬉しかった。ボロボロの自分を救ってくれたから。



 それからプロデュースの精通者として伴南を呼び、小さな小さな事務所が立ち上がった。

 高久と伴は桜太郎をバジルと呼ぶ。だが所属する子ども達には、決してバジルとは呼ばせない。元プロと分かった瞬間、相手が遠慮してしまうからだ。本気の指導には本気でぶつかってきて欲しい。自分のダンスを躊躇なく見せて欲しい。



 だから子ども達は、桜太郎のことを「怖いけど何かすごそうなスパルタスキンヘッドの振付師さん」としか思っていない。



 だけど、それでいいのだ。



 未来のバジルは、その子ども達なのだから。

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スイッチ・スターズ〜薬瓶は虹色〜 水無月やぎ @june_meee

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