第16話 秘密と命令


「チリーノ」


 ライハナはチリーノの部屋の扉をノックして呼ばわった。


「ライハナ? どどど、どうしたの?」

「入っていいか」

「あっ、うん」


 ライハナはいつものようにチリーノの向かいのソファに座った。


「……」

「……」

 例によって沈黙が降りる。精霊たちがライハナの頬っぺたを突っつく。

「その」

 ライハナはようやく切り出した。

「……また、戦争に行くことになった。三日後からしばらくここを離れなければならない」

「えっ」

 チリーノは弾かれたようにライハナの顔を見た。

「どれくらい離れるの……?」

「分からない」

「僕が帰る頃までに戻って来られるかな」

「……分からない」


 ライハナは不意に立ち上がってチリーノを見下ろした。


「チリーノ」

「ん?」

「あんたは私のことを本当はどう思っている?」

「えっ」

「直接会えて嬉しいと言いながら、会うのがあまり楽しそうでないように見受けられる。それなのに私の帰りを気にしたりして……どういうことなんだ。はっきりしてくれ」

「嬉しいのは本当だよ!」

「そうか?」

「でも……」


 チリーノは俯いた。何かひどく迷っているようだった。


「僕、よく分からない」

「……分からない?」


 ライハナは不安そうに言った。チリーノは焦った表情でライハナを見上げた。


「あの、僕、迷ってて……ライハナとどう接すればいいか……」

「何故だ? これまで通りでいいと言ったじゃないか。生身では何か支障があるのか」

「違うんだけど、その、あの、これは……内緒のことだから……」

「内緒?」


 ライハナの声に険しさが混じった。


「内緒とは何だ。何か後ろめたいことでもあるのか」

「な、無いよ」

「何か私に言えないようなことがあるのか」

「言えないというか何というか……」


 ライハナはちょっぴりイラッとした。

 ライハナに言えないことがチリーノにはあるのか。

 チリーノはライハナの奴隷なのに。

 ライハナのものなのに。

 ライハナのものにしたいのに。


 さきほどハーキムに握られた手を、ライハナはきゅっと握りしめた。


 ライハナだって、こんな不安定な気持ちのまま、チリーノを囲っているなんて、嫌だ。嫌われているのかそうでないのか、はっきりして欲しい。でないとあまりにもいたたまれない。


「……言え」


 ライハナは低く言った。


「え?」

「その内緒とやらを、私に話せ」

「い、いやいや、内緒だから」

「これは命令だ。言え」


 ライハナは有無を言わさぬ声音で命じた。


「対等に接して良いと許したせいで忘れているようだが、あんたは私の奴隷だ。だから……隠し事は許さない。正直に話すことを命じる。そして態度をはっきりさせることを命じる!」


 チリーノは目を丸くしてライハナを見上げた。


「……ライハナ……」

「早く言え」

「……分かったよ」


 チリーノは俯くと、何故か耳まで真っ赤になった。

 そしてとんでもないことを白状した。


「きっ、君の友達の精霊が……僕に言ったんだ。ライハナは僕に恋してるんだって」


 ライハナの頭の中が、一瞬で真っ白になった。


「……は……!?」

「だから僕、僕はライハナのことをどう思っているのかって考えると、わけわかんなくなっちゃって……ライハナにどう接したらいいのかも分かんなくなっちゃったし……それでギクシャクしちゃって……」

「……!? ……」


 ライハナはすとんとソファに腰を落とした。

 それから頭を抱えて顔を伏せた。


「……あああ……」

「……ライハナ?」

「私は……何てことを」

「あの、ライハナ?」


 ライハナは泣きたいような気持ちなのをこらえて、キッとチリーノを睨んだ。


「……そうだよ。私はあんたを、す、すすす、好きだから……だからわざわざあんたを買ったんだ。ちょっとの間だけでも本人と一緒にいられたらと思って……ちょっとの間だけでも私のものにしたかったから!! でも、でも……」

「う、うん」

「……こんなつもりじゃなかったんだ。あんたとはずっと対等に接するつもりだったんだ。だから、こんなことなら、……命令なんて、しなきゃよかった。……するべきじゃなかった……」

「ライハナ。僕は気にしてないよ」


 チリーノが優しく声をかけたが、ライハナは首を横に振った。


「私は命令をして、あんたは従った。その事実は変わらないんだ。こんなことじゃ駄目だ」

「そんなことないよ」

「……ちょっと」


 ライハナは再び立ち上がった。


「今の私は冷静じゃない。部屋で一人になってくる」

「ライハナ……」

「それじゃあ。……悪かったな、チリーノ」

「……気にしないで……」


 ライハナはしょんぼりとチリーノの部屋を出た。

 部屋のベッドにどさっと倒れ込んで、ぐるぐると考え事をした。


 ──ライハナの気持ちがばれていた。恥ずかしい。

 ──せめて対等でいたかったのに、つい独占欲が出てしまった。つらい。

 ──チリーノはどう接すればいいのか分からないと言っていた。もどかしい。

 ──もう関係は壊れてしまったかも知れない。泣きたい。


 あまりにもたくさんの感情が去来して整理しきれない。


「ううう〜」


 ライハナはクッションに顔を埋めて呻いた。


 恋は苦しい。美しい花が摘み取られる直前の微かな悲鳴が、ずっと響いているかのように。

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