第15話 合理的な将来

 ライハナはそうしょっちゅうチリーノの部屋を訪れるわけにはいかなかった。


 戦勝の祝いで休日をいただいているとはいえ、日々の鍛錬を怠っては魔法も体もなまる。


 魔法騎士団はターリクの号令に従って集まり、各々魔法の鍛錬に励んでいた。

 ライハナは体の中で魔力を練り上げ、手を差し伸べてそれを精霊に分け与えていた。精霊たちは実に旨そうにライハナの魔力を食べている。それも、際限なく食べる。食べさせれば食べさせるほど、後で借りられる魔法の力が大きくなる。


 魔力を与えている時は少し頭がぼうっとする。そのためだいたいライハナは、王宮の外壁に背中をもたれて、ぼんやりと精霊たちの様子を見るともなしに見ている。

 今日もそんな感じで半分夢心地だったから、しばらくの間、声をかけられていることに気づかなかった。


「ライハナ! ……ライハナ!」

「……ん?」

「やっと気づいたね。大丈夫かい?」


 ハーキムだった。いつの間にか随分と距離を詰められている。


「何か用か」

「うん、ちょっとね。魔力の鍛錬の間、体の方は暇だから、世間話でもしようかと」

「真面目にやりなよ」

「今はお休み中でもあるし、多少はいいだろう?」

「……。要件は?」

「そう冷たくするなって」


 ハーキムは情けなさそうに笑う。そしてずばりとこう言った。


「ライハナ、君、あの王子様を囲ってどうするつもりだい?」


 ライハナは内心ぎくりとした。いずれは誰かに聞かれると思っていた。


「……。どうだっていいだろう」

「よくないよ。宮中はライハナの噂話でいっぱいだし。君があの王子様を気に入ったと聞いた時は、俺はすごく驚いたんだからね」

「……誰を好きになろうと、私の勝手だ」

「いいや」


 ハーキムは笑んだまま言う。


「彼は政治的に難しい立場にいる。しかもいずれは母国に帰さなきゃならない。そんな者と結ばれることが叶うと、本気で思っているのかい?」

「……そういうわけじゃない」

「じゃあ何故、大金を支払ってまで買ったのかな」

「少しの間だけでも一緒にいたかった。それだけだよ」

「それなら今すぐにやめた方が良い」

「……何故だ」

「分からないかな。君もいずれしかるべき立場の人と結婚することになる。その時に、敵国の王子様と浅からぬ関係にあったなんて噂が残っていたんじゃ、不利になるよ」

「そんなこと、あんたに心配される筋合いはないんだが」


 ハーキムの切れ長の目に、一瞬だけ寂しげな光がよぎった。


「彼のどこが気に入ったのかな」

「前にも言っただろう。可愛らしいところだ」

「君のような強い女性には、もっと強い男がお似合いだよ」

「だから、そんなことをあんたに口出しされるいわれはない」

「あるよ」


 ハーキムは今度こそ本当に寂しそうな顔をした。


「俺が君を好きなんだから。ライハナ」

「……!?」


 ライハナはびくっとした。


「……まさか」

「いや、自然な流れだよ。魔法騎士団に、同年代の若い女性はわずかだ。それに君は団内二位の実力者。俺が憧れてもおかしくないだろう」

「……本気か?」

「本気だよ」


 ハーキムは一歩ライハナに近寄って、ライハナの垂れ下がった手を優しく取った。ライハナは壁に背をもたれたまま、体を硬直させた。


「それに、その方が合理的だ。君にはポッと出の敵国の軟弱者より、身近で立場の近い僕の方が相応しいだろう」

「……」

「ね、考え直してくれないか。君のあの奴隷くんへの恋は一時の気まぐれだよ。それに比べて俺はずっと君のことを想っている」

「ずっと……?」

「うん。ずっと前からね」


 ハーキムがライハナの手を握る力を強めた。


「……気づかなかった」

「それは君が鈍感だからだよ」

「……」

「ね、僕を選んでくれないかな」


 ハーキムはにこっと控えめに微笑んだ。ライハナは目を泳がせた。


 この間からチリーノの様子はおかしい。チリーノはライハナを好きになってくれないかもしれない。それにどうせチリーノは母国へ帰る。絶対に結ばれないと分かっていながら、恋をし続けるのはつらい。それくらいならいっそ、馴染みの深いこの同僚と添い遂げる方が、傷が浅くて済むし……彼の言う通り、合理的だ。理に適っている。

 ハーキムは強いし、立場もライハナに見合っているし、涼やかな顔つきをした美丈夫だし、気心が知れているし……。

 ハーキムの言うことは正しい。

 でも、ハーキムと出会うずっと前から、チリーノに恋していた、ライハナのこの気持ちはどこへやればいいのだろう。


「ハーキム……」


 ライハナが言いかけたその時、騎士団の召使いがライハナたちの下に駆け付けた。


「ターリク団長様がお呼びです。至急集まるようにと」


 ライハナとハーキムは手を離して、顔を見合わせた。


「承知した」

「伝達ご苦労」


 二人は駆け足でターリクのところに向かった。


 ターリクは魔法騎士団員が集まると、朗々たる声でこう言った。


「先日退けた北の異民族が、また活発な動きをしているらしい。魔王アリージュ様から出陣の命令が下った」

「……!!」

 周囲にぴりっと緊張が走った。

「三日後の朝に出発する。皆、それまでに準備を整えておくように。以上、解散」


 ライハナは心臓がどくどくと脈打つのを感じていた。

 せっかくチリーノと一緒に過ごせる時間が確保できたのに、また出陣か。

 そんなの……嫌だ。まだ一緒にいたい。離れたくない。限られた時間の中なのだ、可能な限りそばに置いておきたい!


 ライハナは心がいくつにも引き裂かれるような気持ちになった。


 ハーキムは確かに立場的に考えて理想の結婚相手だ。口説かれて少しなびきかけた。でも、ライハナの心はやっぱりずっと、チリーノを欲している。今、突然の別離を告げられて、チリーノを想う気持ちが爆発しそうなほど大きくなっているのを、改めて意識した。


「……ハーキム」

 ライハナは淡々とした声で言った。

「何だい、ライハナ」

 ハーキムは既に何かを察したように、穏やかに答えた。

「私は、将来のことは分からない。だけど今の私は、チリーノのことがどうしようもなく好きだ。だから今は……あんたの気持ちに答えてあげられない」

「……そっか」

 ハーキムも淡々と言った。

「それなら俺は待つよ。君が僕の思いに答えてくれるまで」

「……すまない、ハーキム」

「いいんだよ。僕も嫉妬して出過ぎたことを言ったからね」

「……。それじゃあ、また後で」

「うん、また後で」


 ライハナはハーキムに背中を向けて、王宮の方へと早足で歩き出した。

 今は、一刻も早くチリーノに会いに行きたかった。

 からっとした風が背後から吹き抜けて、ライハナの黒髪を揺らした。

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