第6話 聖地への道中

 チリーノは船に乗っていた。


「十日ほどでエルリス近くの港に到着します」


 プラチドが言う。


「長旅になるね」

「はい。この海は荒れやすいですから、お気をつけください」

「え? どうやって気をつけるの?」

「まあ……船長さんの申されることを、よく聞くことです」

「分かった」


 チリーノはしばらく甲板に居て、どこまでも青い海と、飛び交う海鳥たちを眺めていたが、やがて飽きてきた。


「プラチド」

「何でしょう」

「部屋に行って魔法使ってもいいかな」

「許可を取られるなんて珍しいですね。……構いませんよ。今回はどこへ行かれるのです?」

「エルリスに行って敵情視察をしてくるよ」

「……!」

「僕の魔法も少しは役に立つでしょう」


 プラチドは何故か少しだけ悲しそうな顔になった。


「私はあなた様のことを役立たずなどと申したことはございませんよ」

「……そうだったね」


 プラチドは厳しくて、チリーノが居眠りするといつも怒るけれど、チリーノのことを悪く言ったことは一度もない。


「頼りにしてるよ、プラチド」

「ありがとうございます。……では、お部屋に参りましょうか」

「うん」


 そしてチリーノは、一足先にエルリスに飛んだ。

 周囲にライハナの気配はなかった。彼女もまだ到着はしていないのだろう。


 チリーノはまず、カルメラの騎士団が制圧した地域を見学することにした。

 エルリスは聖地でもあり戦場でもあるけれど、そこに生まれてそこに暮らす人々も存在する。前はシェリン帝国の領土だったのだから、ここにはシェリン人が住んでいるはずだ。彼らはどんな生活をしているだろうか。


「……え」


 チリーノは硬直した。

 家々は、めちゃくちゃに破壊されていた。焼け焦げて柱が剥き出しになっていたり、壁や屋根が壊されていたり。


「何これ」


 チリーノは半壊した一軒の家の中にするりと入り込んだ。それは周囲の家より少し大きくて、住人はそれなりに裕福だったと見受けられるが、この家の中もめちゃくちゃだった。人の気配がない。机はひっくり返されていて、床には血の跡がついていて、棚の引き出しは開けっぱなしになっていて、中身は空っぽ。


「略奪……それに殺傷?」


 これは本当に、天神様の加護を得た誇り高き騎士団のやったことなのだろうか。いくら相手が敵国の住人だとはいえ、戦争に関係のない民間人を巻き込むなんて……。


 チリーノは意を決して、人の気配のする方に飛んでいった。

 そこには悲惨な光景が広がっていた。


 カルメラの騎士団員たちが剣を振り上げて、シェリン人住人たちを脅したり切り付けたりしている。住人たちは悲鳴を上げて逃げ惑う。他の騎士団員たちは、家の中から、高価そうな壺やら、金の装飾品やら、たくさんの水や食料やらを運び出している。


 チリーノは憤然とした。


「やめないか! 罪のない人々を傷つけるなんて、騎士のやることじゃないよ!」


 だが、チリーノの声は誰にも聞こえない。チリーノは嘆息した。


「……本体がここに着いたら、すぐにでもこの残虐な行為をやめさせないと」


 心に決めてその場を離れ、今度は戦場となっている場所まで行く。


 戦争を直にこの目で見るのは初めてだった。


 武装した人々が、剣や槍を振り回して、殺し合いをしている。

 チリーノは怯えて空高く舞い上がった。魂だけの存在のチリーノが、刃物で傷つけられることなどないが、それでも恐ろしかったのだ。


 高所から見るに、戦況は思わしくなかった。

 お互いに相応の犠牲は出しているものの、カルメラの戦士たちの方は徐々に後退している。シェリン勢力に比べて、カルメラ勢力には魔法を使う者がそれなりにいるのに、それでも押されている。

 シェリン戦士が稀にまとめて後ろに吹っ飛ばされるのは、カルメラ戦士の魔法の力のお陰だろう。それで何とかもっている面はあるが、シェリン軍はそうやってできた穴をすぐに埋めて攻勢に出る。隙がない。訓練が行き届いている証拠だ。

 ライハナとの会話から、シェリンの魔法騎士団はそこそこ強いだろうと予測していたが、ただの戦士でも充分に強い。

 これは早く加勢に入らないと厳しいかもしれない。せっかく奪還した領土をまた取り返されかねない。


「でも、僕らの方が押し返したとして……新しく領土を拡張したとして、そこに住む人もまた略奪に遭うんだったら、可哀想だなあ」


 チリーノは独り言を言った。


「僕の命令で、戦士たちがおとなしくなってくれるといいけれど」


 だがチリーノには信頼がない。民からも尊敬されていない。居眠り王子などの言うことを、騎士団員たちが聞くかどうかは、極めて怪しい。ただでさえ、天神教の教会は強い権力を持っていて、王家を侮る傾向にあるのだ。


「はあ……」


 だんだん気分が悪くなってきた。人が殺し合うのを見るのはもう嫌になっていた。血はたくさん出るし、人はたくさん死ぬし、罪のない人も死ぬし、戦争なんてろくなものではない。もしかしたらチリーノは戦場に向かないかもしれない……そんなことでは、勇猛果敢とはとても言えないが。


「もういいや。今日は船に戻ろう……」


 ライハナたち魔法騎士団が到着したらまた様子を見る必要があるだろうが、今日はこの程度でいいだろう。一体どうすればいいのか、今からでもプラチドに相談したい。

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