第3話 岐路の先で……


 カツ、カツ、と足音が鳴るダンジョンの中をハラハラ、ドキドキしながら進む。

 なんだかホラゲーでもやっている様な気持ちになっていたが、これはおそらく似て非なる気持ちに違いない。

 その証拠に俺は、ここまで一匹たりとも生き物とは出会っていなかった。


 これが往年のダンジョン物のゲームとか小説とかだったら、すでに罠が見つかったり、スライムなりが襲い掛かって来て、バッタバッタと敵を薙ぎ倒していても良い頃合いのはず。


 もしかして、実は斬新な営業スタイルの洞窟探検ツアーにでも巻き込まれたのでは?


 と一瞬淡い期待を胸に抱いたが、うん。

 それはない。

 ないない。

 普通の洞窟ならともかく、虫やコウモリとが一匹も出て来ない洞窟とか、非常識過ぎるだろう。

 そうではなくても全く光源もないくせに数メートル先まで見渡せるような環境なんて、見たことも聞いたこともない。

 はい、結論。

 ここはダンジョンである。


「……」


 ああ。

 俺の隣にでフワフワ浮いている小石君だけが、この変わらない景色と環境の中でここが現実世界ではなく、ファンタジー世界にいるのだと自覚させてくれている。


 はい。

 正直滅茶苦茶、助けられています。


 危機感の自覚もそうだけど、何より固有スキルの熟練度上げが順調に進んでいるのが嬉しい。たった数分間浮かし続けるだけの簡単な作業で熟練度が一から二へと上がり、今ではすでに五へと上昇していた。


 熟練度、うまうま。

 早熟効果が大変美味しいです。 

 あざーす!

 いやはや。最初は固有能力を使い続けるのに何か代償が必要かと思ったんだが、最も代償候補に近かった『魔力』と言う項目から数字が減ることはなかった。

 何か別の物を消費している?

 それとも代償なし?

 そんな疑問が脳裏を過る。

 しかしこれ以上考えても答えは出ないだろう。あまりに情報不足だ。

 一先ずは、固有スキルは代償なしで使いたい放題、という認識で行使していくことにした。


 一応ここに、スキルの考察における酷く個人的な希望的推測を記しておく。


 恐らく、固有スキルと通常スキルで発動の代償となるものが違うのだ。もしくは代償自体が存在しない。

 例えば、固有スキルはステータス画面では分からない何かを代償にしていて、今持っていない通常スキルは魔力を消費する……みたいな。

 まぁ残念ながらこの場で今すぐに検証することはできない。だが、この考察が遠からず当たっているのではないかとは思う。いや、切にそう願いたいと言ったところか。


 ともかく、今は代償なしで扱える固有スキルの熟練度上げに専念しつつ、念導力を戦闘でも使えると言えるくらいには育てておきたい。

 それがダンジョンを無事に脱出できる一つの鍵だと思うし、地上に出てからの役に立つか、役に立たないかの判断基準になると思うからだ。

 オラ、ワクワクすっぞ。


 ___ぐぅ


 変わらぬ景色の中で、盛大に腹が鳴った。

 歩き続けて体力も消耗したし。言うまでもないが、ここに至るまでの状況がちょうど昼飯前だったので当然の様に腹は減っている。

 特にチキン南蛮を失ったのが、痛い。

 本当に痛いッッ。


 え~いいじゃん。偶には、昼飯くらい抜いてもどうってことないでしょう?と言う人もいるかもしれないが、健全で健康な男子高校生にとって昼食はとても重要な要素ファクターなのだ。

 

 さすがに食べなきゃ死ぬ、とまでは言わない。けれど、昼飯には一日の楽しみや午後の授業への活力補給的な役割があるので、それをなかった事にされるのは正直辛い。

 精神的にも、肉体意的にもめっちゃ辛いのだ。

 ううっ、許さん。ダンジョン。

 絶対に許さんからなぁぁぁぁぁ。


「アパー」


 この話題は考えれば考えるほどドツボに嵌っていく様な気がして、俺は間抜け面を晒しながら別の事を考えることにした。

 激情による、カロリー消費がヤバいのである。ホント、くやじぃぃぃ。


「他の巻き込まれた人は、無事かなぁ……」


 果たして、この学校でダンジョンの発生に巻き込まれたのは、一体どのくらいの人数に上るのか。そしてどれほど生き残れるのか。


 『巻き込まれし者』の称号情報から読み解くに、食堂から半径百メートルの範囲が巻き込まれたのなら、校舎全体が巻き込まれていても不思議ではない。もしくは、食堂がギリギリ範囲に含まれたパターンも考えないといけないか。


 もし食堂にいた俺の周りだけで考えるのなら、食堂のおばちゃんと幾人かの二年、三年生が確定でダンジョンのどこかに飛ばされているはずだ。


 何とか生き延びて欲しい。

 もちろんダンジョン内での優先順位は、まず自分だ。その後にその他が続く。誠に申し訳ないが、偶然、誰かとダンジョン内で出会あったとしてもこの方針は変えないし、変えられない。

 誰だって自分が一番かわいいのだ。

 それが、酷くもどかしくて、心苦しく感じるのだが。


「とにかくダンジョンを出ないと。それだけを考えて……うん?」


 進もう、と考えているとダンジョン内に初めての変化が訪れた。

 見据えた先に現れたのは、T路地上の岐路だ。

 真横に伸びた左右の道があり、そこから先は顔を出して覗き込まねばならない。


 自然と自分の中の警戒心が一段も二段も上がった。

 危険なのは承知の上だ。

 それでも、先を見ないと言う選択肢はなかった。

 俺は未知への恐怖と少しの高揚感を感じながら、そっと左右の道を覗き込む。

 さて、まずは左から。


『……』


 左の道の先は真っ暗闇だ。

 十メートル先程までは見通せず、効果音で『ゴゴゴッ』、とか聞こえてきそうな明らかに嫌な雰囲気を感じた。


 うん。

 あれはヤバい。

 なんか知らんが、途轍もなくヤバいのだけは分かる。

 俺は、死んだ爺ちゃんから「男は勘に生きろ」と教えられて育ったので、こういう時の直感や勘は大事にしている。

 なので、左の道・ダメ・絶対。アーユーOK? おけ。

 よし。では気を取り直して、次は右の道でもみて見ましょうかね。


「「……」」


 マジかぁ。

 右の道には、ジッとこちらを見つめる一対の濁った黄色い瞳があった。

 体長は130センチほどで完全に子供体形だ。だが、その肌の色は人間の小学生とは似ても似つかないほどに濃い緑色だった。


 ___ゴブリン


 ラノベ脳が導き出したのは、そんな代表的なモンスターの名前だった。

 どうするか?

 どうなるか?

 どうするべきなのか?

 俺がそんな悠長な思考に浸っている間、事態は最悪な方向に舵を切ることになる。


「グギャッ」


「嘘だろッッッ!!」

 

 有無を言わさずゴブリンは走り出し、俺目掛けて飛んできたのだ。マジガッデム。少しは考えさせてくれ。


「ぁぁぁぁぁぁッッッ」


 飛び掛かって来る緑の小人の拳が、顔面スレスレを通り過ぎていく。

 心臓の音が加速して、バクバク煩いほどに鳴った。背筋の汗がいつもより冷たく感じる。


「ギャギャ!?」


 拳を躱された緑の小人___ゴブリンが濁った声を上げ、癇癪を起したように地団駄を踏む。

 対話?

 いやいや、無理無理無理。

 相手は、完全にこちらを襲う気で飛び掛かって来たし、避けなければ今頃どんな目に遭っていたか……想像すらしたくない。

 ゴブリン×俺。

 とか言う意味だけはないので追記しておく。


「グギギャ」


 癇癪の終わったゴブリンは凶悪な表情を歪めると、狡猾ににじり寄り始めた。恐らく、俺が怯えているのが伝わっているのだ。

 だって、さっきから膝がガクブルしてきっと顔色も悪いだろうから。そりゃ誰だって悟るってもんよ。


___逃げろッ。


 本能的に頭を過った言葉に、俺は素直に従った。

 1も2もなく、ゴブリンへと背を向け、駆け出す。


「ギャ!? ギャギャギャッ!!」


 怒っている。

 言葉は通じないが、背を通して伝わって来るゴブリンの叫び声には先程の癇癪以上の憤怒が感じ取れた。

 しかし振り返ることはしない。

 ただ、走る。

 必死に走る。

 命懸けで走っている。

 

「ハッ、ハッ、ハッ」


 心臓が早鐘を打つ。心拍数が急激に上り、吐き出す空気音がどんどん大きく鋭くなった。緊張とか、戸惑いとか、理解とか、言い訳とか、この場では心底どうでもいい。

 俺は今、命の危機に瀕しているのだから。


 それが事実。

 それが現実。 


 突然の事ではあった。

 納得できる時間もなかった。

 けれど、不満も、不平等も、不幸も、不条理も、生き残ることができた後、思う存分嘆けばいいさ。

 だって、ここで死んでしまえば叫ぶ機会は永遠に失われるのだから。


「死にたくッない!!」


「グギャッ!」


「ひぇぇぇぇ」


 漏れ出した言葉に応えたかのようなゴブリンの叫び声が、まるで『逃げるな!』とでも言った様な気がして、思わず情けない悲鳴が上がった。

 恐らくそれは偶然に過ぎない。

 それでも怖いものは怖いのだ。

 元気一杯に叫びながら追いかけ続けるゴブリンから、俺はただただ逃げ続けるのみである。


 ただ真っすぐな洞窟の中を駆け抜ける。

 もうすでにお互いの歩幅の差的には、逃げきれても良い頃合いだ。だが、未だに逃げているという事は____そう言うことだ。

 ゴブリンの足の回転数が俺の逃げる速度に追い縋っているのだ。

 余りに脅威的なケイデンス。

 弱虫な小〇田君だって、そんなに早くないだろうに。


「嘘だろ」


 さらに悪いことは重なった。

 追いつかれないように無我夢中で走り続けていると、その先は___ゴツゴツした岩に囲まれた、完全な行き止まりだった。

 あ~ぁ。

 詰みである。


「……クソッ」


 思わず硬い岩盤を叩く。痛い。

 ゴブリンの叫び声がだんだん近づいてくるのが分かった。どうやら先の見えた鬼ごっこは、ここで終わりらしい。

 振り向けば、ほんの数メートル先で嘲笑うゴブリンと目が合った。嗜虐心と残虐さが垣間見える酷く淀んだ___嫌な瞳だ。


___覚悟を決めるしかない


 状況は至って単純シンプル

 殺さなければ、殺される。ただそれだけだ。 

 もしくは、どちらかが戦闘不能になれば、解決するか?あ、いや、それはないな。きっとゴブリンは雑食なので俺が戦闘不能になれば、食い散らかされる未来しか来ないはずだ。ラノベ脳がそう囁いているのだから間違いない。


「食われたくはないなぁ」


 獲物である俺を追い詰め、凶悪な表情を浮かべ続けるゴブリンが、ギギギッと愉快そうに笑った気がした。

 ここから先は、生きるか、死ぬか。

 結果は二つに一つ。

 もはや第三の選択肢など想定する必要はない。

 俺は覚悟を固める様にして拳を握った。


「ギギギッ」  


 こちらの抵抗を察したゴブリンが、これ以上ないくらい不快そうに表情を歪める。

 お互いが向かい合う中、不思議な間が洞窟の中を支配した。覚悟を決めて向き合うだけで、先程まであった色々な感情がスッと静まった気がする。

 遠くからポタリ、ポタリ、とどこからか水滴の落ちる音が響いて来てなお、集中力の高まりを感じる。


 幾度の水滴が落ちたであろうか。

 二度?三度?

 ……いや、もっとか。


「ギャガッ!!!」


 初めに動き出したのは、濁った声を上げたゴブリンだった。鋭い爪を先手に据え、小柄な体ごと体当たりする様に俺の顔面目掛けて飛んできたのだ。


 それは短気で、単調。しかしゴブリンの残虐性が前面に出た……非常に読みやすい行動だった。

 来ると分かっていれば、避けられる程度にはゴブリンと俺との間に身体的能力の差はない。はず。そう信じたい。

 だから、ただ冷静に躱せ。


「ッうぁ」


 黒い爪が目と鼻の先を通り過ぎて行く。それをしっかりと認識しながら、次に目映ったのは、空中で無防備を晒すゴブリンの姿だった。


 ___あ、いける


 まるで止まったような時間の中で、自然と動く体と思考に身を任せることにした。


「___フゥッ」


 短く、思いっきり息を吸い込み、止める。ギリッと鳴る歯茎を食いしばり、全身全霊で握った右拳を有無を言わさずに振り抜いた。

 次の瞬間には硬い感触が拳に伝わり、「ギャッ」と言う悲鳴を上げたゴブリンが二転、三転と地面を転がっていくのが分かった。


 だがそこで戦いは終わりではない。

 ラノベの情報通りなら、奴らは非常に狡猾かつ妙にしぶといのだ。その生命力は黒光りする虫を例に挙げられるほどで、倒せたと確認するまで油断してはいけない。


「俺は、お前を___殺すよ」


 学生には、過ぎた足る覚悟だろう。

 地上に戻ったら殺人罪や動物愛護法とかに違反していると言われるのだろうか。臭い飯を食うことになるのやもしれない。

 だが、そんな些細なことは地上に戻った時に考えればいい事だ。 今はただ生き残ることだけを考えればいい。

 

「……」


 一歩、一歩、仰向けに倒れるゴブリンへと向かって歩いて行く。近づけば近づくほどにゴブリンの生存説___擬態しているのが良く分かった。上下する胸に、ギョロギョロ動く瞳。時折奇襲のタイミングを計っているのかピクリと体を動かしているのだから確定でいいだろう。なんと言うかバレバレ過ぎないか?


「ギギギッ!!!」


 ジッと数歩離れたところで様子見をしていると、痺れを切らしたゴブリンが地面を叩きながら起き上がった。どうやら擬態を見破られたことを気づいたみたいだ。


 何度も、何度も蹲って地面を叩くゴブリン。

 俺はゴブリンのそんな隙だらけの姿に____今度は自ら動くことにした。


「シッ」


 両手で地面を叩いた瞬間を狙って、短く息を吐き、前傾姿勢で足を踏み出す。ゴブリンから見れば、ほんの少し目を離した瞬間に俺が目の前に現れた様に見えただろう。

 濁った瞳が驚愕に見開かれる。

 俺はそれを確認することなく、思いっきり踏み込んだ足でゴブリンの顎を蹴り抜いた。

 これは生存闘争。

 手加減?油断?慢心?そんなことを考えている暇はない。

 隙を見せた者から脱落していくのだ。

 油断した者から致命傷を負うのだ。


「ッッッ!!」


 叫ぶ暇も与えられなかったゴブリンが、吹き飛んだ先でぐったり項垂れる。


 ___まだッ追撃せよッ 


 本能に支配された思考回路は、もはや戦闘狂のそれだ。

 だが、今はこのままでいい。

 感じるままに。 

 命じられるままに。

 機械的に相手を倒せ。

 横たわったゴブリンへと向けて慈悲なく地面を蹴った。 

 

「ァァァァァッ」


 右腕を振り上げ、強く、強く拳を握る。

 この一撃で終わらせる。

 そう固く決意した拳だった。 

 

「はっ?」


 しかしその拳は振り降ろす先を見つけることができなかった。唐突に、ゴブリン自体が黒い霧となって霧散したのである。


「……」


 残ったのは、振り上げた拳と小指ほどの紫色の石ころだけだ。ラノベなんかでは魔石と呼ばれる代物のはず。


「ハァ~」


 どこか安心すると、ふと、腰が抜けた。

 尻から地面に崩れ落ちる様に座り込み、何もない虚空を見上げる。


「ハ、ハハッ、ファンタジーも……キツイな」


 深く深く息を吐き出して、右手を擦った。今頃になって、ゴブリンを殴った拳の痛みに気付いたのだ。息を吹きかけてみたり、何度も擦ってどうにか痛みを逃す。それでも痛い。


 ダンジョンの壁に腰掛け、走って逃げて来た道を見れば、薄暗くも先を見通せる洞窟が、永遠に続いている様に見えた。

 ああ。なんて先は長く険しいのだ。

 その事実が酷く肩に圧し掛かった様な気がする。


「キツイなぁ」


 もう一度同じことを言った。

 その時ツゥーと流れた出た涙の感触には、気づかない振りをした。

 精神的に、少し限界が近いのかもしれない。生物を殺すのも殴るのも初めての経験だった。

 心が張り裂けそうで、何か、別の解決手段があったのでは?と意味のない自問自答が心の中を占有する。


「フゥーー」


 俺はそんな問答を振り払うように立ち上がった。心が折れるには早すぎる。まだまだこれからが本番だ。乗り越えろ。そして先へ進め。

 その想いだけがきっと、このダンジョンを攻略するうえで必要なことだから。


 「さて……戻りますか」


 俺はゴブリンから逃げて来た道を幽鬼の様に揺れながら、歩いて行くのだった。

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