死を超えて

 鏡に屈折された太陽によって目覚める朝。ある意味では人工的な太陽だろうが、その温かさはぽかぽかとして心地よい。

 魘された所為でよく眠れなかった。故に、大きな欠伸をしながら、インスタントのコーヒーを味わう。腹を満たすためだけに何の変哲もないトーストに手を付けた。


(私、生きている……)


 五感があり、きちんとトーストとコーヒーの味を感じられる。生きていると実感して、何だか泣きそうになってしまう。

 昨日、私はアリサの死体を担ぎながら宇宙空間漂い、何とかマチルダ率いているムーンノイドに回収されたようだが、その時の記憶は曖昧だ。現実逃避だろう。

 やはり私にとってアリサが死んだことは大きかった。人生で一番の絶望と称してもいいほどで、夢見が悪く、こうして寝不足になってしまった。


「切り替えないと……」


 そう、私は全世界の美少女を救うためにこの世を平和にすると心に決めたのだ。悲しみに打ちひしがれている場合ではないのだ。きっとアリサも、私が元気になるのを願っているだろう。

 軽くシャワーを浴びて、マチルダから渡された衣服に着替える。衣服と言ってもやはり軍であるから軍服だ。きっちりとアイロンが掛けられた袖に手を通していると部屋の扉が開かれた。


「フォ――おっと、失礼した」


「別にいいわよ。同性同士じゃない」


「それもそうだな」


 威厳のある態度を保っているマチルダは部屋へ入ってくると、椅子へ座って私のコーヒーを飲み始めた。そして「不味い。念のために買っておいたインスタントだな。私はサイフォン式が好みなんだ。それに角砂糖は二十個は入れないとな」と文句を言われてしまった。

 角砂糖二十個なんて甘すぎるだろう。折角のコーヒーの苦さを潰してしまい、あまり好ましくない。


 それはさておき、図々しいやつだ。と、抗議の視線を送っておいた。


「別にいいだろう? 此処は私の家だ」


「うっ……そうなの?」


「そうだ。まあ、あまり帰って来ないのだがな……」


 淡々とした様子で言ったマチルダに、私は呆気に取られてしまった。

 此処に帰ってきていないのはどうせ、研究に没頭しているからだろう……ん? それなら今日はどうして帰ってきた?

 私が小首を傾げていると、マチルダは溜息を吐いて億劫そうに言った。


「全く、フォースは任務を遂行してくれたようだが、とんでもないことをしでかしたな……」


「とんでもないこと?」


 訳が分からない私はオウム返して、マチルダの前に座った。

 堅苦しい軍服を着込んだ今の私は立派な月軍のように見えるだろう。


「ああ、そうさ。アリサとかいうファーストを連れてきた挙句、あの放送か……まあ結果的に攪乱にはなったが……」


「ちょっと待って。放送ってなに?」


「まさか知らないのか?」


 目を丸くしたマチルダは机に置かれていたリモコンを操作して、テレビの電源を入れた。丁度、朝のニュース番組が映し出され、私は目を疑った。

 何故なら、見出しが『ムーンノイドの極秘兵器、戦争の悲惨さを語る』とでかでかと書かれていた。


「な、なによこれ!」


「我が軍の情報部によれば、フリューゲルに潜んでいたオーダースパイから流出した映像が、脚色されていった結果らしい」


「そ、そんな……」


 私の悲惨な叫びが遠目から撮影されており、音声もばっちりだ。あの時、何を叫んだのか一言一言憶えていない。黒歴史を掘り返されているようで恥ずかしい。見るに堪えなくなった私はバルカンでテレビを破壊した。


「わざわざ壊さなくても……」


「ご、ごめんなさい」


 注意を受けてしゅんと肩を落としてしまう。

 そして、脳裏に過るのはアリサのこと。彼女の遺体は確かムーンノイドに回収されたはずである。


「あ、アリサはどうなったのかしら?」


「ファーストか? あれは助からない。一号機だけあって技術も古いから軍事的な価値もない。だから処理して放置さ」


「処理? 放置?」


「……火葬だよ。今、お墓を作らせているさ」


「そう……ありがとう……」


 マチルダならアリサを助けてくれると淡い期待を抱いていた自分がいた。それ故に、裏切られたと感じて、頭に血が上ったが筋違いだろう。

 きちんと弔えたのはマチルダのお陰だ。

 物事を俯瞰的に見た私は心の底から彼女に感謝して、ぺこりと頭を下げた。


「別にいいさ。これもフォースを懐柔するためのことだ」


「あら? 私は貴方のモノじゃない」


「それはそうだが、私はフォースの心が欲しい」


「……よくそんな恥ずかしいことが言えるわね」


 平然とした様子で言うマチルダだが、そこに愛はないのだろう。

 彼女が私を求めるのは飽くまで戦力増強なのだ。私の心が欲しいのも、裏切らない駒が欲しいに過ぎない。

 マチルダは嫌いといったコーヒーを再び嗜みながら、ゆったりとした物腰で続きを話す。


「何はともあれ、フォースのお陰で形勢は更にこちらに傾いた」


「……? どういうこと?」


「オーダーの防衛ラインが崩壊し始めた。主要産業コロニーを制圧するのも時間の問題だろう」


 ふふふと愉悦そうに微笑む彼女とは裏腹に、私は戦争に忌避感を抱き、素直に喜べない。

 果たして、この戦争に勝者は居るのだろうか? ムーンノイドが勝ったとして、人類は平和な道を歩めるのだろうか?

 否、そんな筈はない。マチルダの苛烈な思想は人々の反感を呼び、新たな戦争を巻き起こすだろう。第二、第三のフリューゲルが現れ、人類は戦いに終止符を打てない。


「どうした? 嬉しくないのか?」


「戦争という愚かな行為に正義はない……そう思うのだけれど……」


「……人によって違うだろうな。オーダーにはオーダーの正義があって、フリューゲルにはフリューゲルの正義がある。分かり合おうとしないから互いに凶器を持って、主張をぶつけ合う。カオスクリスマス事件だって、そのほんの一部でしかない」


「……ちょっと待って。マチルダはカオスクリスマス事件を知っていたの? どこで知ったのかしら?」


 慮って見ればマチルダのような聡明な人物が、あのような残酷な事件を知らない筈がないだろう。が、純粋にどこで知ったかを気になって尋ねてみた。


「粛清の蛹計画に携わっていた時に、な……まあ世間で話題になり始めたのは最近かな? それも昨日」


「昨日? 話題? ……あっ」


 そこで私は気づいてしまった。

 テレビで放送された私は確か、カオスクリスマス事件について触れていた筈だ。そこから興味を示した誰かが掘り下げて、全容が明らかになったのだろう。

 だとしたら世論はアンチオーダーになるのではないのだろうか? まだ一日目だから何とも言えないが、あの事件が明るみに出たなら影響を及ぼす筈だ。オーダーの防衛ラインが崩壊し始めたのも、案外これが理由なのかもしれない。


「フォースには感謝してるさ。本当は私がカオスクリスマス事件を公開して道化を演じようと思っていたのだが、その手間が省けた。それに、効果も高い」


 人間は悲しい物語に関心を持つ生き物だ。悲劇のヒロインである私がいた方が悲観的になり、より一層心を打たれるだろう。


「任務は遂行された。取り敢えず、フォースは当分の間休むべきだ」


「……へぇ、休暇をくれるの?」


「正義はある。我らムーンノイドこそが正義だ」


 先程の問いに答えたのか、マチルダはそう言い残して出て行ってしまった。まるで自分自身に言い聞かせているような、不思議な言い方に私は頬杖をついて視線を落とした。


「アリサ……貴方の死は無駄にしないから……」


 彼女の死は私を大きく動かし、それは叫びとなって世間に伝わった。吉と出るか、凶とでるか、分からない。

 だけど無駄にはしない。アリサが示してくれた戦争の残酷さ。それが世界中の人に伝われば争いは無くなる。いつか平和な世界が訪れると、そう信じている。

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