寒冷化

 地球は母と言っても過言ではないだろう。広大な海、自然豊かな地上。生命を生み出し、長い年月を掛けて人類を生んだ。

 その中で氷河期という、地表と大気の温度が低下する時期があり、生命は何度も滅亡しかけた。

 私は氷河期を見たことがない。しかし、知識として知っていた。果たして映画だったか、小説だったか……兎も角、視界いっぱいに広がる氷の大地は正に氷河期だろう。北極や南極でないのにこの有り様だ。


 原因は過去に落ちた隕石であると分かっている。塵が打ち上げられ、日光が遮断されて寒冷化する。その仕組みは分かるが、小首を傾げてしまう。


 何故、ここまで寒冷化が続いているのだろうか?


 隕石が落ちたのは大昔の筈なのに、まだ塵が巻き上がっているのは可笑しく思ってしまう。私はマチルダのような聡明な博士ではないため断言できないが、違和感は覚える。

 仰いでみれば曇り空。完全に日光が届かない訳ではないが、まるで夜そのものだ。人類にとって最悪な環境だろう。見る限り植物はなく、気温も低い。恐らく、空気も薄いだろう。


 私は変身しているので快適だが、解除すると凍え死にそうだ。しかし、変身しているとフリューゲルに見つかる可能性もある。


「ま、見つかったら運が悪かったってことね」


 寒さには勝てず、私はそのまま歩き出す。

 暫くして、此処がクレーターのようになっていることに気づいた。人工物が見えず、本当に地球にはディクラインと呼ばれる人たちが住んでいるのか疑ってしまう。

 いつまで経っても活路は見えない。いい加減、痺れを切らした私はブースターを点火させてホバー移動する。フリューゲルに見つかる可能性を考慮している場合ではないのだ。このままでは遭難と同じで、そのうち餓死してしまう。


「ん?」


 少し離れた場所で動いている光の粒が見えた。恐らく、灯りを持った人間だろう。魔力は感じない。となれば民間人だろうか?

 兎に角、今は情報が欲しかった私はそちらに向かって目一杯ブーストを噴かせた。雪が舞い上がり、一部は水蒸気として消えていく。


(なにこれ? 石碑かしら? 彼女は何をして……)


 大きな石碑の前にいたのはランタンを持った子供。宇宙服の機能を持ったスーツを着込んでヘルメットをしている。身体つきからその人間が少女だと分かった。


「聞こえるかしら? こんなところで何をしているの?」


 思い切って声を掛けて見れば、私の存在に気づいていなかったのか、彼女は驚いたような素振りを見せる。

 距離はそれなりに離れている。ランタンの光が私にぎりぎり届くか、届かないくらいの距離にいるので私の顔は見えていないだろう。


「……お墓参りなのです」


「お墓? 誰か死んじゃったの?」


「カオスクリスマス事件……今から十年前のクリスマス、地球人はオーダーへの大規模な抗議活動を行っていました」


「抗議活動……」


「ええ。今もそうですが地球人、いやグローマーズの支援を受けられない人々はディクラインと罵られている。だから各地でデモが起きたんです」


 彼女は続ける。


「それをよく思わないオーダーは隕石を落下させて、過激派を消しました。それが此処です。此処にはかつて地球で一番栄えた都があったのです」


「そんな……信じられないわ……」


 彼女が語った過去は耳に痛い。とても信じようとは思わない。

 いや、そう考える時点で私は事実として受け取っているのだろう。広がっている大きいクレーターはもしかしなくてもその隕石の所為なのだ、と理解してしまっている。

 彼女はその場で屈んで、手を合わせて祈っている。態々こんな過酷な場所へお墓参りに来ているということは、その事件で大切な人でも失ったのだろう。小さな背中から哀愁が漂っている。


「貴女は宇宙からどうして此処に?」


「え? どうして分かって……」


「今、話したことはオーダー内では緘口令が敷かれているのです。だから知らない人は決まって宇宙の、オーダーの人なのです」


「……秘密よ」


「そうですか……まあいいのです」


 自分で言っておいてなんだが、私は怪しい人ですと言っているようなものだろう。

 ヘルメット越しなので顔色が分からないが、彼女は淡々とした様子で立ち上がった。


「実は街に行きたいのだけれど……何処にあるか分かるかしら?」


「あっちに行けば街があるのです」


「ありがとう」


 私は彼女が指した方角に向かうフリをして、離れた場所で身を潜ませた。

 彼女は明らかにオーダーへ嫌悪感を抱いており、私をオーダーと勘違いしている。そんな中で、とても親切にしてくれる訳ないだろう。

 暫くして、祈りが終わったのか彼女は移動を開始する。そう、私に街があると指した逆方向だ。

 やはり彼女は嘘を吐いていたのだろう。私が苦労するために態と街がない方向を指したに違いない。

 私はランタンの灯りを目印に、彼女の背中を追った。

 

 氷の大地を歩き、見えてきたのはぽつんとあった寂しい建物。入って見ればエレベーターのようになっていて、地下へと降りる。ガラス張りの壁から外の景色が窺え、そこは都市になっていた。

 見る限りは普通の町並みで、それこそコロニーと遜色ないように思える。

 手入れされた大地に足をつけて、周りを見回すが人の気配がない。彼女は何処かへ消えてしまい、此処にはレーダーがないのか、フリューゲルの兵士すら駆けつけてこない。


「攪乱……ねぇ……」


 簡単に思いつくのはフリューゲル要人殺害、または施設を爆破などだが、彼らは国家ではない。ただの野蛮な組織である。此処にもフリューゲルは居るだろうが、恐らくは組織に加担する民間人くらいだ。フリューゲルの施設があるとは思えない。

 しかし、念のために情報収集を行う。飽くまで私の予想であり、それが事実とは限らないからだ。





 変身を解いて街を歩いていると、直視したくない現実があった。率直に言えば治安が悪い。厭世的な雰囲気に、嫌でも顔を顰めてしまった。

 盗みを働く子供、恐らく薬をやっているであろう青年、ホームレスなのかゴミを漁る老人、路地裏では警察が暴行している。

 世界は残酷だ。見ていられない光景に、思わず溜息と肩を落とした。


 フリューゲルは一体、どこに軍事施設を作っているのだろうか?

 もしかして他にも都市があって、そちらに軍事関連が集中しているのか?


「失礼……ちょっといいかしら?」


「なんだ? 身売りか? へへへ中々上玉――うぐっ!」


 どうやら声を掛けた人物が失敗だったようで、股間を蹴り上げておく。

 それにしてもこの貧困さだ。賄賂を渡さないと事がスムーズに動かない気がする。

 やはり金だ。金が全てを解決する。

 と、言うわけで私は求人誌を求めて、街を散策する。フリューゲルを撹乱? そんなものは後回しだ。情報を得るにしても、何をするにしてもお金は必要なのだ。


「うーん……無一文から抜け出したい。マッサージでもしようかしら? 美少女限定で」


 何処かにマッサージを求める美少女はいないものか……と思いを耽らせながら歩を進める。

 まあ、都合の良い美少女なんている筈もなく、ついに都市部を超えてしまった。

 辺りに広がっているのは田舎らしい草原だ。牧場を経営しているか、ちらほらと家畜が見える。遠くに建っているのはお屋敷は見るからにお金持ちそうで、貧困と裕福の差が激しいのだろう。


「盗んでやろうかしら?」


 勿論、冗談だったが、街中では地獄のような生活を送っている人々がいるというのに、此処に住んでいる人は贅沢をしている。そう思えば腹が立ってしまうのは仕方ないだろう。

 悪態を吐きながら歩いていると、道から逸れたところに木が立っていた。


「なっ!?――」


 胸が高鳴った。その要因となったのは木陰の下で本を読んでいる少女。いや、美少女だ。

 艶のある小麦色の、絹のような髪を棚引かせ、女性らしい華奢な身体つきに、シンプルなドレス。物鬱げに読書する、その光景は美しいにつき、まるで美術館の絵画のようで目を離せない。

 彼女を見ていると動悸が激しくなり、自分の中で何かが変わっていく。不思議な感覚だ。形容し難い感情だが、これだけは分かった。


(私、彼女に惹かれている……)


 これが一目惚れなのだろうか? いや、これは運命だ。私と彼女が出会うことは定められたことだったに違いない。

 私の熱い瞳に気づいた彼女は手を止めた。


「貴方は……」


 首を傾げたと思えば、彼女は目を見開いた。まるで幽霊でも見たかのような驚き様だろう。

 それは此方も同じで、彼女の声には聞き覚えがあった。


「その声は石碑に居た……ってわぷっ!」


 目の前の彼女が、石碑で祈っていたあのスーツ姿の少女だと分かった瞬間、私は押し倒された。が、抵抗はしない。そこに攻撃の意志がないと感じられ、ただ彼女の温もりを感じていた。


「イロハ! ずっと会いたかったのです!」


「あ、ありさ……え? 今、アリサって言ったの?」


 困惑を隠しきれず、過剰に唾を飲み込んだ。

 目の前の少女は私を知っているようで、それは私も同じだ。無意識に出たアリサという名前……私は彼女を知っているようである。忘れている記憶が、蘇りそうで蘇らない。まるで鍵を掛けられているようにもどかしい。


「一体どこに行っていたのですか? 一緒に暮らそうって約束したのに……失踪してしまって……」


 泣きだしそうな彼女を見ていると胸が痛くなった。

 今、私は忘れている記憶があると確信した。しかし、それは固く閉ざされていて思い出せそうにない。

 尚且つ、石碑で会った際、彼女がオーダーを嫌っているのは判明していて、恐らくはムーンノイドも嫌いだろう。

 そんな彼女に「ごめんなさい。実は記憶がなくて……今はフォース・ユイという名前でムーンノイドに入っているの」とは口が裂けても言えないだろう。彼女の心を傷つけることになり、美少女の顔を曇らせることはしたくない。


「え、えっと……取り敢えず、ただいま。あ、アリサ……」


 だから、私はアリサが想いを寄せているであろう“イロハ”のフリをした。

 すると彼女は本当に嬉しく思ったのか、目をうるうるとさせて、より一層強く抱き締めてくる。ほんのりと甘い香りが鼻腔を擽り、胸の中がアリサで占められた。

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