5-6:

 トオルは闘技場の中央に立つと、抜刀した。

 アキラもそれに応じ、ゆらりと双刀を重力に沿わせる。

 万を越すであろう大観衆は、激突前の緊迫感に固唾を飲んで見守っている。華々しい両者の軌跡がサイネージに表示される。トオルは己の舞踏に目を奪われた。極められた武は、芸術のように美しい。

 そして、それは眼前のアキラもだ。彼から流れ出る闘気が、なんの揺るぎもなく立ち上っている。

 真っ直ぐで、そして燃えるようで。

 眩いその輝きに、トオルは深くフードを被り直した。


「こうして会うと、はっきりわかる。あのときのは、やっぱり君だったのか」


 アキラはどこか黄昏たような目で曇天の空を見遣ると、くつくつと奇妙な笑い声をあげた。


「遠かった。遠かったな。君に敗れたあの日から、一日一日が長く感じた。あれから何度も映像を見返したよ。君の技は、まさしく努力の結晶だ。

 そして、悔しかった。再戦は、遠い先の話になるだろうと思ったから。だから、出てきてくれてよかった」


 アキラは一転、強張った顔で剣を突きつけてくる。その切っ先は緊張であろうか。小刻みに震えていた。


「どうして……?」


 トオルが絞り出すように言うと、アキラは小首を傾げた。


「どうして、休養なんて」

「あれは家の事情だよ。君のことは、この勝敗も含めてなにも関係ない。どうなろうと、遠からずボクは同じ道を辿ることになっただろう。だから、そうだな。憐れむぐらいなら、その剣で応えてほしい」


 片刃の双刀を構えるアキラは、半ば一枚の絵画のように幻想的だった。

 さらさらと流れる黒髪は艶立ち、化粧も施していないのにはっとするような白さだ。それでいて、しなやかな筋肉が服の上からでもわかる。細い腕に反して、大きく硬いその掌。鍛錬に費やした歳月を思わせる。

 自分とは、まるで正反対だ。

 トオルは自分の柔らかな手に目を落としていた。指先は傷ひとつなく、あるとしてもほとんどがあかぎれだ。身に起こる筋肉痛もそう。いくらアークが超然の存在だとしても、そう頻繁に限界を越すわけがない。降臨アドベントの度に苦しむのは、ひとえに鍛え方が足りないからだろう。


「無言、か。これも最後だから、もう少し聞いてみたかったけど」

「……」

「なら望み通り、無粋な問答は止めようか。ボクたちはMMAの選手だ。語らうなら、これにしよう」


 そうして、銅鑼は鳴らされた。

 ザッと砂塵が立つ。トオルの目には、その姿がその場から掻き消えたようにしか見えなかった。

 裏地に光を走らせたかと思うと、ジャケットをはためかせて重力を手放す。

 同時に、五本の刃が環となって彼の背中で舞った。

 その姿を仰ぎ見る。まるで、日の輪を背負うような輝きをそこに見た。

 一部のトップ選手にしかまともに扱えぬと言われる浮遊機構フロートシステム。それをアキラは自由自在に操りながら、右手に持った長剣を突き出した。


「君の弱点は、近距離技しか持たないこと。そして、長期戦を拒むことだ!」


 そうして、刃は流星のように降ってきた。

 トオルは刀を背負うようにして駆け出した。

 タイミングを逸した。すぐさま、アークと交代すべきだったのだ。

 二人はともに遠距離攻撃手段を持っていない。これでは、制限時間を食い潰すことしかできない。

 救いは、距離があるゆえに相手の感知系ESP能力も機能しないことか。トオルの拙い動きでも、刃が捉えるには至らなかった。


『んなのアリかよ。ってやべぇ、右、右!』


 アークの切羽詰まったような声がつんざく。トオルは遮二無二駆け回っていると、視界が一筋の閃光を捉えた。

 空を漂っていたアキラが、鷹のように鋭く滑空してきたのだ。風を切り、白煙を立ち上らせる。

 ゴッ、と。頭の中で、骨の軋んだ音が鳴り響いた。かろうじて研ぎ澄まされた二刀だけは防いだが、彼と接触した瞬間、トオルの身体は紙切れのように軽々と吹き飛ばされた。

 トオルは同世代に比しても華奢なほうだが、上背があり、決して軽量級ではない。一方のアキラは、かろうじて百七十に届く程度だろう。筋肉質ではあるが、俊敏性重視の細身だ。

 生物としての攻撃力は、そのほとんどが体重に依る。それを補うのは、尋常ならざる速度しかない。十キロ以上違う相手を吹き飛ばすために、常識を超える速度で駆けているのだ。


 身体が粉々になったような衝撃だった。軽く十メートルは宙を舞い、血反吐を吐き散らしながら地面を転がった。

 さらに追撃がはじまった。網膜がキラリと陽光を照り映えさせる刃をとらえる。それは一直線に、まるでギロチンのように降った。

 口内を甘いものが満たす。呆けてなどいられない。トオルは折れかかった腕に鞭打って跳ねた。

 間断のない攻撃である。呼吸ができない。酸素を欲した脳が、全身に絶え間なくアラートを送っている。


「どうした! なぜ本気でかかってこない!」


 そして、再度衝撃が襲った。

 掠めただけかと安堵した瞬間、襲ってきた灼熱の感覚に、トオルはげっげっと奇妙な音を漏らした。

 それは、折れた骨が皮膚を突き破って飛び出る感触。右脚の感覚がない。力もまるで入らない。それなのに、痛みがない。右脚はひしゃげたようにあらぬ方向を向いている。

 そう気付いた時には、トオルは仰向けになっていた。


「様子見のつもりか?」


 空から、まるで重しのような声が降ってくる。

 浮遊状態にあるアキラは、もはや別格とかいう次元ではなかった。

 昔一度だけ対戦した、高校生HSSOランキング千台の選手でさえ、ここまで圧倒的ではなかった。

 高さ、とはそれだけで力だ。そこから自由自在に滑空し、さらには刃を降らせるような存在に抗えるはずもない。

 剣を杖になんとか立ち上がる。圧倒的な戦技で、絶えず歓声が鳴っている。這うようにして、腹の底から気合いを吐き出した。


「この後に及んで。ハンデの、つもりかっ!」

「あっ、がっ――!」


 そして、五本の刃がトオルの四肢と胴体を、寸分違わず穿った。

 痛みではない。熱さだ。煮えたぎる釜に突っ込まされたような熱が細胞を伝ってゆく。

 息もできず、ぜひぜひと横隔膜を上下させる。世界は真っ赤に染まっていた。


「なら、ボクにも考えがあるぞ」


 ついに、本体が降ってきた。

 掲げた長剣には、なんら効果がなかっただろう。叩きつけられた鉄塊が、バキバキと肩を砕きながら食い込んだ。

 身体が溶けたような感触だった。右肩から先を感じられない。視界も靄がかかっている。痛みを通り越したはずのそれは、もう一度涙をほとばしらせるような激痛へと転じた。

 地に降り立ったアキラが、激しく首を振りながら苛立ちをあらわにした。


「ボクが仕合いたいのはそんな稚拙な技じゃないんだ。君も、これが最後だと知っているんだろう? なのに、どうして。これに、何の意味があるんだ。こうすることに、どんな意味があるんだ」

「うる、さいな……」


 トオルは剣の峰を咥えると、残った左手左足を使ってなんとか立ち上がった。外れた肩を入れる。たったそれだけで、青白い閃光が駆けた。


「そんなの、僕にだって、わかんないさ」


 ぐるりと視線をやると、大熱狂する席の一角でお通夜のように静まり返る場所を見つけた。考えるまでもない。トオルの母校、城西大附属高校のクラスメイトたちだ。

 行けっ、やれっ、と。完全アウェーだというのに声を張り上げている。あの柴田でさえも、どこか顔に力がはいっていた。

 視線を転じれば、通路でただ無事を祈っているひかりたち家族の姿も見つけられた。それも、トオルが紙切れのように吹き飛ばされると悲壮な表情になってゆく。

 すでに腕は上がらない。すでに前へは進めない。

 それでも、愚直に立つのだ。ただ、何かに支えられるまま。

 腕組みしながらただ見ていたアークが首を振りながら、言った。


『そいつの言う通りだ。もう止めろ。じゃなきゃ、これ以上はヤバいぜ。お前はよくやった。今更変わられたところでロクに身体も動きやしねえ。早々膝を折っちまえ。降参ってのは、別に恥じゃねえんだ』

「そんなの、知ってるよ」


 言われるまでもない。もう何度も、参ったと諦めてきたのだから。


「――まだそんなっ。バカに、しているのか!」


 よろばうように駆けるも、腹に一撃を受けて無惨に転がされた。なみなみと広がる曇天を目に焼き付ける。ふと、陽炎のような影が遮った。


『なんで、降参しねえ。お前が欲しかったのは、賞金なんだろ。ここで負けたって、別にお前の評価が変わるわけでもねえ。次、またオレ様が勝ってやりゃいいさ。なにをそこまで、これにこだわる』


 アークの表情は、いつになく真剣味を帯びていた。

 たしかに、不思議だろう。何の意味があって意地を張るのか。

 身体は壊れ、現代の発展しきった医療でさえ数週間は病院暮らし確定だ。なのに闘志が、魂が燃え始める。

 びょう、と指先一つで刃が降ってきた。もはや、かろうじて立っているだけの状態だ。反撃など夢のまた夢。肋骨をへし折りながら、競技場の端まで飛んでいって、壁に五体を打ちつけた。


「もうやめて。やめてよ……!」


 少女の啜り泣く声だけが、クリアに聞こえてくる。

 ひどい有様だ。なにしろ、傷のない場所はない。

 骨という骨が砕け、視界は壊れたブラウン管のように線が走っている。どろりとした血塊を吐くと、白いモノが混ざった。

 この身はもはや、反故紙のようにボロボロだ。

 それでも、立った。

 立たねば、ならないのだ。


『答えろ。何がお前を突き動かす』

「別に、大した、ことじゃない」


 柄を強く握りしめると、過日の記憶を遡った。クラスメイトたちが掛けてくれた暖かい応援のこと。柴田が悔しさを押し殺しながら、それでも踏み越えてゆけと勝利を託したこと。電子上の相棒が調律してくれた新たなる武器のこと。

 アークちからだけではない。今の自分が、ここに居られる理由。彼らだけではない、いつも自分は誰かに支えられて生きている。

 ならばこそ、強く思う。

 一度背いた自分に何ができるのだろうと。

 恩に報いるため、何ができるのだろうと。


(そう、だよね。古賀さん)


 トオルが見上げると、観覧席から見下ろす少女と目があった。紺色にオレンジ色の刺繍が入ったチアリーダー服だ。

 傍には、同じ格好をした女子生徒も並んでいる。彼女は、黄色のポンポンを胸に抱え、悲痛な表情を湛えていた。


「夏目、くん。もういい。やめて、やめてよぉぉ」

「莫迦ハル! 応援を止めないの!」

「…………うん。ふ、フレー、フレー!」


 彼女は銀色の雫を零しながら、それでも懸命に声を張り上げる。彼女のその衣装は、昨日更衣室で一瞬覗けたものだった。


(準備って、そういうことか)


 トオルは笑みをこぼすと、よろばうよう駆け出した。駆けながら思った。自分は彼女を拒絶した。助けようとした彼女の手を跳ね除け、あまつさえ苦労知らずのナンバーズと鬱憤をぶつけた。

 だが、本当に苦しかったのはだれだ。たしかに、客観的にみて恵まれなかったのはトオルだろう。だが、己が言ったのではないか。人は、自分の物差しでしか見ることができないと。殺し殺される異世界でないのだから、生きているだけで感謝しろと言われても、アークをすげなく拒絶したのはトオルだ。

 ならば、トオルにも彼女を否定する権利などない。残るのは、その後の行動だけだ。


 自分を押し殺して手を差し伸べた遥菜と。

 自分を解き放って彼女を攻撃したトオル。


 そんなことが許されるのか。

 いや、許されるはずがない。


 どんな重荷を背負おうと、どんな苦しみに喘ごうと、自分が一番辛い時、陰から支え続けてくれた彼女たちファンを裏切ることは、


 もう二度と、何があっても許されない。


 駆動する身体とは裏腹に、走馬灯のような言葉がリフレインした。

 それは最初の願い。

 すべてが幕開けたはじまり。

 絶望の淵で光に縋り、されども、その光の影に埋もれることになった瞬間、二人の間に結ばれた一つの契約のこと。

 それと同じ台詞を、トオルはたしかに聞いたのだ。


『それでも、光を欲するというのなら。

 問おう、トオル。お前は、何を望む?』


 あのときは、ただ縋ったけれど。

 今度は本当に、本当にそれを望んだから。願ったから。

 ふいに曇天の雲間から、一筋の光が差し込んだ。

 その陽光を一身に浴びながら、トオルは絶叫した。


 ――勝ちたいと。

 ――あの朝来野アキラに勝ちたい、と。


『そうだ! よく言った!』


 その瞬間、きんと涼やかな音で包まれた。

 遅れて己の瞳に赤い環が浮かび上がると、筋繊維に骨、血の一滴でさえ、前に踏み出せと身体を前進させる。

 けれど、身体の制御は失われない。自分の身体からも置いていかれない。

 己の意志で、己の願いで、その歩みを進める。

 恐怖と不安が全身を包む。

 けれど、それを飼い慣らし、心の奥深くに眠っている勇気を奮い立たせる。

 もはや、篭っていたフードは必要ない。黒い外套を巻き上げて突進した。

 それを見ていたアークは、トオルの背中を押しながら雄々しく微笑んだ。


『なら踏み出せ! 怖がるな、恐るな!

 勇者にだけ許された、唯一にして全。

 その一歩こそが、不屈ブレイブの一歩だ!』


 トオルの身体。すでに剣を振り上げられず、ただ突きを繰り出すだけだ。

 それでも降り注ぐたった一筋の光を背に、踏み出してゆくその姿は、まさしく駆け出しの勇者だった。

 

「それだ、それを待っていた!」


 眼を剥いて構える朝来野。凄惨に笑んでみせると、なりふり構わぬ形相のトオルと刃をかち合わせた。

 トオルは激しく咆哮する。

 全身から迸る闘気が、激しく大気を震わせた。

 握りしめた刀剣が、何かに誘われるよう“黒々”とその身を染め上げてゆく。

 まるで、描き出されるその光芒すらも飲み込まんとするばかりに。

 そして、激突は凄まじい光の波濤に飲まれていった。


 最後の激突が幕を下ろす。

 いずれにしても、勝者は一人。豪雷のような大歓声は、残った勝者を祝福していた。



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