5-1:
「――よって、我々城附生一同は正々堂々と武技を競い合わせ、古今東西、祖先の霊に至るまで恥じることのないよう戦い抜くことをここに誓います。選手代表、長尾景雪」
競技場の前は、肉の熱気が渦巻いていた。各校のジャージで身を包む生徒が黙々とランニングを繰り返し、応援客らが熱心に祈りを捧げていた。後方からは、続々と観客たちが押し寄せている。どこもかしくも、狂乱と歓声が立ち上っていた。
二月末日。
首都十三エリア、総体予選の第一日。
競技場前の広場に、総勢四百名の紺とオレンジのジャージを纏った生徒が勢揃いしている。
そのすべてが、城西大附属高校からの予選出場者である。皆一様に顔を強張らせ、緊張感をあらわにしている。マネージャーやアナリストたちも忙しく動き回り、準備に余念がない。
その中に、トオルはいた。
十三エリアの参加選手は三万を超えているという。メインだけでなく、サブアリーナからも歓声がとどろき渡っていた。
トオルの予選一回戦は、午前九時から始まる。総勢五十名で行われるゾーン性のバトルロワイヤルだ。
第二戦、第三戦も同じ形式をとっている。そして、二日目以降は一対一へと移行する。それを勝ち抜き、スーパーシードである朝来野アキラの決勝トーナメントに挑む挑戦権が与えられる。
引きずり出されたトオルにあるのは、もはや諦観を超えた何かだった。
心はぐちゃぐちゃだ。こころの整理はつかず、寄る辺を失い、ついには目的まで見失っている。
半ば、茫然自失としたまま右から左へと話を聞き流していた。
「おい、ナッツー」
ありがたい諸先生方からの訓示が終わると、極めて険悪な声が鼓膜を打った。
同じクラスで、トオルを目の敵にする柴田である。
うろん気な目で見つめると、彼は凄まじい形相で睨みつけてきた。
「前回のは油断だ。この大会で、決着を付けてやる」
そして、颯爽と去ってゆく。取り巻きたちは、露骨に肩を当てていった。
「選手の皆様に申し上げます。選手番号一から五十までの方は、メイン競技場にご集合ください。選手番号五十一から百までの――」
「さあみんな、悔いのないようにな」
「オレ、勝ち残ったら古賀さんに告白するんだ」
「逃げちゃダメだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」
「試合前のこの感じって良いよな。血が冷えるっていうか」
大会アナウンスにしたがって、選手たちがこぞって受付へと向かう。すでにデバイスチェックは終わっているので、ほぼ素通りで巨大なフィールドへと登った。
大浜オープンと同じ約五十反の大きさではあるが、障害物はなく、だだっ広いだけである。さらにはゾーン性ゆえ、時間経過でフィールドが狭まる。いずれ、立錐の余地のないほどの近距離戦へと移行するだろう。
トオルは、総体予選が間もなく始まる前で、入念にチェックを行なっていた。ヘッドギアのベルトを締める。靴紐をふん縛って立ち上がると、静かに国家が流れ始めた。
『で、結局どうすんだ』
「戦うしか、ないでしょ」
『だがよ、オレ様がやれんのは精々三分なんだ。このばとろわっつうのには、不利なんじゃねえか?』
「わかってるよ、そんなの!」
周囲がビビるのも構わず、トオルは虚空に向かって叫んでいた。
「一試合三十分。だから、なんとか僕が逃げまわって、勝負どころで
『そんな思い詰めんなよ。別にバレたって構うこたぁねえ。バラされたところで、気にしなきゃいいのさ』
「僕は違う! アークとは、エルとは違うんだ……! 違うんだよ……」
試合前だというのに、トオルはすでに憔悴しきっていた。体調は最悪である。睡眠不足で眩暈は絶えず、感情は定まらないままだ。
だが、勝たねばならない。勝たなければ、二度とエルという名前を背負って生きなければならなくなる。
いや、違う。朝来野を裏切れない。彼にどのような事情があるか知らない。けれども、彼の情熱に背き、嘘で塗り固めた自分を誇ることはは誰が許しても、自分が許せそうになかった。
「えー、それでは、ただいまから第九十八回、総体予選を開幕します」
戦いの銅鑼が高々と鳴った。
まず、トオルはいつものように黒いフードを被って遁走した。
自然、ほど近い場所で戦意の高い連中がかち合う。障害物もなく、戦術と言えるようなものも取りようがない。
勝利という観点から鑑みれば、その判断は悪くなかった。
いつもならば、これで少しばかり時が稼げる。だがしかし、今日にかぎってはなぜか、他の選手がトオルに的を絞ってきた。
進路を塞ぐように、三人の敵が取り囲む。トオルは苦々しく舌打ちをもらした。
「なんで、こっちばっかり!」
これは、一つの必然だ。というのも、参加者五十名のうち、城附オープンの参加者がそこそこな割合で占められていたのだ。そこで好成績を収めたトオルは警戒対象の筆頭といえよう。真っ先に漁夫ろうとしたが、一転、孤立無援の状態に陥った。
『右だ、右! その次、斜め前に走れ!』
「くそっ、三対一だってのに!」
「シードを殺せ!」
トオルは、巨大な手斧を叩きつけてきた巨漢の股をすべると、振り向きざまに長剣を薙いだ。脇腹をごきごきと抉る、えぐみのきいた音が流れた。
息つく暇なく、間断なしに右へ左へと駆ける。試合はバトルロワイヤルだ。一度目立つ戦いを始めてしまえば、勝ち抜けるまで終わりはしない。
「はぁ、はぁっ」
『まだ終わってねえ! 次、後ろ!』
三人も打ち倒したのに、まだ五人組に囲まれている。どうやら彼らは同じ近隣校同士で同盟を組み、めぼしい相手を潰そうとしているようだ。
トオルは城附オープンで結果を残し、第一予選のシード選手になっている。つまり、ランキングだけで言うなら警戒最上位の選手なのだ。
それだけに狙われやすいが、同時にトオル以上の選手は居ないといっていい。無論、実力的には近しい選手もいるが、どんぐりの背比べにすぎず、決定打に欠ける状況だった。
呼吸は荒く、怒号をかき切りながら競技場内を疾駆する。強豪校である城附の選手はほとんどが二回戦から出場してくる。つまり、トオルに組めるような仲間は居ない。
激しい攻防をくぐり、裸締めで意識を飛ばす。銃弾の嵐を拾った死体(※死んでません)で受け、用済みになったそれごと蹴り飛ばす。駆け違いざま、忍者のように身のこなしの早い選手を叩き落とした。
『飛ばし過ぎだ! 一回、
「まだ、行ける!」
トオルの鬼気迫る戦いぶりに、対戦相手たちは尻込みしはじめた。レーザー光で区切られたフィールドは、すでに半分以下になっている。縮まってゆく外縁部に陣取りながら、背水の陣を敷いて敵襲に備えた。
そうこうしていると、参加選手は五名へと絞られていった。二回戦へと上がるのは二名。目の前に、見覚えのある二人が姿を現した。
「よぉ、ナッツー。さすがは、柴田を倒しただけあるじゃねえか」
「げへへ、でもここまででごんすよ。兄貴とオイラのタッグは、今まで負けたことがないんすよ」
「右近くんに、権左くん」
額の汗を拭いながら、トオルは下段に構える。もうすでに、上段に構えることすら億劫だった。
「はっはっはー。悪運尽きたなぁナッツー。お前が満身創痍なのは確認済み。漁夫っていた俺たちは万全だ。そのうえ、こっちは無敗の連携がある」
「ま、オイラたちは個人戦専門なんで、そもそも組んだことがないんすけど」
「うるっせえ! 茶々入れんじゃねえ!」
げひん、と涙目を浮かべながら権左が拳骨を受ける。どこかコミカルなやり取りも、総体予選中とあってか油断は一切なかった。
二人の実力はトオルがよく知っている。棍を扱う右近と、突撃銃による中距離戦を得意とする権左だ。一対一でも手こずるのに、二体一は反則に近い。そのうえ、このコンディションである。
「ふん、びびってんのか、ナッツー」
遠景には、残り二名が争っている。つまり、向こうの勝者とこちらの勝者が勝ち上がる。逃げ場はない。ここが、勝負どころだ。
「いくよ、アーク」
『お前にしちゃよくやったぜ。こっからは心配すんな』
二人が前後に構えを取る。だが、トオルはすでに準備を終えていた。
右手で顔を覆い、その瞳に緋い環を浮かび上がらせる。そして、二人同時に叫んでいた。
「
決着は一瞬だ。
納刀し終えるまでおよそ一秒。
それで、すべてが終わっていた。
予選バトルロワイヤル第一回戦、勝者、夏目トオル。
さらに、その日の午後に行われた第二戦、第三戦においてからくも勝ち上がり、夏目トオルは二日目の予選トーナメントに駒を進めることとなった。
§
総体予選二日目、予選トーナメント。
その一回戦は、またも午前九時から始まった。
戦いの銅鑼が高々と鳴り響く。
今度はうって変わってサブアリーナでの対戦になったトオルは、直径五十メートルの円形闘技場で対峙していた。
対戦相手は、共に予選を勝ち上がってきた首都南工業高校の田中伸人だ。長さ三メートル近い棒には穂先がない。つまり、純粋な棒術使いだ。
同じ首都十三区の選手とはいえ、初対戦だ。手の内はほとんどわからない。無論のこと、向こうとて同じ条件だろうが。
母校の校歌が流されている間、トオルはつぶさに観察していた。体躯は百八十をゆうに越し、サングラスを掛けている。先天的な色覚異常でなければ、おそらく視覚拡張型のデバイスだろう。
そう簡単に、アークを頼るわけにはいかない。三分の時間制限、そのうえ、使用の疲労感は後にずっと引く。今日だけで五回も勝ち上がらねばならないのだ。
見るところ、単純な力量に差は感じられなかった。脅威を覚えないレベルである。いや違う、トオルは間接的にとはいえ、アークの試合を間近で見ていたのだ。それも、血で血を洗う実戦である。感覚が麻痺していたのだろう。
「はじめ!」
審判の声がかかる。
途端に、相手高校の応援が耳をつんざいた。
田中は、棒をまっすぐに突き出した。
「アマルガム!」
棒の先がパカっと無数に枝分かれしたかと思うと、ウニョウニョウニョと触手のように蠢き出した。
ぎょっと、トオルが眼を剥く。坊主頭の田中は、陰湿に頬を歪めてどっと石畳を蹴った。
この棒は先端に新技術、液体多結晶合金を利用したものだろう。扱いに苦労するものの、高い耐久力と変幻自在の形状を持ち、高い能力を発揮することで近年注目され始めていることを耳にしたことがあった。
『なんだこれ、きっしょ。今すぐ変われ、オレ様がぶちのめしてやる』
(こんなところで、躓いてられるか!)
流体金属、その先端はしなやかでありながらも硬度がある。喉首へと迫りくるそれを、じっと凝視した。
大きく避けては反撃に転じられない。かといって、得物で弾くのもなしだ。絡み取られて終わりだろう。ならば、勝機は火の中にある。
跳んだ。ほとんど、反射的な動きだった。虚空で身体を捻りながら薙ぐ。
そこではじめて、にやけ笑いを引っ込めた田中が大きく飛び退いた。
「キミ、すごいな。これを初見で、飛び込んでくる相手がいるのか。まだ一年生だろ?」
彼は、掛けていたサングラス型のデバイスを放り捨てた。こちらの戦闘距離が、剣の間合いのみであることを悟ったのだ。
「俺は、この通り慎重派なんだ。予選も見たよ。瞬発力勝負なら分が悪そうだ。それに、終盤に見せる動きは神掛かっていた。素直に賞賛するよ」
「それは、どうも。降参してくれると、ありがたいんですが」
「冗談」
田中は舌を出しながら笑うと、棒でどどんと床石を叩いた。先端の触手が、まるで生き物のように蠢く。
「キミの弱点は、攻撃手段が近距離しかないことだ。そして、このアマルガムは近距離戦に滅法強い」
「それで?」
「俺は、今年が最後でね。度胸は認めるが、キミには苦杯を舐めてもらうよ」
トオルは無言で剣を上段に構えた。火の構え。攻めて、攻めて、攻めたおすしかない。
実力で劣るトオルが予選バトルロワイヤル二、三回戦をからくも凌げたのは、その切羽詰まった精神状態がいいように作用したからだった。
負けるわけにはいかない。そんな想いと裏腹に、指数関数的に上昇してゆく対戦相手の強度が理性を奪う。判断はすべてアークに任せ、ただ愚直に突っ込むしかできない。それは思考停止に他ならないが、剣の冴えはここ一番のものを見せていた。
考える、というラグがないのである。無謀な綱渡りではあるが、判断の速さは極まっていた。
「きえぇぇぇぇええ!」
触手を回転させながら、田中は突っ込んできた。猛然と突きを繰り返す。
ただの棒ではない。棒が伸び切る直前、触手がわっと全方向へと飛び出すのだ。躱すことさえ容易ではない。そのうえ、基礎を積んだ動きは正確で、見た目に似合わず正道派だ。
たまらず剣で受けるが、触手が絡みつき嫌な音を立てる。ミシミシ、ミシミシ。筋力トレーニングの賜物か、膂力すらも及ばない。
すんでのところで剣を取り返すも、刀身が歪む。トオルはじりじりと後退させられていた。このまま押されに押されてしまえば、たちまちリングアウトで敗退となる。それは許されない。
二択が突きつけられる。
温存するか、
否応なく集中が高まってゆく。相手は疾く、重く、隙がない。応援は最高潮で、観覧席から身を乗り出して絶叫する人まで現れた。
考えるまでもない。
勝たねばならぬのだ。拮抗しているとはいえ、相手は自分よりも二年の歳月を多く鍛錬に費やしている。
大きく飛び、顔を覆った瞬間だった。
「いけぇ、ナッツー!」「いくでごんす!」
わぁぁ、っとトオルサイドからも歓声が沸き立った。瞬間、ぴたりと動きを止めてしまった。
それを逃す田中ではない。触手の穂先が激しく迫った。
『やべぇっ!』
焦るアークの声が、世界を緩やかにした。
トオルは、スウェーの要領で身体を逸らすと、同時に足と地面を反発させた。
アイススケートのように床をすべる。際で穂先を逃れると、腹筋を駆使しながら空間に縫い止められた田中へ、剣を振り返りざまに振った。
ごきごき、と鈍い音がして腕が曲がる。田中は痛みに喘いで、棒を取り落とす音がした。
彼は、どこか理解を拒絶するように目を大きく見開いている。追い詰めたと思った瞬間、あり得ない体勢から背後に回っていたのだ。
トオルは情け容赦なく太刀を振るった。
ごうっと、おおよそ大きい骨を砕いた音がなる。
相手の痛みが、嘆きが、痛いほどに伝わってくる。流れ出る冷や汗と、心臓の鼓動が焦りを伝えてきた。
紙一重の勝利だ。
だが、トオルにあったのは今までと違う充足感だった。
『やるじゃねえか。狙ってたのか?』
「ああ、いやえっと。今の、アークがやったんじゃないの?」
『はぁ? お前が代わらなかったんだろうが』
と言うことはまさか、今のは自分が最後の最後までやったのだろうか。
まじまじとその両手を見つめる。
信じられなかった。
さもありなん。彼は、
『ほら、手振ってやれよ』
観覧席からは、予選で倒した右近や権左たちが、せっせと狂喜乱舞していた。
うむ、と審判員が勝利を告げてくる。トオルは恥ずかしげに右手を掲げた。
笑みがこぼれる。それがなんなのか、控え室に戻ってもわからなかった。
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