5-2:
一方、トオルの奮戦を他所に他会場でも試合は行われていた。
Gブロック第二回戦は、城西大附属高校一年E組の柴田と武蔵野ユースの高城円との対戦であった。
周知のとおり、ずば抜けた力量を誇る柴田は、学校からも大いに期待された折り紙付きの実力者だ。一年生でありながら、二日目の予選トーナメントからの出場である。
対する高城は、まったくの無名で予選バトルロワイヤル一回戦から勝ち上がってきた、暗器使いであった。
実に不気味な存在だ。というのも、通常ユース選手というのは極めて高いランキングを誇る。つまり、柴田のように予選が免除されるのだ。これは考えうるかぎりもっとも最悪なパターンだった。相手はおそらく、怪我か何かで順位を落としていたのだ。実質的に相当な格上である。救いがあるのなら、基本一対一では不利とされる暗器をメインとしていることだろうか。
(今大会はくじ運に恵まれたと思ったが)
柴田は内心で舌打ちした。観覧席からは、クラスメイトたちの応援がこだましている。もはや、勝ち残っている一年E組の生徒は柴田を含め三人しかいない。両親や教師陣からも熱視線を浴びていた。
細身の少女がぺこりと無感情にお辞儀をした。
表情が読み取れない。柴田はいつものように無骨な表情のまま目をつむり、大槍を手にした。
じゃん、と銅鑼が鳴らされる。柴田は瞼を開けると、構えをとった。
――穴はなし、か。
そこに居ないかのような存在の希薄さ。少女はピタリと停止したまま、鳶色の眼だけを動かしている。闘気はまるで感じない。
飛び込むか否か、一瞬判断に迷った。
瞬間、極めて自然な仕草でクナイが二つ、大口の袖から飛び出した。
反応できたのは半分奇跡だった。背中を押す応援が片時も集中を切らさなかった。
だが、それが限界でもあった。視線を戻したときには、少女の姿は影も形もない。
刹那の思考停止が、脳に敗北という文字を刻んでいった。
ひゅっと風切り音がしたと思うと、柴田は大きな衝撃を感じた。地面が迫り上がってくる。いや違う、自分が膝を折ったのだ。小太刀が眼前を走る。抵抗もできず、徐に一撃を受けるしかなかった。
「思ったよりも、反応が悪いな」
位違い。それをまざまざと見せつけられた。一般に
柴田は二万五千をやや超えたところ。高校一年生としては、際立った実績であろう。が、少女は桁が違う。技術だけではない。一見して隙が見出せなかったほどに、尋常ではないレベルで完成されているのだ。
気付いた時には、柴田はアリーナの空をみあげていた。応援席も、あまりの虐殺劇に静まり返っている。
少女が追撃する気配はない。すでに見切られたのだ。MMAには、圧倒的な差がある場合、相手の技を一度受け切ってから勝敗をつけるという文化がある。卓球で例えるなら、ラブゲームにしないよう一点与えるようなものだろうか。敗者にも敬意を、という理念だ。
のろのろ立ち上がり、得物を取ろうと少女は微動だにしない。
構えを取ると、ようやく瞳に光が宿る程度であった。
――つくづく、この世界は化け物ばかりだ。
柴田は、近在一の強豪と称される城附の一年生において、随一の実力をもつ。三つの頃にはすでに門を叩き、才覚優れる兄と競い合いながら、十数年と鍛錬を重ねてきた。
厳冬の寒空に身を浸しては血豆を潰し、灼熱の夏の日には大地を駆けた。多感な時期を、すべて武に捧げた。
だというのに、彼我の差は絶望的なまでに開いている。
彼女とて、決して日本一というわけではない。五千の大台にさえ届かぬだろう。
ましてや、百傑に数えられる城附のエース長尾景雪には到底かなうまい。
そしてそのさらに頂き、時代のナンバーワン朝来野晶がそびえ立っている。
登れども、登れども、上は見えてこない。
ともすれば、ポッと出の夏目などにさえ足をすくわれるのに。
「来ないのか?」
ひゅん、と。影が走ったような速度で少女が距離を詰めてきた。
負けてなるものか。
柴田は激しく咆哮すると、背中から思念を放出させて飛翔した。
散った燐光が翼を思わせる。大車輪から、その穂先を振るった。
渾身の一撃。
決まったと、確信した。
しかし、勝負とは誠に無情だった。
少女がすすっと、まるで電柱でも躱すように動くと、頬を小さく歪めた。
消える。視界から消失した。
理解ができない。眼球を無茶苦茶に動かした。
次の瞬間、柴田の胸を焼くような感覚が襲った。
胸元に潜り込む小さな影。黒く尖った苦無が、柴田の胸部をつまらなそうに穿っている。ごふっ、と肺の空気を残らず吐き出す。
続けざま、小さな衝撃で視界がぼやけた。なんのことはない、柄頭で顎を叩かれたのだ。
何もできないまま前傾する。最後の記憶は、土の苦い味を感じるところだった。
§ § §
「スゴいスゴい! なおみ、ホントどきどきが止まらないっていうか」
「ナッツー、お前マジで強くなったな」
「兄貴以上でごんす、っていでっ!」
「こらこらお前ら、夏目の邪魔をするなよ」
トオルは興奮したクラスメイトに囲まれながら、担任の先生に予選トーナメント三回戦の結果を報告していた。
すでに一年E組はトオル以外が敗退し、駒を進めるごとに応援の数は増える一方だ。さっきから、通りすがりの先輩にエールを送られるぐらいだった。
最初は支援のしの字も見せなかったアナリストたちが、タブレット片手に次戦の対戦相手を解説している。応援団にチアリーダーも、チャントを間断なく歌い上げていた。
「体調は万全か?
「……その、それじゃ水を」
「おい! 誰かスポーツドリンクを買ってきてくれ!」
バタバタバタと、クラスメイトが駆け出してゆく。しばらくして、冷えたペットボトルを手渡された。
それを受け取って、トオルはそそくさと化粧室へと逃げ込んだ。なんとなく、居た堪れないのだ。勝利を望む集団にあって、自分だけが別のことを考えている。それが、いつ何時も歯の間に挟まって言葉を詰まらせた。
「後、三戦……」
何度も執拗に顔を洗う。洗面台に設られた鏡が、トオルの後ろに白銀の鎧を映していた。
『ここまでの出来は完璧だった、とは言わねえぜ。さっきのはだいぶ格落ちだったからな。油断すんじゃねえぞ』
「わかってる。僕の力じゃない」
先刻行われた予選トーナメント二、三回戦はかなり際どかったが、アークなしで勝利を飾っていた。
二回戦は、勝ち上がってきた段階でほぼ満身創痍といった状態で、三回戦はトオルの予選を知ってかどこかおよび腰だった。
そもそもとして、一回戦のシードがかなりの鬼門だった。そこを突破した以上、以降が多少楽になるのは当然だった。
『そういう意味じゃねえんだがな』
「何か言った?」
『いや。それより早く戻ろうぜ』
ペーパータオルで手を拭っていると、個室トイレのドアがギイと音を立てた。
中から、目元を腫らした巨漢が姿をみせる。
同じ一年E組の生徒、柴田家久だ。彼はしばし気まずそうに立ちすくむと、尻ポケットからハンカチを出し、丹念に指の間までを洗い始めた。
「なあ。まだ、勝ち残ってるのか」
「え、あ、うん」
「そう、か」
それっきり、沈黙が降りた。水の流れる音だけが響いていた。
「お前も、努力していたんだな」
どこか自分に言い聞かせるような響きを持って、柴田がつぶやく。
両手を付き、力なく洗面台に寄りかかるその背中は、どこかいつもより小さく見えた。
「次の対戦相手は?」
「……まだ、決まってないみたい。進行、遅れてるみたいで。一応、開始は三時半になってるけど」
「今は三時前か」
柴田は、腕時計を確認しながら言った。
「スポーツドクターは何と言っていた? エンジニアには見てもらったか?」
「え、いやその、そんな知り合い居ないし」
「待機時間は有効活用しろと――!」
カッと牙を剥いて睨みつけてきた柴田が、帯刀していたデバイスに眼をとめた。無言で引き抜くと、堪らぬと言った様子で顔を顰める。
「お前これ、“打刀改”か? 岩城重工社製の」
「えっと、そうだけど。よくわかるね、使ってた?」
「……小学生のときに買ってもらった初心者用だ」
何かを堪えるように、柴田はプルプルと怒りを滲ませた。
第二世代型である「打刀改」は、極めて汎用性に優れ、安価かつ高性能を保証するデバイスだ。が、さすがに十年以上前のものということで、型落ち感が否めない。三回戦の控え室でも、奇異の目を向ける者が居たぐらいだった。
「メインはどれだ? 補助機構は?」
「それだけ、だけど」
「馬鹿にするのもっ――いやいい。それよりも、整備にはいつ出した。思念の通りが悪いぞ。いや、それ以前にお前、鍔元にヒビが入ってないか」
『そいつはたしか触手野郎のせいで』
「整備? 大会チェックのときに、やってくれるんじゃないの?」
「い、いい加減にしろっ!」
柴田は激昂すると、トオルの胸ぐらを掴み上げた。
「こんなデバイスでどうやって勝つつもりだ! カスタムは、チューニングはやったのか!」
「い、痛いよ柴田くん」
「いいか、お前は学校の代表なんだぞ! 整備不良で敗退になどなってみろ。学校の良い面汚しだ!」
「あ、ご、ごめんなさい」
「くそ、なんでこんなやつに俺は……!」
柴田は怒りを通り越し、もはや色彩豊かな表情の変化を見せると、むんずとトオルの腕を掴んで観覧席に引きずっていった。
各校のジャージをかき分けながら、柴田が自身の席のアタッシュケースを取り出す。どこか異様な雰囲気に、クラスメイトたちも遠巻きにしていると、目の前で柄と刀身が組み合わされた。
「俺の副装だ。名を”青江”。大会チェックは通してある。時間がないんだ。早く慣らせ」
そういうと、柴田は無造作に黒塗りの鞘ごとデバイスを手渡してきた。地金に漆黒の掛巻と、純白の柄頭が光っている。慣れたように柴田が鯉口を切ると、ハバキ下の向こうに綺麗な刃文が広がっていた。
「設定を準備しろ。チューニングするぞ」
「え、え、えっ!」
「エンジニアは俺が紹介してやる。気難しい変人だが、次の試合に間に合わせられるのは、彼女だけだ。いいか、お前は黙って頷くだけでいい。余計なことを言って機嫌を損ねるのがオチだからな」
「で、でも、こんなことしてもらう義理は……」
柴田はひくひくとこめかみに青筋を浮かべると、吐き捨てるようにして言った。
「いいか、勘違いするなよ。これは、断じてお前のためではない。学校の恥を晒さないためだ。わかったな!」
そういうと、またしても柴田はむんずと腕を掴み、ずかずかと競技場の外まで引っ張っていった。
関係者用通路を抜けて、駐車場まで降りる。そこには各校のトラックが並び、設営されている幔幕の下にはターミナルが並んでいた。
選手とは毛色の違う生徒が、忙しなく機材の間を奔走している。その中に、オレンジで「城西大附属高校」と書かれたジャンパーを羽織る集団を見かけた。
柴田は、勝手知ったるとばかりに二年のトラックへ上がり込むと、黙々と作業していた男に声をかけた。
「あの人は?」
彼は一度も視線をくれることなく、奥を指差した。
促されるまま、腰をかがめつつ奥へと進む。
柴田に釣られ足をとめる。そこには、機材の小さな隙間に身体を入れ、優雅に電子煙草を更かす女の姿があった。
色素の薄いセミロングの髪が、鎖骨を隠している。
ほとんど陽を浴びていない雪めいた肌に、細くたおやかな細い顎、ルージュの口紅が艶やめいている。白銀の丸眼鏡が外光を乱反射していた。
なにより印象的なのは黒一色のシャツにスカート、ニーソの上から羽織る、どこまでも無機質な白衣だった。
膝の上に乗せられた端末には、怪文書のように難解な内容が表示されている。それを、まるで漫画のように読み飛ばしていた手が止まった。
「お久しぶりです。雲林院先輩」
まるで感情を感じさせない三白眼がトオルを射抜く。
当校始まって以来の天才と評される才媛。二年壱組、
彼女は、物珍しいものを見たと瞳を瞬かせると、ニヒルに口角を吊り上げた。
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