3-7:

 全力ダッシュで事務所に向かったトオルは、こめかみに極太の青筋を浮き立たせた社長に平謝りしていた。

 社長の顔は真っ赤で、もはやキレ芸人さながらの罵声に戦々恐々としながら自己弁護に励むしかなかった。

 いつもは同情的な胡散臭いマネージャーも、今日ここにかぎって頼りにならない。すさまじい弁論術(物理)で頭を地面に擦り付けながら、なんとか口を聞いてもらえる状況にまでこぎつけた。


「ほー、と言うことは何か、お前はそのエルとかいう野郎の代わりに、試合のマネジメントをしてやっていたつーわけか」

「は、はい。彼はその、見るのもおぞましい下品な顔をしていまして」


 トオルの言い訳は実に単純だ。やんなき事情から表舞台に顔を出せぬエルという同郷の武人を、伝手を使って裏闘技場へと推薦した、というストーリーだ。

 頼れる人が自分しかいない。というお涙頂戴話には誰も反応しなかったが、違法試合に入れ込んでいたわけではないとわかり、こっぴどく叱られるだけで終わった。

 なお、罪を擦りつけられたアークは、暴行殺人および放火で刑期三十年を食らったような極悪人面でトオルを睨んでいた。


「なるほどな。ま、絞るのはこの辺でやめてやるか」

「係長ー、もうだいぶグロッキーです」

「うるせぇ、社長と呼べ社長と」


 免罪を勝ち得て、トオルはそっと胸を撫でおろす。とはいえ、勝算がないでもなかった。事務所の主な商品である売れない俳優やアイドルは、基本ファンありきで成立している。つまり人気商売だ。

 しかし、MMAという競技は興行でありながら、代理戦争という側面も持つため、半ば強いものこそが正義という半ば中世の時代の思想が許諾される世界だった。

 前述した国際間の裁定はもちろん、企業においては契約選手の活躍如何で、優遇措置がとられることも多い。品行方正さよりも、勝利の重みがまさる。世間は選手のスキャンダルにかなり寛容――勝っている間だけ――なのだ。

 よしの合図が出たので、正座を崩して立ち上がる。活気を取り戻した事務所で、社長は椅子に深くもたれながら難しい顔をした。


「それにしても最強を名乗る謎の男か。うーむ」

「係長ー、今度のライブツアーについて相談があるんすけど」

「うるせぇ、ちょっと黙ってろ」


 社長がこうして考え込むとき、大抵何かしらの企画を思いついたときだ。

 しかも、知るかぎりロクな目に合わない。嫌な予感がして、トオルは本能的に後退っていた。


「あのぉ社長。自分はもう構わないでしょうか? 家族を待たせているんですけど」

「なあおい、このELエルってのは非ナンバーズなんだよな」

「あ、はい」


 口の中で何かを繰り返したかと思うと、社長は矢継ぎ早にエルの素性を問いただしてきた。経歴、性格、犯罪歴に選手としての能力、果ては趣味嗜好まで。いまさら自分のことだと打ち明けることもできず、トオルはあれよあれよと架空の人生エルを捏造していた。

 結果、世界中へ武者修行の旅に出て、闘争心を充足させる相手を探している武人が誕生した。掲げる称号は「最強」の二文字だ。名家のご落胤らしいがトオルにも正体がわからない。そんなところまで武装を施しておいた。


「“非ナンバーズの星“って名打ちゃ盛り上がるか? 賞金の中抜きと広報だけに留めときゃ会社への損害は最小限で済む。向こうが真っ当に職を得られないぶん、契約面でも有利に進められるか。いや、だが」

「あ、あのぉ、社長?」

「専門家に意見を聞いてみるべきか。だが、もたもたしていたら警察沙汰になる可能性も。

 ……なあ。お前から見て、このエルってのは強いか」


 自問自答を繰り返していた社長は、机に落としていた視線をあげた。


「は、はい。すごく強いです」

『お前もわかってるじゃねえか。おら、もっと言ってやれ』

「だがよ、所詮はカスども相手にお山の大将気取ってるだけだろ。プロリーガー相手じゃ手も足もでないじゃないか?」

「それは……」

『あぁん? 今ここでぶちのめしてやろうか』

「俺は競技に関しちゃ素人だ。そいつは認める。だが、最強を称する以上簡単に負けちゃ白けちまう。現実問題誰にも負けないなんざあり得ないが、体裁さえ取り繕えないんじゃ話にならん。そうだろ?」


 憤慨するアークを置いて、一人胸の中の自分にたずねてみた。

 河川敷で遭遇して以来、大浜オープンからはじまり幾度もその勇姿を間近でみた。有望株を一蹴し、組の事務所へ殴り込み、闇闘技場の覇者を一刀で屠る。その一番の観客でありファンはトオルだ。日頃雑な態度を取ろうと、その正体の確らしさに疑いはあれど、彼にとってアークは救世主であり、光をもたらしてくれた勇者だ。

 無論、地方大会で右往左往する有象無象の選手に太鼓判を押されたところで、なんら信憑性はないだろう。

 けれど、トオルはアークを信じることに何の疑いも持たなかった。


「エルは誰にも負けません。たとえ、あの十六夜選手にだって」


 すっと自然に出た言葉は、アークや社長を一瞬黙り込ませた。

 ふん、と両者が鼻を鳴らす。僅かに頬を赤らめたアークに可愛いところもあるなとふと思った。

 すると、ふんぞり返っていた社長は、


「決まりだ」


 と部下数人を呼びつけ、唾を飛ばしながら機材や衣装の注文をはじめた。理解ができず、声が裏返る。

 どこ吹く風と社員がラップトップを取り出し、契約書の作成が始まってしまった。


「お前、背格好が似てるよな。宣材写真はお前が出ろ」

「え、え、は、社長?」

「そのエルってのにはお前が話通しとけ。マネジメントやってんなら余裕だろ?

 おい、沢村。たしか今ちょうど衣装屋の連中が来てたよな」


 いきなり慌ただしくなり、トオルは蚊帳の外へ追いやられた。隙を見計らって声を掛けようも、邪魔だと追い払われるだけ。望み通り正体を隠し、正道へと導いているんだ。感謝されこそすれ非難される謂れはないと言い張られ、ついにはエルと契約できなければ規律違反で契約解除するぞと脅される始末だった。

 電話で聞いてこいと尻を叩かれ、化粧室で説得しているフリをしていると、今度は一つ上のスタジオで撮影に連れ出された。

 仮装用のパーティグッズではない、本格的な白仮面を纏って指示されるままポージングをする。疲労困憊で事務所に戻ったときには、もう取り返しがつかない状況になっていた。


「選手登録はできないが、協賛の大会ならコネで潜り込ませられる。それに非ナンバーズなら労基に縛られることもない。いいぜ、カネの匂いがぷんぷんしてきやがった」


 社長が満足そうにほくそ笑む。会社のホームページには、トオルの横に仮面姿のエルが表示されるようになっていた。


『カカカ、なんか大ごとになってきたな』

「や、やばいよ、アーク」

『まあ固いこと言うなよ。楽しもうぜ』


 どこか愉快気なアークに終始、冷や汗が止まらなかった。

 非ナンバーズでありながら、各地の闘技場を荒らし回ったELエル

 そんなキャッチフレーズが踊り、大体的な広報計画が練られ始めている。一時間もすれば、一ヶ月後の初戦スケジュールまで決められていた。


 トオルの顔色は、蒼白を通り越して土器色にまで変化していた。いつもの貼り付けた笑顔も引き攣っている。

 すると、オフィスデスクで作業していた胡散臭げなマネージャーがいきなりガタリと音を立てて立ち上がった。

 彼はどこか興奮したような口調で、目を大きく見開きながら叫んだ。


「しゃ、社長! あの朝来野が、決闘を申し込んできました!」



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