最終話 とある伯爵の、決意2

 ジョシュアはコルソン侯爵家で、侯爵の孫と共に教育を受けさせてもらった。

 紳士として、領主として知るべき多くのことを教わった。


 だけどそれだけでは、もしかしたら姉達のように歪んだ心の持ち主になっていたかもしれないと、彼は思うのだ。


 人は、満たされない部分があれば何か別の手段でそれを埋めようとする。



 ジョシュアの、その満たされなかった部分を埋めに現れるのは毎回、リディアだった。



 彼女はよく、侯爵邸を訪れた。

 それは必ずしもジョシュアに会うためではなく、前侯爵夫人に呼ばれてのことだったようだ。


 リディアは、前侯爵夫人を「お祖母様」と呼び、侯爵のことは「伯父様」と呼ぶ。

 前侯爵夫人がリディアを実の孫のように溺愛していることは、侯爵家では当然のように受け入れられていた。

 夫の死後、領地で引きこもっていた前侯爵夫人が王都へやってきたのはリディアに会うためであるというのは、コルソン侯爵家では皆が知っていること。

 だけれどそれは、外部に漏らしてはいけない、守るべき秘密でもあった。


 ジョシュアがそれを知っていたのは、友と呼べる存在となりつつあった、侯爵の孫から聞いたからだ。


「お前は知っておくべきだろう? それに、なんとなくだけど気付いてるんだろ、ジョシュアは」


 ジョシュアはそれを、肯定も否定もしなかった。



 表向き、リディアは帽子屋として、侯爵家からの依頼で訪れていた。

 だから店主が共に来ることもあったし、荷物を運ぶための男手を連れて来ることもあった。

 その男手は彼女の夫で、かつてはジョシュアの姉の婚約者だった人とも、コルソン侯爵邸で初めて会った。


 彼女が来ると知らされた日は、なんとなく落ち着かなくて。ジョシュアはよく、玄関ホールで彼女を待った。

 リディアはジョシュアを見つけると、いつでも嬉しそうに笑ってくれたから。


「ジョシュア様、こんにちは。いかがお過ごしですか?」


 侯爵はたまに、ジョシュアがリディアと過ごすための時間を作ってくれた。

 彼女はジョシュアの話を聞きたがり、困っていることはないかと心配しているようだった。


「なんだか、リディアさんが僕の母さまみたいですね」


 母は、たまに手紙をくれたが、「未来の伯爵としてしっかり学ぶように」とそればかり。

 王都に会いに来てくれることはなかったし、里帰りする時間があるのなら、より多くを学べと言う人だった。


 思えば、領地にいる時にも、母に抱き締められたことはあっただろうかとジョシュアは考える。

 侯爵家の人々や王都で出会った友人達を見ていると、己の家族には冷たい印象を受けることに、気付き始めていた頃だった。


「……ジョシュア様は、我慢強いのですね」


 ふわり香った花の匂い。

 次いで包まれた、柔らかな温もり。


 隣に移動したリディアが、ジョシュアの体をそっと抱き寄せた。

 本来なら、ただの帽子屋の女性が貴族の子息にするべきではない行動だ。だけどジョシュアは、自然とそれを受け入れていた。


 だって、この頃にはジョシュアは、わかっていたから。


 彼女が誰なのか。

 彼女が、己の何なのか。

 何故、コルソン侯爵が自分達を助けてくれたのか。


 知識を身につける内に、気付いてしまっていたから。


「僕にはもう一人、腹違いの姉がいたそうです。僕が一つの時に亡くなってしまったらしいのですが……姉さんは……どうして、死んでしまったのでしょう?」


 息を飲む気配がした。


「……つらいですか?」


 短い問いだった。


 だけどその言葉と声音には、全てが詰まっているように感じた。


 爵位を継ぐはずだった姉。

 彼女が生きていれば、ジョシュアが背負うものはもっと、軽かった。


「いいえ。ただ、お会いしたかったのです。……父にも。――会いたかったです」


 何も言わず、リディアはただ、ジョシュアを抱き締めた。

 ジョシュアもまた、それ以上の言葉を紡がず、細い背中に両手を回す。


 後頭部を何度も撫でる優しい手を、謝罪の想いが込められた彼女の手を、ジョシュアは静かに、受け入れた。




   ※




 一人の青年が、墓前に佇んでいた。


 彼は徐ろに地面へ腰を下ろし、上品な見た目に反して男らしい動作であぐらをかき、睨むようにして墓石を見つめる。


「父さん」


 大人の仲間入りをしたばかりの青年の声が、そこで眠る人を呼んだ。


「はっきり言って、僕は貴方を恨んでいます」


 周囲には誰もおらず、墓前には青年一人だけ。

 墓石の前には花束と、手作りらしき菓子の包みが置かれている。


「イグナスさんから、聞きました。生前の父さんの話を。彼女からもたくさん、話してもらいました。だから、貴方がどんな人か、何が好きかも知っています。お会いしたことはないですが、僕は、貴方を知りました」


 彼の言葉を聞いているのは、そこで眠る、一組の夫婦のみ。


「知ったからこそ、思うのです。貴方さえしっかりしてくれていれば、皆が苦しむことはなかっただろうと。母さんも、姉さん達も……リディアさんだって、イグナスさんだって、貴方のせいで苦しんだ。全ては貴方が起こした悲劇だと、僕は思う。お二人は貴方を恨んでいないと言っていたけれど、僕は、僕だけは、優しい彼らの代わりに貴方を恨みます」


 強い意志を宿した薄青の瞳。

 オレンジがかった金髪が、静かな風で、揺れていた。


「親の不始末の責任を子が負うのは理不尽だと、今でも思います。だけど誰かが負わねばならぬのなら、残りは全て、僕が請け負いましょう。……多くのものを与えてもらいました。たくさんの武器を、授けていただきました」


 それは、知識と、人脈。


「貴方がたの娘は愛する人と結ばれて、幸せそうに笑っています。その焼き菓子は彼女から。『愛している』と、伝言です」


 深く大きな深呼吸と共に、青年が立ち上がる。

 すっきりとした表情で、彼は笑った。


「見守っていただく必要はありません。母は僕が守ります。彼女には、イグナスさんがいます。貴方は、貴方の好きなようにしてください。――それでは」


 くるりと踵を返し、青年は大きく一歩を踏み出した。

 振り返ることなく、進んでいく。

 アリソン伯の爵位を受け継いだばかりの青年は、背筋をぴんと伸ばし、前を向いていた。

 彼が進む先には、古ぼけた屋敷が佇んでいる。それは歴代のアリソン伯爵とその家族を見守ってきた建物で、一族の思いが、詰まった場所。


 その後、アリソン伯爵領は順調に盛り返し、次世代には負債ではなく、多くの資産が引き継がれることとなった。


 当時のアリソン伯爵には、国の中枢に多くの友人がいたという有名な事実がある。

 その橋渡しとなったコルソン侯爵ルビシャ・マンデルが、何故、彼に目を掛けるようになったのかに社交界の人々は関心を寄せたのだが、その大きな謎は、ついぞ解き明かされることはなかったという。




おしまい

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