欲したもの1

 初めの頃は、それが悪いことであるという自覚はあったように思う。

 だけど段々と麻痺していき、手紙はどんどん貯まっていった。


 伯爵が亡くなるまでは、こっそり盗んだ。


 亡くなってからは、使用人に命じて自分達のもとへ持って来させた。



 きっかけは何だったのだろうと、考える。



 生まれ育った家では、姉とともに息を殺して過ごしていた。

 そうしないと、母が怒られるからだ。

 祖母を見て、男児を産み家の主導権を握るということは、他人を虐げてもいい免罪符なのだろうと子供心に思った覚えがある。


 母の再婚でアリソン伯爵家へと迎え入れられた時には、こんなに幸せな家庭があるものなのかと驚愕した。

 伯爵は娘を溺愛していたし、娘のほうも、愛されるのは当然であると感じていることが全身からにじみ出ていた。


「わたくし、ずっと兄弟が欲しかったの! お姉様とお呼びしてもいいかしら?」


 アリソン伯爵の一人娘であるジェレーナは、綺麗だった。

 見た目だけではなく、心も綺麗だった。


 無邪気で純粋な笑顔。

 優しい使用人達。

 抱き締めてくれる、父親。


 彼女が生まれながらに手にしていたものは、自分と姉には、与えられなかったもの。


「わたくしの妹は、ジュエル一人だけよ」


 姉が冷たく応えた時、仄暗い喜びで、満たされた。



 伯爵家で暮らすようになってすぐ、ジェレーナが楽しみにしている手紙があることに気が付いた。


「あの子の婚約者からの手紙ですって」


 そう告げた、姉の手に握られていた一通の手紙。


「相手からの手紙だけだと、すぐに気付かれてしまうんじゃないかしら」

「そうね。すれ違って婚約破棄にでもなれば、いい気味だわ」

「子爵家の三男で、騎士見習いなのでしょう? 伯爵家には相応しくない相手なのだから、あの子のためにも、そのほうがいいのよ」


 あっという間に、盗むことは習慣となった。

 便りがないことにジェレーナががっかりする様を、陰から見て楽しむのが日課だった。


 それからしばらくして、手紙の送り主が訪ねてきたことがあった。


 手紙を盗んでいることに気付かれたのではないかと、姉と二人、緊張しながら挨拶をした相手。

 まだ大人になりかけの彼は、夢心地になるほどに、素敵な人だった。

 艷やかな黒髪に、宝石のような夜空色の瞳が印象的な少年。

 姉とともに挨拶をした時に向けられた社交辞令の笑みは、ジェレーナへと向けられる時には、甘くとろけた。

 当然のようにそれを受け止めるジェレーナを前にして、さらに、ジェレーナのことが嫌いになった。



 届いた手紙を、開いて読む。


 盗んだ物だとは自覚していた。

 流麗な文字でつづられた日常。「君が恋しい」という言葉。

 うっとりしながら、何度も読んだ。

 手紙が自分宛てであれば良かったのにと、夢想した。


 あれは、ある種の恋だったように思う。

 だが、ジェレーナの死後、三年ぶりに対面した彼の瞳は憎悪をたたえていて、ただただ、恐ろしかった。



   ※



「ジョシュア」


 アリソン伯爵と同じ名を与えられた、半分血のつながった弟。

 もうすぐ五つになる弟は幸運なことに、父親とよく似ていた。

 口さがない人々が母の不貞を疑っていたことがあるが、成長した弟を見て口を噤んだ時には、姉と二人、顔を合わせて笑ったものだ。


 色の濃い金髪に、薄青の瞳。

 母に似なかったことも、運が良かったのかもしれない。


「エル姉さま、どうされたのですか?」


 少し舌足らずな言葉で問うてきた弟を一瞥してから、ジュエルはすぐに視線をそらす。

 意味もなく遠くのほうを眺めながら、口を開いた。


「本当はね、貴方にはもう一人、姉がいたのよ」

「シィ姉さまのことですか?」

「ナンシーのことじゃないわ。ナンシーとわたくしとは、貴方は父親が違うの。もう一人の姉とは母親違い。……貴方、複雑な家に産まれてしまったわよね」


 この場に母がいたなら、幼い弟に言うべきことではないと怒ったかもしれないが、今は弟と自分の二人きり。

 何も知らず健やかに育っていく弟に何らかの影を落としてやりたいという、意地悪な気持ちもあったかもしれない。


「お母様がよく行く墓地。そこに、眠っているの」

「ぼち……?」


 首を傾げ、さらりと揺れる金髪。

 弟は、あの子とも似ていない。それも、姉と自分にとっては良い事だった。


「お墓のことよ」


 弟がわかりそうな言葉で言い直せば、幼い顔が、理解を示す。


「そこは、父上がいる場所と聞いています」

「……いつまでも両親と一緒に、子供のまま。結婚しなければならない脅迫と、男児を産まなければ人間扱いされない恐怖、どちらも無縁な場所に、あの子は逃げたのよ」


 再び弟はよくわからないと首を傾げたが、今度は何も言わなかった。

 ジュエルの表情を見て、悟ったのだ。まだまだ短い人生の経験則。何かを言えば、ジュエルの癇癪は、己に向けられる。


「どこで間違ったのかしら……?」


 ぽつりと落とされた、小さな声。


「あの子に意地悪なんてしなければ、みんなで幸せになれたの……?」


 幼い弟は、手元の本へと視線を落とす。


「僕には、わかりません」

「そうよね。貴方はいなかったのだから。ーー羨ましい」


 羨ましい。


 それは、愛されて当然の存在として生を受けた弟に向けたものか。

 それとも、死んでしまった義妹へ向かったかつての感情か。


 もうその人はいないのに、消えることのない劣等感。

 腹の中に渦巻くのは、罪悪感よりも憤りが強いように思う。


 ジュエルとの会話に興味を失い、手元の本を読み始めた弟を視界の隅に捉えつつ、深く重たいため息を一つ、吐き出した。

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