手に入れたのは、思いを晴らす機会3

 緑が美しい場所だった。


 侯爵夫人が好んだ花々で彩られた庭園。その中を、よく駆け回った。


 友人と、その妹と過ごす時間が好きだった。


 彼女は、己にとっても妹のような存在だった。


「誰も彼もが、わたくしと貴方を結婚させたいそうよ」


 捉えどころのない笑みを浮かべた彼女が告げたのは、いつの頃だったろうか。


「ガラッド様は、わたくしのことを愛しているけれど、そういう意味ではないでしょう?」


 自分もだと、彼女は告げた。


「俺は君を愛している。だがそれは、妹としてだ」

「わたくしも、貴方を二番目のお兄様として慕っているわ」


 彼女の想いが向かっている先を、知っていた。


 若くして伯爵位を継いだ青年で、彼は人脈づくりのために王都へ滞在し、不慣れな社交界の荒波に揉まれている最中だった。

 そんな彼を、彼女が手助けすることもあったようだ。


 一見頼りなさそうに見える青年のどこを気に入ったのかはわからない。

 わかっていたのは、二人が惹かれ合っていたということ。

 彼女の父である侯爵と友人が、それをよく思っていなかったという、紛れもない事実。


 彼女が選択した結果に手を貸したことを、間違いだったとは思わない。

 ただ、あの頃の親と同じ世代になった今、もっと上手い方法はなかったのだろうかと、時折考える。


 あの頃は、それが最良で唯一の選択肢だと感じられたが、果たして本当に、そうだったのだろうか。


 当時はそれしか選択できなかったとしても、その後の己の立ち回り次第では、違った現在があったのではないか。



 答えの出ないこれを後悔と呼ぶのなら、後悔とは、なんと苦々しいものなのだろう――。




   ※




 城内の一室で開かれた、私的なお茶会。

 日当たりのいいその部屋への入室が許されたのは、限られた人間だけ。

 王太子付きの侍従が淹れたお茶を前に、客である二人の女性は、それぞれ異なる反応を示した。

 黒髪の女性は、マナーなどに頓着する様子もなく手を伸ばし。

 金髪の女性は、優雅に微笑んだまま身動ぎしない。


「どうした、リディア?」


 ティーカップを見つめたまま固まってしまった女性に声を掛けた王太子は、己のティーカップを傾けながら不思議そうに尋ねた。


「えっと……ね、……マナーを、忘れてしまったなと思って……」


 歯切れの悪い返答をした彼女の表情を恥じらいと捉えたのだろう、王太子はからりと笑う。


「そんなことを気にする仲ではないだろう。好きに楽しむといい」


 王太子の背後に控えていたガラッドは、金髪の女性の顔が青褪めていることに気が付き、一つの可能性に思い至る。


 静かに王太子へ近付き、耳打ちで伝えた。


 それを聞いた王太子は顔を強張らせ、再び彼女の名を呼んだ。

 呼ばれた彼女は、急かされたと思ったのかもしれない。微かに震える手をティーカップへと伸ばした。


「――毒を盛られたことがあるのか?」


 ぴくりと反応して、のろのろと顔を上げる。


「……ごめんなさい。大丈夫だと思っていたの。頭でも、わかっているの。だけど……」


 声が震えて、喉が詰まった様子で言葉を止めた。

 隣にいた黒髪の女性が距離を詰め、幼子へするように、くしゃりと金の髪を撫でる。


「うちでは、平気で飲んで食べてるじゃない。酒場も平気よね?」


 黒髪の女性の言葉に顔を強張らせ、罪悪感を抱えたアメジストが、正面に座る王太子を捉えた。


「……貴族が……貴族の雰囲気が、だめ、かもしれないです」


 自分でも想定外のことだったようで、初めて自覚したというふうに、彼女は告げる。


「毒を盛られたのは、茶か? 菓子か?」


 王太子の表情が険しいのは、彼女を責めているからではない。彼は、過去の出来事に憤っているのだ。


「……初めは、お茶でした。香りで気が付き飲まなかったので、大丈夫です」


 お茶から始まり、茶菓子、食事とエスカレートしていったが、菓子と食事については一口含んだ時点で舌の痺れを感じて、すぐに吐き出し大事には至らなかった。


「そこまで強力な毒は、手に入れられなかったのだと思います」


 困った様子で、彼女は微笑む。

 微笑みながらも、膝の上の両手は震えている。

 彼女は己へ言い聞かせるように、大丈夫を繰り返した。


 無理をする必要はないという周囲の言葉には首を横に振り、過去の記憶に負けたくないのだと告げる。


「今、克服しないと。ウォルシュへ帰った時に、皆を心配させてしまうもの」

「……帰る、か」


 王太子がこぼした寂しげな呟きを広い、彼女は気丈に微笑んだ。


「ええ。ウォルシュは、私の故郷と言える場所ですから」


 話しながらも彼女の人差し指がティーカップの持ち手へ触れた、その時――


 扉が叩かれ、待ち人の訪れが告げられた。


「あら? 何か真剣なお話でもしてらしたの?」


 赤子を抱いた王太子妃が首を傾げたのは、室内の雰囲気が微かに暗く、沈んでいたからだろう。

 近衛騎士と侍女に囲まれた王太子妃の訪れで、固くなりかけた空気が弛緩する。


「リディア、何かあったのか?」


 近衛騎士の一人が、その場で立ち上がり優雅な淑女の礼で王太子妃へ挨拶をしていた金髪の女性へ、足早に近付いた。


 近衛騎士の右手が頬へ触れ、女性はほっと、表情を緩める。


「イグナスは、お仕事中でしょう?」

「今からは休憩だ。ナターシャ様に招かれた」

「そっかぁ……なら、いいかな」


 女性が一歩の距離を詰め、両手を近衛騎士の背中へ回す。

 白い制服の硬い生地へ額を押し付け、目を閉じた。


 彼女の耳の横で、制服に縫い付けられた装飾がシャラリと揺れる。


「具合が、悪いのか?」


 大きな手が後頭部に触れ、片腕が包むようにほっそりした体へ回されたことで、女性は体の力を抜いた。


「トラウマ、だったみたいで」

「うん」

「でも、大丈夫になりたいの」

「そうか」


 近衛騎士は、「君ならできる」とも「頑張れ」とも言わず、ただ静かに相槌を打つ。


「イグナス」


 女性が顔を上げながら名を呼び、近衛騎士は視線を受け止め、続く言葉を待っていた。


「――大好き」


 うれしそうに告げられた、その言葉。


「俺もだ。俺も、大好きだ。愛している」


 満足そうに女性が笑い、今度は力いっぱい、抱きついた。


「子供の頃とは違う反応だ。でも……うれしい」


 人目も憚らず甘い空気を垂れ流す二人の周囲では、十人十色の反応があった。


 赤子を抱いた王太子妃は、夫の横で楽しそうに微笑み。

 王太子と黒髪の女性は、呆れたというふうに苦笑を漏らす。

 侍従や侍女達は、常とは全く異なる表情と雰囲気を纏った近衛騎士の姿に驚愕し。

 近衛騎士の同僚たちは、仕事中の表情を保ったままで目元を緩めた。


 そんな中、ただ一人。


 ガラッドは過去の光景を思い描き、泣きたい気持ちで、奥歯を噛み締めていた。

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