手に入れたのは、思いを晴らす機会2

 軽やかな鈴の音と共に扉が開き、来店した客を笑顔で迎えるここは、商業区内のとある帽子屋。

 店内には様々な種類の帽子が陳列されていて、その中から欲しい物を選ぶことも、オーダーメイドを依頼することもできる。


 注文を受ける時に使用するカウンターには一人の男性がいて、ハイスツールへ腰掛け店主と熱心に話し込んでいた。

 主に扱うのは婦人用の帽子ではあるが、頼まれれば男性からの注文を受けることもある。


 新たな来店者の元へ向かったのは金髪の女性店員で、親しげな微笑みで客を迎えた。


「注文した商品を受け取りに来た」


 そう告げたのは、貴族らしき身なりの男性。連れの女性は奥方だろうか。仲睦まじく寄り添っている。

 柔らかな空気を纏う夫婦の背後には、屈強な護衛が二人。


「すぐにご用意いたします。奥で、お掛けになってお待ちください」


 先客を対応している店主に代わり、金髪の女性店員が夫婦を応接スペースへと誘った。

 店内の奥まった場所に作られたその場所は衝立で仕切られていて、ソファとテーブルが置かれている。

 大きな声を出せば他の客にも丸聞こえとなるが、小声で話す分には、他者には会話の内容は聞こえない配置になっていた。


「聞かれる前に言っておくが、イグナスは置いてきた」


 ソファへ腰掛けてすぐ、貴族の男性が告げる。

 それに応えるように、店員が苦笑を漏らした。


「お前らは、すぐにイチャつくからな」


 彼女は、ただ静かに微笑むだけで何も言わない。

 その理由に思い至った様子で、貴族の男性が同行者を紹介する。


「彼は近衛騎士団の団長だ。事情は全て承知している」


 白髪交じりの栗毛をオールバックにした体の大きな男性が、目礼で応じた。


「アヴァンはいつもどおり連れてきた。そのほうが、お前が安心すると思ってな。それで彼女は――」


 微笑みをたたえて己に寄り添っている女性を示し、どこか誇らしげな顔付きで、女性の肩を抱き寄せる。


「我が妻、ナターシャだ」

「お会いできて光栄ですわ、リディアさん。貴女と共にいるイグナスも見たかったのだけれど、まずはリディアさんとお話がしてみたくて。皆に無理を言って、連れて来てもらいました」


 店員が「お会いできて光栄です」と淑女の礼をとれば、奥方が立ち上がり、駆け寄った。


「どうか、わたくしの事はナターシャとお呼びになって?」


 突然両手を握られたことに驚きつつも、店員は微笑みで応じる。


「光栄です。ナターシャ様」

「できることなら、お茶を飲みながらゆっくりお話がしたいわ。お仕事が終わったら、我が家へいらっしゃらない? わたくし達の娘を紹介したいの」

「ええ。ぜひ」


 店員のアメジストの瞳が動き、奥方の背後でソファに腰掛けたままでいる男性を捉えた。


「ウィル兄様が『お父さん』をしている姿、とっても見たいです」


 男性が拗ねたような表情で顔を逸したのは、照れているからだ。その証拠に、耳がほんのりと赤い。

 照れた夫を愛でるために奥方がソファへと戻り、店員は、夫婦の背後に立つ一人の男へと視線を移した。


「ご無沙汰しております。ガラッド様」


 近衛騎士団の団長だというその男は、優しく目を細めながら、口を開く。


「覚えていただけていたとは……。貴女が幼い頃に会ったきりだというのに」

「それを言うなら、ウィル兄様も同じですわ。ガラッド様は常にウィル兄様と共にあったのですから。それに――」


 金色のまつ毛を伏せて、彼女は過去へ、想いを馳せる。


「もし私が男子だったなら、貴方に憧れ、騎士を志していたでしょう」


 それほどに印象的な時間でしたと、彼女は微笑んだ。



 注文の品を用意すると告げて店員が席を外すと、その場には沈黙が落ちた。


「本当にお人形さんのような……いえ、それ以上に美しい方だわ」


 妻の言葉を耳にして、男性が軽やかな笑い声を上げる。


「本性は全く以て人形らしくはないがな。人形姫などという呼び名は、一体誰が考えたのだか。なぁ、ガラッド」


 男性が振り向いた先。屈強な男の目が、微かに泳ぐ。


「まさか、お前……」

「いえ。きっかけとなった自覚はありますが、考え、広めたのは、別の人物です」


 それは誰だと問う無言の視線が集中し、団長は大きな左手で首筋を撫でながら、苦い笑みを浮かべた。


「……前コルソン侯爵婦人です」


 団長は、昔を懐かしむ表情で言葉を続ける。


「コルソン侯爵家とは家族ぐるみの付き合いだったので、ルビシャとアマンダとは幼い頃からの友人でした。その縁で婦人から頼まれ、何度かアリソン伯爵家へ様子を見に行ったことがあるのです」


 その報告を聞いた婦人が、社交界で友人たちに自慢したことがきっかけで広まったのが人形姫という呼び名なのだと、団長は告げた。


「ジェレーナ嬢が常に抱いていた人形が印象的で。アマンダによく似た姫君は精巧な人形よりも愛らしかったと、報告した覚えがあります」

「黙っていれば、だったがな」


 貴族の男性が応じ、周囲には柔らかな空気が満ちる。


 ふと気付いたように、男性の妻が小さな声をこぼした。


「彼女のことは、ご存じなのかしら?」


 誰がと言わずとも、皆が理解する。


 前コルソン侯爵は既に他界していて、爵位は息子であるルビシャが受け継いだ。

 前侯爵婦人は夫の死後、コルソン領内の別邸へ移り住み、余生を過ごしている。


「手紙に書けるような内容ではないですし、ルビシャは王都を離れられません。ですので、まだ知らされていないのではないかと」


 その後すぐに店員が戻り、接客を終えた店主も顔を出したことから、話題は移り変わった。



 様々な再会と初対面が果たされるのは、まだもう少し、先の未来。

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