子爵、襲来

 それは、来るべくして、やって来た。


 あのような内容の手紙を出せば、誰かは来るだろうと予想していた。


 長兄か次兄のどちらかが来るものだと考えていたのだが……まさか父が来るとは、想定外だった。

 それほどまでに、己は家族に心配を掛けていたのだと思い知る。


 リディアへプロポーズして、承諾の返事をもらった後ですぐ、実家へ手紙を出した。

 詳細を書く訳にはいかず、要点のみを伝える手紙を出してからしばらくして、仕事中のイグナスへ届けられたのは、父であるウォルシュ子爵来訪の報せだった。


 いやらしく笑った王太子から、すぐに会いに行けと背中を押し出されて向かった先。

 騎士団の応接室で、ジェレーナ・ローゼンフェルドの墓前で会って以来、数年ぶりに父親と顔を合わせたイグナスは、本当に己は愚かだなと痛感した。


「ご無沙汰しております。父上」


 父の顔を真っ直ぐ見続けることが困難になり、挨拶で頭を下げるふりをして、視線をそらす。


「イグナス」


 重々しく名を呼ばれ、顔を上げる。

 かち合った視線は心底息子を案じていて、どんな小さな変化も見逃さんとしているようだった。


「父上。長らく、ご心配をお掛けして……申し訳ありませんでした」

「手紙は読んだ。詳細を、聞きに来たのだ」

「……全てをお話します。ですが、俺からの話だけでは狂ったのだと思われるでしょうから、まずは、会わせたい人がいます」


 近衛騎士の制服は目立つ。着替えてから、馬車で向かった先。

 相手も仕事中だから、まずは自分が行ってくると説明して、父には馬車で待っていてもらった。


 聞き慣れた鈴の音と共に開けた扉の向こう。


 そこにいたのは、帽子屋の店主。


「あら、色男。リディアは今、お使いに出てるわよ」


 珍しい時間に来るわねと言われ、イグナスは事情を説明する。

 仕事後に彼女の時間をもらえないかと頼めば、店主は二つ返事で頷いた。


「差し迫った仕事もないし、あの子が戻ってすぐでも構わないわよ」

「ありがとうございます。貴女には、毎度ご迷惑をお掛けして……」

「あの子と会ってから、迷惑よりも利益のほうが大きいのよね〜」


 良い拾い物をしたと言って、店主は笑う。


「天涯孤独なのかと思っていたのに、蓋を開けば人脈の宝庫で驚いたわ。あの子自身、気付いていなかったみたいだけどね」

「自己評価が低いのは、父親のせいだと思います」


 彼女を大切に、大切に隠して……己のそばに留め置こうとしたのに、唐突にぷつりと、手を離した。


「余裕のない父親だったの?」

「奥方を亡くされてからは、そうだったように思います」

「まあ、わかるわよ。何かに縋りたくなる気持ち。縋らないと、生きていけない気持ち」

「俺は、そこから彼女を引き上げたかった」


 その目的を達成するためには、離れざるを得なかった。


「あんたもあの子と同じで、自己評価、低いわよね」


 過去へ思いを馳せ、後悔に苛まれそうになったイグナスを引き戻した声は、優しい笑みを含んでいた。


 だからだろうか。思わず本音が、こぼれ落ちる。


「……俺の周囲は、立派な人間ばかりですから。追いつきたいと、努力している途中です」


 家族にも職場にも、尊敬すべき人がたくさんいるのだ。


「自分にはこれしかできないという言葉は、まるで卑下しているようだけれど、強いですよね。それしかできないからこそ、曲がらない。突き詰められる」


 それは一種の才能だと、イグナスは考えている。

 イグナスには、それがない。

 どんなことでも、ある程度はできてしまう。

 選択肢が多いからこそ、回り道ばかりだ。


「俺は、どうやってもアヴァンに勝てないんです」


 これしかできないから。そう言いながら誰よりも己を鍛える姿を、間近で見てきた。


「次兄は子供の頃から石集めが好きで、好きなことを突き詰めた結果、学者になりました。長兄も、領民の生活をより良くするための勉強を欠かしません」


 兄達は昔からイグナスの目標で、憧れなのだ。


「自己評価が低い訳ではなく、事実として、俺はまだまだなんです」


 返ってきたのは、興味のなさそうな「ふーん」という相槌。


「一応言っておくけど、蓋を開けたのは、あんたよ」

「……蓋?」


 唐突過ぎて、一体何のことだろうかとイグナスは首を捻る。


「きっかけ、とでも言うべきかしら。あの子を繋ぎ止めていたのは、あんた。引き上げたのも、あんたよ。イグナス・グリーンシールズ」


 真剣味を帯びた声音と共に整えられた指先が突き付けられ、イグナスは面食らう。


「一人でも進んで行けるけれど、同じぐらい、自分だけじゃどうにもできないことってあるのよ。その、どうにもできない部分で、あの子の手を掴んだのが、あんたってこと」


 喉の奥で熱い何かが詰まり、言葉が出てこなくなった。


 似ている訳ではない。

 むしろ、全く似ていないはずなのに何故か、優しいその眼差しは、ジェレーナの母であるアマンダを彷彿とさせた。

 アマンダと話している時にもよく、似たような心持ちになったことを思い出す。


「――あれ? イグナス、どうしたの?」


 軽やかな鈴の音と共に、おつかいを終えて戻ったリディアが、イグナスの姿を認めて首を傾げた。


 振り向き、見つけた愛しい人。

 自然とイグナスの頬は緩む。


 そして気が付いた。


「帽子、やめたの?」


 夜以外、街へ出る時には必ず被る帽子を、彼女は被っていなかった。


「ううん。忘れただけ。ちょっと、気が緩んじゃってるよね」


 ほにゃりと笑う彼女があまりにも愛らしくて思わず手を伸ばし、同時に、勢い良く開かれた扉に危険を感じて、慌てて彼女を抱き寄せる。

 扉を壊す気かというグウィニスの叱責が、来訪者へと飛ばされた。


「これは、どういうことだ?」


 忘れていた訳ではないが、後回しにしていた。


 母親似のイグナスとはあまり似ていない父親から唯一受け継いだのは、瞳の色。

 イグナスと同じ夜空色の瞳が見開かれ、イグナスの腕の中で守られる女性を、凝視している。


「…………おじ様」


 桃色の唇からこぼれ落ちた言葉の効果は覿面で。

 ぼろりと、大粒の涙が父の目から溢れ出す。


「どういうことだ、イグナス。ジェレーナが、何故、ここに……」


 伸ばされた左手はリディアの頬を包み、右手が、イグナスの肩を掴んだ。


「ジェレーナと、イグナス。間違いない。ああ……なんということだっ、間違いない! 見間違えるはずがない!」


 泣き崩れた父親を受け止めて、間に挟まれたリディアが心配になって視線を向ければ、彼女も顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。

 営業妨害になるからと説得して、なんとか店の奥へと引きずり込んで、二人から手を離そうとしない父親に辟易する。


「父上、彼女が潰れます」


 男二人の間で潰されかけているリディアを何とか守ろうと苦戦していると、唐突に、父の力が緩んだ。


「こういうことは、事前に説明しろ!」


 つばを飛ばす勢いで怒鳴られ、イグナスは素直に謝罪を口にする。


「ですが、言葉だけでは信じなかったでしょう?」

「ついに狂ったのだと断定しただろうな!」

「それでは困るから、まずは会わせるべきだと判断したのです」

「ではやはり、本物なのだな? ジェレーナ、君なんだな?」


 父の両手がリディアの頬を包み、生きていることを確かめるように、親指が流れる涙を拭う。


「……はい。おじ様、ごめんなさい。私、生きています」

「何を謝る……何故、謝る。君に許しを請うのは、こちらのほうだ」


 しっかりと両手で抱き締められて、リディアは再び泣いた。

 父も、声を殺して涙を溢れさせる。


 とりあえず二人はそのままにして、勝手知ったるイグナスはタオルを出し、お茶を淹れ、話が出来る場をのんびり整えたのだった。



   ※



 説明を終えたところで涙も落ち着き、温くなったお茶で水分補給。

 室内には、鼻をすする音が満ちる。


「事情は把握した。だが、あの女に手を貸すかどうかは、考えさせてくれ」


 当然の答えだろうと、イグナスは頷いた。

 差し迫った問題ではないし、その件に関しては、コルソン侯爵の助力を得られることが決まっている。


「それで、二人とも。仕事の休みは、いつから、どれぐらい取れる?」


 ウォルシュへ手紙を送った時点で、相談はしていた。正式に結婚するためには、イグナスの家族へ諸々の事情を説明しにいく必要があるだろうと。

 手紙は、その先触れだったのだ。


「私は、すぐにでも。一月ぐらいゆっくりしても構わないと、店主からは言われています」

「俺は、先日まとめて休暇を消化したばかりですが慶事休暇が利用できるので、期間としては二週間ほどでしょうか」


 そうして、ウォルシュへの里帰りが決まった。

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