はじめまして2

 近くに停められていた馬車へ乗るよう促され、連れて行かれた先は、王城だった。

 伯父の家に連れて行かれるものだと考えていたリディアは、ほっと胸を撫で下ろす。

 城にはイグナスがいる。王太子もいる。

 彼女にとっては、どこよりも安全な場所に思えたからだ。


「まずは、貴女の警戒を解かなくてはならないね」


 執務室に併設された応接室へ通されて、お茶とお菓子の支度が整った所で、男が切り出した。


「僕は、ルビシャ・マンデル。貴女の母であるアマンダの、実兄だ」


 返す言葉が見つからず、リディアは口を閉ざす。

 母の葬式にも姿を見せなかった人が、今更、どんな目的で自分に接触してきたのかが全くわからない。


「……ああ。早いな」


 微かな笑みと共にこぼされた言葉の意味もわからない。

 わからないからこそ募る警戒心をどうすることもできず、リディアは視線をさまよわせた。


 同時に、応接室の扉が勢い良く開かれる。


「コルソン侯爵! どういうことだ!」


 振り向いた先、室内へ踏み入ったのは、王太子と数人の近衛騎士。


「――宰相閣下」


 リディアと視線がかち合った近衛騎士の一人が、低い声を吐き出した。


「私の愛しい女性が、何故、閣下と共にいるのでしょうか」


 近衛騎士――イグナスの声と姿に、そんな場合ではないというのにリディアの胸が高鳴った。

 仕事中の彼の姿を見るのは、初めてだ。


「とても素敵だわ、イグナス」


 張り詰めていた室内の空気が、リディアが漏らした本音のせいで弛緩する。


「仕事中は俺じゃないのね。そういえば、いつの間に、僕から俺に変わっていたのかしら?」

「…………リディア」

「なぁに? イグナス」

「何故、君はここにいるんだ?」

「それは、私もこれから聞くところだったのよ。そんなことより」

「そんなことでは、ないだろう」

「制服姿の貴方がこんなにも素敵だなんて……! どうしましょう。世の女性が放っておかないはずよ!」

「リディア」


 返事の代わりに、こてんと首を傾けた。


「俺は君だけだ。結婚しよう」

「喜んで!」


 迷わず、両手を広げて彼の腕の中へ飛び込もうとしたが――


「待て待て! 恋狂いども!」


 抱きしめ合おうとした恋人達の間に割って入り、王太子が叫ぶ。


「お前達は、時と場合を考えんか!」

「あら。これはアピールよ、ウィル兄様。どういう思惑があるのかはわからないけれど、私達を引き裂くことはできないわ。天国のお母様も、お許しにならないでしょうね」


 王太子の妨害をくぐり抜けてイグナスのもとへとたどり着いたリディアは、白い騎士服姿の逞しい胸へと飛び込んだ。

 ちらりと視線を向けた先にいた近衛騎士も、見知った顔だった。

 イグナスの友人でもあるアヴァンと視線がかち合うと、体格のいい近衛騎士は、呆れの表情をその顔へ浮かべる。


「かなり警戒されているということが、よくわかったよ」


 寸劇を演じて、安全な場所へ逃げおおせたリディアを瞳に映しながら、男は苦く笑う。


「貴女達は、随分と息が合っているのだね」


 それは、イグナスとリディアを指した言葉だった。

 咄嗟に相手が望む言動を察して、イグナスは、リディアに合わせて動いたのだ。


「貴女にとって世界一安全な場所が、そこなのかな?」


 迷うことなく、リディアは頷く。


「仰るとおりですわ、コルソン侯爵閣下」

「……伯父とは、呼んでもらえないのだね」

「それは、この後のお話し次第かと存じます」


 表情を変えることなくテーブルの上のお茶に手を伸ばした侯爵から視線を外し、リディアは、イグナスを見上げた。


「イグナスも、呼ばれたの?」

「いや」


 その先は、王太子が説明してくれた。


 リディアに付けられていた護衛から、コルソン侯爵の接触と二人が乗った馬車が王城へ入ったという報告を受けてすぐ、ここへ駆け付けたのだと。


「護衛なんて、気付かなかったわ」

「気付いて、まかれては困るからな」

「事前に教えてくれるのなら、そんなことはしないわ。……ウィル兄様って過保護なのね」

「妹を心配して何が悪い」


 状況説明が終わり、室内の視線が侯爵へと集まった。

 侯爵の向かいに腰を下ろした王太子が、リディアと接触した目的を問えば、侯爵は飄々とした様子で答える。


「そもそも、殿下の御身を隠す場所としてアリソン伯爵家を推薦したのは、僕ですよ」

「それは知っている」

「秘密裏に殿下がアリソン伯爵家を調べているようだと気付いてから、彼女にたどり着くのは簡単でした。詰めが甘いですよ、殿下」

「この……狸ジジイめ!」


 喉の奥で押し殺した声を上げた王太子からリディアへと視線を移し、侯爵は、目尻を下げた。


「貴女に提案があって、声を掛けたのだ」


 イグナスの腕の中に留まったまま、リディアは黙って、続く言葉を待つ。


「コルソン侯爵家の、養女にならないか?」

「お断りします」


 間髪を入れない返答に、侯爵が苦笑を漏らす。


「悩む素振りもなしとは、余程、嫌われているんだね」

「いえ。嫌うほど、閣下のことを存じておりません」

「アマンダからは、どのように聞いていたのかな?」

「お母様からは……お祖父様と閣下は、お父様との結婚をお許しにならなかったと」

「うん。そのとおりだ」

「母の葬儀にも顔を出さない薄情な親戚だと思っていたので、存在すら忘れていました」

「そうか……」


 長く細い息を吐き出して、侯爵は目を閉じた。


 イグナスの手が、知らずに握りしめていた拳を包んだことで、リディアは詰めていた息をそっと吐く。


「お母様は会いたがっていました。死の間際、許されたかったと仰っていました。もう、全てが終わった後で出てこられても……反応に、困ります」


 本当に、困惑しかないのだ。

 全ては今更で、そもそも助けも償いも、期待していない相手なのだから。


「何故、今なのですか?」


 母の死に際へ駆け付けてくれていたら。

 せめて、葬儀に来てくれれば。


 父が亡くなった時にこそ、その手が欲しかった。



「貴女が独りで、死んでしまったから」



 だから、後悔したのだと。



「生きていたことを知り、居ても立っても居られなくなった」


 皺の刻まれた両手が男の顔を覆い、くぐもった声が、許しを請う。


「すまなかった、ジェレーナ。許してくれ……アマンダ。貴女は僕の頼みを聞いて殿下を助けてくれたのに……僕は、貴女に何もしなかった」


 葬儀に行かなかったのは、合わせる顔がなかったからだ。

 許すと一言告げて、幸せそうで良かったと言えていたなら、何かは変わっていたのかもしれない。



「……これを、今更と切り捨てるか。今からと捉えるか」



 ぽつりと告げてから、リディアは、安全な場所から踏み出すことを選ぶ。

 リディアのひとり言が聞こえていたイグナスは、黙ってそれを見送ってくれた。


 顔を覆ったまま項垂れてしまった侯爵のそばで膝を折り、そっと肩に触れる。


「お母様なら、こう言うはずです。会いに来てくれて、ありがとう。会えて嬉しいです。伯父様」

「ジェレーナ……」

「私はリディア。帽子屋で働いています。――はじめまして」

「……はじめまして、お嬢さん。僕は、ルビシャ。この国の、宰相だ。貴女の力になりたい」


 リディアは静かに微笑み、初めて会った伯父を抱き締めた。


 躊躇いがちな抱擁が返されて涙が滲んだのは、亡くなった母を、想ったから。

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