はじめまして1
アリソン領にある伯爵邸の厨房で、よく似た母娘がお菓子作りをしている。
金糸の髪にアメジストの瞳を持つ母娘は、伯爵夫人と、その娘。
厨房で働く人間達は、慣れた様子で手伝いながら、親しげに母娘と言葉を交わしていた。
「イグナスは喜んでくれるかしら?」
「きっと、お喜びになりますよ。お嬢様」
「わたくしのこと、好きになってくれるかしら?」
「絶対に、間違いなく。わたくしどもが保証いたします」
少女のかわいらしい恋心は、伯爵家の皆が知っている。
そして、幼馴染みの少年が少女へ抱く想いもまた、周知の事実。
「大好きよって、伝えてごらんなさい?」
「でも、お母様。お父様が、貴族の令嬢が自分から好意を伝えるのは、はしたないことだと仰っていたわ」
「一般的にはそう言われているけれど、お母様は、伝えてもいいと思うの。それに、お父様のは、ただのヤキモチよ」
「お母様も、お父様に大好きよって伝えたから結婚したの?」
成型の終わった菓子が焼き上がるまでの間、厨房の片隅でお茶をしながら会話するのも、よくある光景だった。
そうねと母は微笑み、少女が両親の馴れ初めを聞きたがる。
記憶をたどるための間を開けてから、母は口を開いた。
「お父様とは、許されない恋だったの」
「誰に許されなかったの?」
「……あなたのお祖父様と、伯父上よ」
貴族女性の結婚は、母親が相手を見繕い、家長が許可しなければ認められない。
その手順を踏まずに二人は結婚したのだと、母は告げた。
アリソン伯爵領は国の端。伯爵位を持っているが政治に関わることもなく、王家の血筋を引く侯爵家としては、娘の結婚相手として不足と考えていたのだ。
「だけど、どうしても……大好きだったの」
「それで二人は、駆け落ちしたの?」
本好きの娘のませた発言に、母は楽しげに笑った。
「だけどそのせいで、あなたから祖父母を奪ってしまったのよね」
母の言うとおり、母方の親戚とは交流がない。父方の祖父母は既に他界していたから、母方もそうなのだろうと、少女は考えていた。
「わたくしは大丈夫よ、お母様。わたくしのお祖父様とお祖母様はウォルシュにいるもの」
だけどと、少女は言葉を続ける。
「お母様は、寂しいでしょう? もしイグナスとの結婚を反対されて、お父様とお母様に会えなくなってしまったら……わたくしは、絶対に寂しいもの」
そうねと微笑んだ母の顔は寂しげで、厨房を漂う甘い香りと共に、記憶に焼き付いた。
※
帽子屋の定休日。
手作りの焼き菓子を詰めた籠を腕に下げ、つば広の帽子を被ったリディアは王城へ向かって歩く。
見慣れた門が見えてきて、顔馴染みの門番を見つけると、歩く速度を上げて手を振った。
「パーシヴァル、こんにちは」
「お? リディアちゃんじゃないか! 久しぶりだね」
「ええ。随分とお世話になったのに、ご無沙汰してしまって……。今日は、お礼を伝えに来たの」
「お礼なんて気にしなくていいのに。イグナス卿と、無事に会えたんだろう?」
リディアは首肯し、笑顔を見せる。
「騎士様達にも、お礼を伝えたくて。お菓子を焼いて来たの。差し入れは許されるかしら?」
「君からなら、みんな喜ぶんじゃないかな。酒場のご令嬢は、やっぱりリディアちゃんだったんだね」
「酒場のご令嬢?」
首を傾げたリディアへ、パーシヴァルは苦笑で答えた。
「君は、目立つということさ」
言われたことで自分の服装を見下ろしてみたが、自分では、よくわからない。
「そんなに変な格好をしているかしら?」
「いいや。今日も変わらず綺麗だよ」
「そう? ありがとう」
改めてお礼を伝え、騎士達へもよろしく伝えてほしいと告げてから、踵を返す。
イグナスを呼ばなくていいのか問われたが、今はいつでも会えるからと返して家路についた。
帰り道で、食材を調達しようと市場へ足を向ける。
通りを強い風が吹き抜け、咄嗟のことに反応の遅れたリディアの帽子が、空へと舞った。
慌てて追い掛けた先。
舞い落ちた帽子を拾い上げたのは、壮年の男性。
一見して貴族だとわかる男の姿を目にして、リディアの動きが静止する。
「お嬢さん。これは、貴女の帽子かな?」
陽の光を受け、金色に輝く髪。
澄んだ色の、アメジストの瞳。
誰かと、よく似ていた。
それは――
記憶の中の、母の面影。
「……アマンダに、そっくりだね」
ああ。どうしようと、思考が混乱する。
男の台詞で、彼が誰なのかが、わかってしまった。
意識的に表情を作り上げ、不審に思われないよう、手足を動かす。
「帽子を拾っていただき、ありがとうございます」
受け取ろうと手を差し出したが、何故だか帽子は返されない。
「僕が誰か、わかるんだね?」
投げ掛けられた問いには、首を傾げて見せた。
「貴族の殿方に、知り合いはおりません」
「とぼけても無駄だよ。イグナス・グリーンシールズと貴女のことは、調べがついているんだ」
「確かに、彼は貴族の生まれですが……」
帽子は諦めて、逃げてしまおうかと考えたと同時、素早く伸ばされた男の手に腕を掴まれた。
「警戒する気持ちはわかる。だけど、どうか……償わせてほしいんだ」
ジェレーナと、捨てた名を呼ばれたことで彼女は、己の伯父だろう男の話を聞こうと決めた。
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