再会直後の二人2
近頃、王城の騎士達の間では、固く口を閉ざすべきこととして認識されている一つの事柄があった。
それは、とある女性の正体であり、とある貴族令嬢の死の真相なのだが……誰一人として、自分達の予想が事実なのかを確認する者はいない。
何故ならそれには、この国の王太子が関わっていて、彼の不興を買うことは騎士達にとってデメリットにしかなり得ないからだ。
それに加え、それが公然の秘密となってしまえば、一人の女性の命が危険にさらされる恐れがあるというのが、最も大きな理由だった。
「イグナス卿! リディアちゃんは元気ですか?」
だが、彼女が今どうしているかは酷く気になるのも事実。
「最近にやにやし過ぎじゃないか? もっと気を引き締めろよー」
騎士には平民出身の者もいるが、割合的には貴族の子息が多い。
だから、イグナス・グリーンシールズの婚約者だった人形姫については、姿を見たことはないものの噂程度なら、ほとんどの者が知っていた。
そして、イグナスがどれ程彼女を深く愛し、彼の中で彼女がどれ程大きな存在だったのかも、同じ場所で見習い時代を過ごした者達は知っている。
知っているからこそ、辿り着いた。
アリソン伯爵令嬢、ジェレーナ・ローゼンフェルドは生きている。
それも名を変えて、労働などとは無縁だったはずの彼女が平民として、帽子屋の見習いとなり働いているようだと。
酒場で出会ったリディアという少女。
彼女がジェレーナ・ローゼンフェルドでないのなら、あのイグナス・グリーンシールズが興味を持つはずがないのだ。
世間的には、婚約者の死に打ちのめされた彼が、三年経った今、新しい相手を見つけたとしても不審に思われることはないだろう。
だが、彼をよく知る側の人間は、違和感を禁じ得ない。
「べた惚れだったもんな」
「いやぁ、よかったよかった」
イグナスはといえば、そんな言葉と共に、同期の騎士から唐突に肩を叩かれることが増えた。
「一体、何なんだ?」
隣を歩いていたアヴァンへ問えば、心底呆れたという視線が返される。
「態度に出過ぎているという話じゃないか?」
「…………そんなにか?」
無言の首肯。
イグナスは、頭を抱えた。
「殿下からの呼び出しも、そのことだろうか?」
「さあ? 俺は知らん」
「溢れ出る幸せをどう抑えるべきか……」
「知らん!」
突き放した言葉が冷たいと感じないのは、表面上の呆れの奥に、安堵が感じ取れるからだ。
友人の横顔を盗み見ながらイグナスは、口元を緩める。
「すまんな」
「本当にな」
アヴァンとイグナスが連れ立ってたどり着いたのは、王太子の私室。
部屋の前を守る騎士が二人の来訪を告げてすぐ、室内へと通された。
見慣れた部屋の中には、いつものように、王太子夫妻と幼い王女が待っていた。
「あら、まあ」
第一声で、驚きの声を上げたのは王太子妃だ。
「イグナスの眉間の皺が、なくなっているわ」
言われたことで、イグナスは己の眉間を撫でてみる。
自分では、よくわからなかった。
「腑抜けた面をしおって。お前が帽子屋の娘にうつつを抜かしている間、主君であるはずの俺がどれ程頑張ったことか」
王太子からの言葉に、イグナスは反論する。
「俺に動くなと命じたのは、殿下ではないですか」
「当たり前だろう。お前が動けば目立つ」
「……わかっています。進展があったのですか?」
頷いた王太子に座るように言われ、イグナスとアヴァンは王太子夫妻の向かいに腰を下ろした。
二人が座ってから、王太子妃が手ずから淹れたお茶を提供する。
「リディアが安全である確証が得られた」
イグナスもアヴァンも、続く言葉を無言で待つ。
「彼女が領地を離れる折、隣国行きの船に乗ったように偽装したと言っていただろう? それを、まんまと信じているようだ」
言外に愚かだと匂わせながら、王太子が嘲笑した。
「それに加え、人形姫とよく似た死体が隣国で確認されたというニセの情報を流してみたが……一切疑うことなく、あの女は信じた」
悔しげに、王太子は奥歯を噛み締める。
「あんな女に奪われたとは……今後のアリソン領は、立ち行かなくなるかもしれんな」
「民に罪はありません。父と長兄に相談すれば、ウォルシュの方でもサポートできることはあるでしょう」
「次期アリソン伯爵も、あの女に任せておけば駄目になるやもしれぬ」
重たい溜息を吐き出した王太子の手を握り、王太子妃がおっとり微笑んだ。
「子にも罪はありませんわ、殿下」
「……わかっている。だが、すっきりせんものだな」
「あら。リディア嬢の安全が確保できたのなら、とりあえずは良いのではないかしら」
「そうだが、もっとこう……巧妙な謀やら、なんやらがあるものかと思っていたのだがなぁ」
肩透かしを喰らったと告げた王太子の言葉を受け、それまで黙っていたアヴァンが口を開く。
「大抵こういった事柄は、一時の感情と軽率な行動から形作られるのではないですかね」
「行動の積み重ねが運良くハマっていけば、誰でも簒奪者になれると?」
「場合によっては、そうなのかもしれません」
「……アヴァンの言うことにも、一理あるか」
「適当な罪をでっちあげ、取り潰しにしてはどうです?」
「イグナス。それは出来ぬと、わかっているだろう?」
「その方が領民と、ひいては国のためになると思いますがね」
「いらぬ火種を生みかねん」
個人で動くことも許さないとイグナスへ念を押してから、王太子は長い息を吐き出した。
「お前に何かあれば、誰より、彼女が悲しむ」
そうですねと、当然のことのようにイグナスが頷いて、それを見たアヴァンと王太子が失笑する。
「何故、笑うんですか?」
イグナスは真顔で首を傾げたが、それすらおかしいというように二人は笑った。
「いやなに、お前が元気になって良かったと思ったら、笑えてきた」
王太子が親指で目尻を拭い。
「俺は、何だか懐かしいと思ってな」
アヴァンは、隣に座るイグナスの肩を叩く。
「わたくしも、早くリディア嬢にお会いしたいわ」
そうして、近衛騎士イグナスと平民リディアの結婚について、王太子からの許可が下りたのだった。
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