開いてしまった隙間を埋めるような日々
再会直後の二人1
海に面したアリソン領には、多くの船が出入りする。
領主である伯爵は、隣接するウォルシュの領主と公私共に懇意にしており、政治の中枢に関わりのない彼らは、貴族というよりも商人に気質が近かった。
二人の奥方も親友同士で、子連れでよく、互いの家を行き来している。
「ねえ、イグナス」
午後の日差しが心地良い、アリソン伯爵邸の庭先。
いつの頃からか人形姫と呼ばれるようになった少女が、傍らにいる黒髪の少年を呼んだ。
「当然、泊まるわよね?」
問われ、少年は首肯する。
日帰りできない距離ではないが、互いの家を訪れる際には、数日滞在することが常となっている。
少年の返答へ顔を輝かせた少女が、周囲の人間に聞こえないよう耳打ちで告げた言葉に、彼は苦笑を浮かべた。
「君って、そういうの好きだよね」
「だって楽しそうじゃない! ロナウドとデンハムには秘密よ」
「何故?」
「デンハムは必要以上に大騒ぎしそうだし、ロナウドは、夜更しはだめって言うでしょう?」
兄達の反応を思い浮かべ、確かにそのとおりだなと感じて、少年は笑う。
「二人だけの秘密!」
「わかったよ、ジェレーナ」
二人だけの秘密はあの頃、たくさんあった――。
※
懐かしい夢から覚めて、王城内にある騎士寮の自室のベッドの中、目を閉じたままで余韻に浸る。
正式な騎士となってから与えられた一人部屋は眠るためだけの部屋で、私物はほとんど置いていない。
衣服以外で私物と呼べそうな物は、ベッド脇のチェストの上に置かれた布張りの箱が二つ。
箱の中には、大量の手紙が入っている。
青い箱の中身は自分が書いた手紙で、黄色の箱の中身は自分宛て。
ベッドの上で半身を起こしたイグナスは、青い箱を手に取り、膝に乗せてから溜息を吐いた。
愛しい女性の顔を思い浮かべて湧き上がるのは、気恥ずかしさからくる憂鬱だ。
顔を洗って歯を磨き、身支度を整えてから部屋を出た。
この日は非番であるため、制服ではなく私服に剣を佩き、片手には青い箱を抱えている。
向かう先は食堂ではなく、街へ通じる門だ。
顔馴染みの門番と挨拶を交わした後で、迷いのない足取りでたどり着いたのは、商業区の一角にある帽子屋だった。
店の扉を開ければ、軽やかなベルが鳴る。
「おはよう、イグナス。朝ごはんは食べた?」
まだだと返せば、「だろうと思った」という言葉と共に明るい笑顔が返された。
「奥に用意してあるの。私はもう済ませちゃったんだけど、良かったら食べて」
「ありがとう。――リディア」
愛しい人の名を呼べば、彼女は首を傾げて続く言葉を待っている。
「そろそろ渡さないと、本気で機嫌を損ねるだろうと思って」
そう言いながら持っていた箱を差し出せば、受け取った彼女は蓋を開け、中身を確認した後で勝ち誇った表情を浮かべた。
「やっと観念したのね? ありがとう。大切に読むわ」
「何度も言っているように、大したことは書いていない」
「何度も言っているでしょう? それでもいいの!」
大切そうに箱を抱えた彼女を見届けてから、店の奥へと入ったイグナスは、まだ温かい朝食に手を付ける。
食べ終わる頃に出勤してきた店主と顔を合わせれば、向けられたのは呆れの視線。
「騎士殿にも給金を払うべきなのかしら?」
「金には困っていません」
「でしょうね。言ってみただけよ」
非番の日には帽子屋に入り浸り、力仕事や雑用などをするようになった。
リディアのそばにいたいからやっていることで、邪魔者にならないための手伝いだ。対価は、そばにいさせてもらえることで既に受け取っている。
「そろそろ買い出しに行かないと。イグナスがいる日だから、重い物が買えますよ!」
「そのつもりで、買う物をメモしておいたのよねぇ」
「さすがです、グウィニスさん!」
「ついでにデートでもしてきなさい」
「わぁ! さすがグウィニスさん!」
「はいはい。いってらっしゃ~い」
店主に送り出された二人は、どちらからともなく手を繋いだ。
「……夢を見たんだ」
「どんな夢?」
「幽霊を探して、夜中に部屋を抜け出した時の夢」
「ああ。あれには、がっかりしたわよね」
「そうか? 俺は結構楽しかった」
「だって、幽霊の正体が猫って、ありきたりだわ」
「本物の幽霊と出くわしても、君なら変わらず笑っただろうな」
「イグナスと一緒だと、何にも怖くないもの」
変わらず寄せられる信頼に胸が熱くなり、無言のままに抱き寄せる。
ぽすりと腕の中におさまった彼女は、体をカチリと硬直させた。
緊張で戸惑うその様が愛おしくて、こめかみへと唇を押し付ければ、腕の中にある体温が急上昇したことが感じ取れる。
「俺も、君がいれば何も怖くない」
応えるように背中へ腕が回されて、温もりはすぐに離れた。
「ただ一つ不満なのは、君が逃げようとすることだ」
「に、逃げてないわ!」
「なら、何故そんなに速く歩くんだ?」
「往来の邪魔になるからよ!」
「顔が真っ赤だね?」
「誰のせいよ!」
そうやって、照れる彼女をからかうことにも小さな幸せを感じる毎日を過ごしている。
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