第2話 ある日の、とある出来事

 王城をぐるりと囲む塀の一角。

 使用人用の門の前で、つば広の帽子を深く被って顔を隠した少女が、門番へ必死に訴えかけていた。


「だからね、イグナスを呼んでくれればいいのよ。ここの騎士に、いるでしょう? イグナス・グリーンシールズよ! ウォルシュ子爵の三男。黒髪に夜空色の瞳の、彼。私は、彼に会いたいの!」


 帽子のつばの奥で見え隠れする、必死な色を浮かべたアメジストの瞳を見返して、門番は憐れむように首を横に振る。


「君みたいな女の子はよく来るから、いちいち相手にはできないんだよ。近衛騎士に憧れるのは、よくわかるけどね。イグナス・グリーンシールズは、今一番人気さ」

「そうでしょうね! イグナスって、とっても素敵だもの。でもね、そうじゃなくて私は、彼の知り合いなのよ!」

「そういうのも、よく来るなぁ」


 苦笑を浮かべた門番は、少女を追い払うように手を振った。


「お願いだから、彼に伝えて。金髪にアメジストの瞳の女の子が、あなたに会いに来てるって」

「……お嬢さん、名前は?」


 少女からにじみ出るあまりの悲壮感に同情してか、門番の心も揺らいだようだ。

 だが彼女は、悲しそうに首を横に振る。


「私は――リディア。イグナスは、この名前を知らないの」

「そうかい。そりゃあ、残念だ。お家へお帰り」

「……家なんて、ないわ」


 俯き、少女は桃色の下唇を噛んだ。

 今にも泣き出してしまいそうな少女を前に、門番達は顔を見合わせる。


「お嬢さん。残念だけど、彼は今、ここにはいないよ」

「おい!」


 咎める声を上げた同僚を一瞥してから、それまで黙って成り行きを見守っていたもう一人の門番は、家を持たない子供にしては身なりの整った少女へ憐れみの視線を向けた。


「身内に不幸があったらしい。しばらくは、戻って来ないだろうね」

「そう。……忘れてた訳じゃ、なかったのね」


 彼女の言葉の意味がわからず、首を傾げた門番。

 だが、顔を上げた少女の口元は、晴れやかな笑みを形作っていた。


「ありがとう。あなた、お名前は?」

「俺は、パーシヴァル」

「パーシヴァル。あなたの親切に、感謝を。また来るわ」


 踵を返した少女は、背筋を伸ばして去っていった。

 その後ろ姿を見送りながら、門番二人は言葉を交わす。


「貴族のご令嬢だろうなぁ」

「デビュタント前の年齢かな。帽子を取ったら、お人形さんみたいに綺麗な顔が出てきそうだ」

「護衛も連れずに一人でこんな所へ来るなんて、何か事情がありそうだけど……」


 気遣わしげに落とされた言葉を、もう片方が笑い飛ばす。


「婚約者のいる男に横恋慕なんて、それこそが隠したい事情なんじゃないか?」


 一緒に笑ってくれるものだとの想定で吐かれた言葉は当てが外れ、更に曇ってしまった表情とぶつかった。


「婚約者ねえ……。その婚約者が、亡くなったらしいぞ」

「ああ、だからか。あんな、顔面蒼白になって飛び出して行ったのは。……可哀想になぁ。彼は、まだ十七だったか?」

「十八になったらもう一度、正式にプロポーズをしに行くんだって、あんなに嬉しそうに話していたんだがなぁ」

「俺も一目見てみたかったよ、アリソン伯爵家の人形姫。彼女の社交界デビュー、密かに楽しみにしてたんだけどなぁ……。あのイグナス卿が惚れ込んだお姫様だ。二人が並ぶ姿は、さぞ絵になっただろうに」


 二人同時に、ため息をこぼす。


「母親は病死、父親は事故死。彼女は、自殺だったらしい」

「なんで死んじまったのかねぇ……。確か、まだ十五だろう?」

「継母が毒殺したんじゃないかって話も、あるみたいだけどな」

「アリソン伯爵も、余計な火種を残して死んじまったよな」

「本当になぁ」

「子種を仕込むならせめて、お姫様をしっかり託してからにすれば良かったんだ。そのくせ、自分はさっさと死んじまってさ」

「死んだ人間を悪く言うもんじゃないけどな。……誰も、幸せにならない結末だよな」

「アリソン伯爵家の乗っ取りに成功した母娘は、幸せなんじゃないか?」

「それも、どうだろうな? 毒殺の噂が消えるまでは、継母の連れ子二人の結婚が難しくなると思うぞ」

「それなら、やっぱり自殺が真実か? わざわざ自分達の立場が悪くなることはやらないだろう」

「どちらが真実だとしても、彼が気の毒じゃないか。愛する女性を守れなかったなんて」

「近衛騎士、辞めたりしないといいけど……」

「それは殿下がお許しにならないだろうよ」

「それもそうか」


 再び重たいため息を同時に吐き出してから、門番たちは口を閉ざして、仕事へと戻った。

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